夏便り【後篇・終】 | 2015 summer request・鰻

 

 

あいつらは馬鹿か。大声で。
「馬鹿じゃない。と、思う」
珍しく自信なさげに言うこいつに、あたしは噴き出した。
「ただ、みんな大好きなんだ。大護軍と医仙が」

そうだね。あたしも大好きだよ。
最初にチャン先生が連れて来た時は、なんて嫌な女と思ったけど。
「そうなのか」
びっくりしたテマンの目に頷きながら、あたしは続けた。

そうだよ。飯が不味いだの水は何処だの、ぎゃあぎゃあうるさくて。
「そうだったのか」
うん。ウンスの事知らなかったから。
あんな一生懸命であんな真っ直ぐなひとだなんて、全然知らなかったから。

その声に頷いて、こいつは少し懐かしそうに言った。
「俺も最初、大嫌いだった。殺してやろうと思った」
え。
「・・・そう思った。医仙が、隊長を刺した時」
テマンは思い出しても申し訳ないのか、眉を曇らせて言った。

ああ、そうだったね。あの後、大変だったね。
「うん。ほんとに殺してやるって思ったんだ」
仕方ないよ。ウンスの事知らなかった。大護軍のこと誰より大事なあんただから、そう思ったって仕方ない。
「でもさ、そうしなくて良かったよ」

こいつは木漏れ日の中で眩しそうに眼を細めて、縁側に座っている大護軍とウンスをじっと見た。

「今じゃあ俺の姉さんみたいな、母さんみたいな人だ」
その視線を追って、あたしもウンスと大護軍を見た。

そうだね、あたしにとってもほんとにそうだ。
姉さんみたいな、母さんみたいな。
悲しいことがあると走ってって、その胸に頼りたくなる。
嬉しいことがあると走ってって、真っ先に伝えたくなる。
「うん、俺もそうだ」
そうなんだ、同じだね。
「だけど医仙は頑張り屋だから、頼り過ぎると抱えそうで」
だからあたしたちがいるんだよ。
「え」
ウンスが困った時に、ちょっとでも聞けるように。
ちょっとでも分けてもらえるように、あたしたちがいるんだ。
「そうか」
うん。ウンスはきっと、大護軍には言えない事もあるよ。
大好きだから、心配かけないように、困らせないように。
前からそうだった。黙ってどんどん突っ走る。悪い癖だ。

あの頃はチャン先生がそれを聞いてた。
今はキム先生がいるけど、きっとウンスもまだそこまでは、キム先生に言えないはずだ。
だからあたしはウンスとキム先生の橋渡しもしたい。
二人がもっと心を開き合えるように、本音で話せるように。

あたしは庭の端っこ、薬員たちに囲まれて笑うキム先生を見る。
黙って先生を見てると、こいつが心配そうにあたしを覗き込む。

「どうした」
ううん、何でもないよ。
「急に黙って、御医を見てるから」
あたしだって、考え事する時はあるよ。
「そうだな、そうだよな。でも」

そう言ってこいつは急に、あたしの指先に触れた。
あたしは驚いて、その顔をじっと見上げた。
「どうすればいいかな」
こいつはあたしが見てる事なんて気にしてないのか、首を傾げて握ったあたしの指をじいっと見つめてる。
難しい顔で眉根を寄せて、しばらく考えた後、急にその顔がぱあっと明るくなった。

「そうだ、何か考えてる時は、俺の手を握れ」
あたしは慌てて握られた手を振りほどく。
なに馬鹿な事を言ってる。何で考え事してるのに、あんたの手を。
「声が聞こえないと、心配だから。握ってればなんか考えてるって、だから黙ってるって、すぐわかるだろ」
あんた、おかしいよ。あたしが何を考えようと考えまいと、なんであんたがそんな事心配するの。
「そりゃするさ。知りたいだろ、何考えてるか」
どうして。そんな事、知らなくて良い。
「トギは知りたくないか。心配じゃないか」

真っ直ぐな目に、真剣な問い掛けに、胸のどこかがぎゅっとつねられたみたいに痛くなる。

わからない。わからないけど、心配だ。
あんたが黙って無茶する事、あの大護軍の背中を追って、大護軍みたいにどんどん走ってくのは、心配だ。
大護軍にはウンスがいる。だから何があってもウンスが護る。
でもあたしは、あんたの側であんたを守る事が出来ないから。
友達じゃあんたを怒る資格があるのかわからない、だから。
「ほら、そうやって黙るから心配なんだ」
こいつがそう言って、あたしを睨む。
「だから教えろって言ったんだ」

だって、わかんないんだよ!!

