「もういい?」
「・・・まだ明るいでしょう」
夕餉を終えた宵の口。
幼子のようにねだられるのは幾度目か。
花火を持ち帰ったと知って以来、ウンスはすっかり気も漫ろだ。
ヨンは首を振りながら腰を下ろした居間の中、開け放った障子の外の朱赤の陽を残す庭を指す。
「暗くなってからの方が良いかと」
「うーん、じゃあもうちょっと我慢する」
「湯を使って下さい。上がる頃には」
「わかった!」
そう言って立ち上がり湯殿へと駆ける細い背を見守りながら、ヨンは小さく息を吐く。
懐かしいのだろうか。天界を思い出しておられるのか。
あの馬のない馬車の走る世界、光り輝く箱の並ぶ世界。
あの慶昌君媽媽も見ておられるかも知れぬ、光る世界。
こうして思うたび胸は痛む。たとえそれを伝えられずとも。
だからこそどうにか婚儀の前に天門へ行きたい。
必ず行って、あの門の前で頭を下げねばならぬ。
この方に。そして門の向こうの御両親に。この方を待つ全ての方々に。
意味なく頭を下げる事は出来ぬ。但し下げねばならぬ頭は必ず下げる。
指先で紙縒りを捻りつつ、深く息を吐く。
表に出さずとも淋しいのだろうか。きっとそうなのだろう。
夜に魘される事はなくとも、腕の中安心したように見えても。
全て己が仕出かした。それだけは幾度詫びようと変わらない。
己ならばどうだ。いきなり見ず知らずの世界に連れて来られ。
今日から此処で生きて行けと、その只中に急に放り出され。
正気で生きて行けるだろうか。兵を必要としない世であれば。
あの方のよう輝くような彩を放ち、誰より明るく生きて行けるか。
いつでも笑い、懼れなく真直ぐに物を言い、人の心を動かせるか。
愛しい者の為だけに、幾度もあの門をくぐる事が出来るだろうか。
それ以外の全てを捨ててでも、その先に待つ一人の者の為だけに。
そこまで考えて、紙縒りを捻る指を止める。
それだけは同じか。己でも迷いなくくぐる。戻れるまで幾度でも。
あの方が待っていると知っているならば、躊躇い留まる訳が無い。
あの方が独りきり、あの声で己を呼んでいると知っているならば。
お詫びを、そして誓いを。伝えて、そして次は婚儀へと。
自分を責め続ける限り、伝われば気を病むのはあの方だ。
済まぬと泣くよりも、これから永遠に幸せにすると誓う。
例え泣いて詫びる方が、遥かに楽な道であったとしても。
「終わった!ヨンアも急いで入って来て?」
いつもよりずっと早く廊下を駆け戻る、小さな足音とその声。
苦笑いを浮かべ、ヨンは居間の中で腰を上げた。
*****
「はあ、何だろう。すっごく緊張する」
「は」
「火薬が大切って知ってるせいかな。それとも1つしかないから?なんかとっても緊張してるの」
「そうなのですか」
本当に気が張っておるのだろうと、ウンスの様子にヨンは頷く。
先刻までは幼子のようにせっついて早くとねだっていたものを。
いざ庭に宵の帳が下り薄闇に包まれて火を点けるという段でその唇を噛むウンスの顔は、楽しそうというより寧ろ何かを決意するような、真摯な面持ちにすら見える。
二人は互いに面し、縁側の横、庭に立つ。
縁側に小さい蝋燭一つを残し、他の灯は全て消した。
「じゃあ、つけるわよ?」
「・・・どうぞ」
「ほんとに、つけるわよ?」
「はい」
「いい?つけたら消えないわよ?」
「・・・はい」
「私が持っていいの、それともヨンアが」
「ウンスヤ」
呆れたように息を吐くヨンに頷き、ウンスが紙縒りの先を蝋燭の焔の先へそっと近づける。
蝋燭の灯がその紙を燃やし始めたと同時にヨンは身を屈め、縁側で燃える蝋燭を、静かに吹き消した。
紙は静かに燃える。そして暫く小さく燃えた後。
ぱち、と小さく、何かが爆ぜる音がする。
ヨンは黙ってウンスの指先を見詰める。
何しろ初めてのものだ。どうなるのか想像もつかぬ。
ムソンが謀るとは思えぬ。しかし備えだけは気が抜けぬと、ヨンは焔の先を見詰め続ける。
小さな爆ぜ音がやがて闇の中、断続的に聞こえてくる。
そしてその音と共に闇の中に小さな華が咲く。
橙色の、儚い華。まるで夢の中で見るような火の華が。
「・・・・・・きれい」
火の華に照らされながら、ウンスがそっと囁いた。
「ええ」
面したヨンも思わずその華に眸を奪われ、息を詰めて頷いた。
ほんの少しでも息を吹けば橙の花芯が落ちてしまう気がする。
ぱちぱちと音を立て、火の華が咲く。
蓮や桔梗は花咲く時に音を立てるというが、こんな音だろうか。
ウンスの指先の火の華を見詰め、庭の桔梗、皇庭の池の睡蓮をヨンは思い出す。
どの花とも違う。
これ程鮮やかに美しく、そして哀しいほど儚い華は今まで一度も見たことが無い。
その火の華はやがて小さな花弁を黒い闇へといくつか散らし、最後の花芯が紅いまま、ぽとりと地へと落ち見えなくなった。
「・・・はぁ」
闇に漂う燃えた後の火薬の匂いと薄蒼い煙の中、ウンスが息を吐く。
最後に漂う煙までが、もの哀しい華だ。
「終わっちゃった」
「・・・ええ」
「先の世界と変わらない。きれいだった」
「そうなのですか」
「うん。いろんな種類があるけど、私はこういうのも好きよ。
こんな静かなの、あの頃は知らなかったけど。初めてだから緊張した」
「そうでしたか」
だからあれ程真剣な顔だったのかと、今になって合点がいく。
「まだ、花火が見えるみたい」
ウンスはそう言って、瞼を閉じてうっとりと微笑む。
「残像なのね。周りが暗いから」
「ええ」
「初めての花火、一緒に出来た」
「ええ」
「またやりたいなあ」
「やりますか」
そう言って懐に納めた瓶を、ヨンは出して示す。
「火薬はあります」
「ううん、次は」
そう言って薄闇の中で瞳を開いたウンスを、ヨンは見つめる。
「空中にドーンと上がるくらい、おっきなのを作ってもらおう!」
細い腕をいっぱいに伸ばし、大きな円を描くようにそれをぐるりと回すウンスに笑みながら、ヨンは頷いた。
あの光る天界の空を埋め尽くすほどの、大きな火の華。
誰も争わぬ平和な世界だからこそ、金より貴重な火薬をそのように無為に使って楽しめるのだろう。
この争いの日々の先にそんな世界が待っている。
己の戦いの日々がその平穏な明るい世界を創る。
それを信じ、明日も明後日もこの手は鬼剣を握る。
いつか空を埋め尽くす、火の華を見られるように。
この方はそれを見てきっと満足気に笑むだろう。
この方が笑う世界は今よりもきっと住みやすい。
それを創ると信じ、己はただ真直ぐに進むのみ。
「花火かあ。作り方、全然知らないけど」
そう首を捻るウンスをそっと抱き寄せる。
あなたが考えずとも、誰かが考える。
平和な世での新しい火薬の使い道を。
今はまだ、別の使い方をせねばならん