最後に指で言って、木の下にあいつを置いて、あたしは走り出した。

 

*****

 

「大護軍、一杯」
チュンソクが縁側の俺達に寄り、俺へ盃を渡す。
握ったこの手の盃を酒で満たすと、奴の目が微笑んだ。
そうして笑っていられるのもいつまでか。
「覚悟は良いか」
俺の一言に、奴の顔色が途端に変わる。
「飲み比べは勘弁です」

そんな俺達の言葉に噴き出すと
「じゃあ、私もみんなと話して来よっと」
そう言って縁側から腰を上げるこの方に俺は頷いた。
「2人とも飲み過ぎないでね」
俺とチュンソクに向かい笑って手を振り、この方の亜麻色の髪が夏の陽の下、ふわりと庭の喧騒に紛れて行く。

「お邪魔してすみません」
その背を見送りすっかり見えなくなった後、チュンソクはこの眸を見て静かに言った。
「下らんことを」
「チェ尚宮殿が、イ・ジャチュンとイ・ソンゲの事を」
「・・・ああ」
「様子を見ます。ヒド殿も共に」
「そうか」
「大護軍」
「おう」
「イ・ソンゲと大護軍には、何か」
「・・・どういう意味だ」
「確信はありません。それでも側に十二年。それに自信はあります」
「まあな」

あの方の前では一切曖にも出さず、こうして二人きりになって初めてその名を口にしたこの男。
何かしら勘付いている。この肚を読む目は、誰にでも備わるものではない。

「先日の双城総管府攻め。手傷を負ったイ・ソンゲを庭で見た時の医仙のご様子が、ずっと気に掛かっています」
一息に告げたチュンソクに、俺は首を振る。
「チュンソク」
「は」
「案ずるな」
「しかし」
「頭を使うのはお前の役だがな」
俺は縁側の盃を取り上げるとチュンソクへ渡し、奴が反射的に握ったところで其処へ酒をなみなみと注いでやる。

「飲め」
「いや、大護軍」
「俺の酒が受けられんか」
「そういうわけでは」
「じゃあ飲めよ」
そう言って盃を無理矢理に合わせ、俺は一息に中身を流し込む。
チュンソクは明らかに、しくじった、そんな正直な顔をした後で、覚悟を決めるように目を閉じて一息深く吐き、次にその盃の底を天へ向けるように一息に呷った。
「飲め」
「いや、大護軍、自分はもう」
黙ったまま、空になった其処へ酒を注ぐ。
「まあ飲め」
「いや、大護軍、本当にもう」
「チュンソク」
「は」
俺が真顔で奴を見ると奴は渋々杯を空け、赤くなり始めた目許でどうにか此方へ焦点を合わせようとする。

十二年か。そんなに経つのか。寝床を求めて迂達赤へと乗り込んで。
こいつらと出逢い、共に戦場に立ち、一日も早くと数えていた頃はあれ程永かったものを。
「なあ、チュンソク」
「はい、大護軍」
「・・・いや」

苦く笑って首を振る。よくこんな男に従いて来たものだ。
そんな馬鹿な物好き、お前らくらいしかおらん。今までも、そしてこれからも。
「どうしました」
「・・・飲め」

ふと目を上げると人垣の向こう、武閣氏たちに囲まれたあの方がご自分の盃を頭の上に上げ、大きく首を振っている。
飲ませすぎるなとでもおっしゃりたいか。俺は笑って頷き、自分の盃だけを手酌で満たした。

 

*****

 

「テーマナ?」
ちょっとばかり酔った、千鳥足みたいなふらふらした声に、びっくりして茂った青い葉影から下を透かし見る。
「医仙」

木の下の姿と長い髪に、慌てて幹を伝って降りる。
「どうしたの?トギは?」
幼い子みたいな目が、まっすぐ俺を見る。
「さっきまで一緒にいたのに」
そう言うと医仙はそのまま俺が滑り降りた木の幹に背中をつけて、ずるずる伝って、木の下の草に腰を下ろしてしまった。

「う、医仙。だいじょうぶですか」
「私は全然、だいじょぶよ?それより」
座り込んだ医仙は地面から俺を見上げる。
「テマナは、だいじょぶなの?」

だいじょうぶなの、その声に俺は曖昧に首を傾げる。
何かあると頼りたくなる。あいつはさっきそう言った。
だけど俺は男だから、医仙に頼ってばかりじゃいられない。

俺の命より大切な大護軍が、その命より大切にする人だから。
俺の姉さんみたいな、母さんみたいな人だから、俺だって守りたい。

「ケンカしたんだ。当たり?」
医仙の酔っぱらったみたいな声に俺は首を振る。
「俺が、ちゃんと言えなくて」

ただ黙ったら伝わらないから。聞こえなくても、話さなくてもここにいるって。
声を待ってるって、わかってほしかったから。
なのにあの目が、俺じゃなくキム御医を見てるから。
背中を向けたらあの声が聞こえないから、焦っただけなんだ。

「ねえ、テマナ。脅かすわけじゃないけど」
医仙はそう言って、心配そうに俺を見上げる。
「トギは私か、キム先生か、テマナじゃないと話せないわよ?
他の人じゃ、あの声をなかなか分かってあげられないでしょ?
1人にしてて、本当にだいじょうぶ?」

そうだ。あの声は俺か医仙か、キム御医でないと聞こえない。
慌ててぐるりと周りを見ても、あの黒い髪は見当たらない。
「お、俺行きます。医仙はだいじょうぶですか」
「え?」

医仙は首を傾げた後、いきなり地面からしゃきっと立ち上がった。
「全然問題ないから、早く行ってあげて?」
その声に頷くと、俺は医仙を残して駆け出した。

「やだ、ほんとあの人とそっくり」
医仙が後ろでそう言って笑ってるなんて、全然気づかずに。

 

*****

 

「トギヤ!!」
そう言って駆ける足は何でわかるんだろう。あいつがどこにいるか。
大護軍のお屋敷の離れの裏、大きな槐の木の下にあいつはいた。
俺の声に驚いたみたいに振り向いて、その目が丸くなる。

何しに来たって尋ねる指の声に、俺は息を切らして頷いた。
「お前を探しに」
いいからもうほっといて。そう言うトギに俺は首を振った。
「ほっとけない」

そう言って、俺はしっかりその指を握った。
「ただこうしたかった、でも握ったら聴こえなくなるから、だからどうしようって」
こいつの手が、俺の手の中で文句を言うみたいに動く。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
話させてやりたい、でも離したくない。

何だろう、俺は何をしたいんだろう。どうしたらいいんだろう。
「わかんないけど、でも」
その声に諦めたみたいに笑うトギが、俺の顔を見る。
その目にやっと手を離すと、トギがその指で言った。

じゃあ、あたしは目で話すようにする。
「え」
声は出なくても、唇で話すようにする。
「トギ」
それを読めばいい。手を握ってる時は。
「・・・うん」
あんたは鳥や獣の声を聞く時、手も読まないだろう。
「ああ」
じゃあ大丈夫。鳥や獣よりは、あたしの方がおしゃべりだ。
「そうだな」

だって笑ってる目を見るだけで、もう怒ってないって分かる。
分かるから、俺たちはだいじょうぶだ。もう喧嘩は終わりだ。
ただ驚いただけなんだよって、トギのその目が言ってるから。
「驚かせて、ごめんな」

鳥に急に手を出したら飛んでくみたいに、兎に急に手を伸ばしたら跳ねてくみたいに、俺はしちゃいけない事をした。
「ごめんな」
もういいよ。その目が言うから。唇が動くから。俺は安心して大きく息を吐いた。

 

*****

 

「ああ、楽しかった!!」

全ての片づけを終えた時には、庭はすっかり薄闇に囲まれていた。
頑として俺達の手出しを拒み、酔客たちは律義に箸を下ろし、皿をすすぎ、庭を掃き清め、居間を整え、空の酒瓶を寄せてからようやく宅を辞して行った。
この方が強引に握らせた、歩哨や留守番の者達への土産の包みを手に、口々にもてなしへの丁寧な礼と、楽しかったとの言葉を残して。

最後にタウンとコムが離れへと退いて行くと、庭の中は昼の喧騒が嘘のような静寂に包まれる。
「なんだかこうなると、少し寂しいわね」
「そうですか」
「うん」
宴の後か。そう思いながら静かな庭を見渡す。

「みんなも、楽しんでくれたかなあ」
「ええ、恐らく」
暑い中で炭火の横に立ち、陽に灼けたのだろう。
この方の赤くなった鼻が気になる。
井戸へと寄ると釣瓶で水を汲み上げ、懐から出した手拭いを濡らして絞る。
濡れた布を手に戻り赤くなった鼻先をそっと押さえると、この方は瞳を閉じ大きく息を吐いた。

「はー、気持ちいい。陽に灼けたのね」
そう言って目を開き、次に悪戯な瞳が俺を見上げた。
「あなたは、黒くなったわ」
その声に薄闇の中、己の腕を透かし見て確かめる。
「そうですか」
「うん、夏休み明けの小学生みたい」

何がそれ程おかしいか、この方はご自分の言葉にくすくすと笑う。
「遊んできました、夏を楽しみましたーって感じよ」
「・・・楽しみました」

この方が横に居る。家族の皆が周囲に居る。
まるで赤月隊で過ごしたあの頃のように。
あの頃よりも、ずっと多くの大切な家族を背負って。
誰よりも大切な、己の全てで護りたいこの方を横に。

酒を酌み交わし、話に花を咲かせ、ふと視線に気付き眸を上げれば愛しい方が其処に居る。

それ以上の何が要る。
何も要らぬ。護りたいだけだ。
夏の光の許の今の全てを、この命の続く限り。

簡単な事だ。最良の方法はいつでも単純に出来ている。
護りたいから護る。いつであれ正面から挑む。
もう捨て身になる事は許されん。それでも負ける気はせん。
何故なら死ねぬから。
この方が横に居る限り、俺が先には死ねぬから。
「ねえ、ヨンア?」
「・・・はい」
「最近、どうして抱き締めてくれないの?」
「・・・暑いでしょう」
「そんなこと気にしてたの?!」
この方が呆れたように、大きく嘆息する。
「嫌われたかなあって、ちょっと心配して損した」

薄闇の中の白く小さな手。細い薬指に光る、永遠の誓いの石。
その金の輪を右手の指で弄び、この方は安堵したように笑う。

「暑くても、寒くても、抱きしめて。いつでも一緒にいて」

ああ、始まった。この方の我儘が。
俺を有頂天にさせるだけの懇願が。
「・・・はい」
「皆、あなたが大好き。でもあなたを一番愛してるのは私」
「はい」
「ほんとに、分かってる?」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと言って」

この方の甘いねだり声に息を吐き、大きく腕を広げる。
きつく抱くのはまだ怖い。暑くても暑いとは言わぬだろうから。

広げた腕をゆったりとこの方へ回し、花の香の髪に鼻を埋め、その鼻先でこの方の白い耳を探す。
見つかったその貝のような耳朶へ唇を寄せ、俺の知る、あなたの知る天の言葉を息だけで落とす。
「聞こえない」
この方が、息だけの声に擽ったそうに笑う。
「確りお伝えしました」

耳から唇を離して言うと頬を膨らませ此方を見上げる、腕の中の白い顔。
薄闇の中の鳶色の瞳。尖った紅い唇。

夏の便りは今日受け取った。そして秋が其処までやって来ている。
互いの温もりの恋しい季節が、すぐにやって来る。
その頃には腕の中のこの方は白い衣を纏い、永遠に俺のものになる。
そして俺は、永遠にこの方のものになる。あの家族たちに囲まれて。

そうすればいつでも言おう。朝に、昼に、夕に、宵に。
命が続く限り、不安にさせぬよう、心の底から伝える。
薄闇の中緩やかに抱く腕に力を籠めぬよう、どうにか堪えながら。
この瞼の裏、遠からず訪れるその日を俺は夢想する。

 

 

【 夏便り | 2015 summer request・鰻 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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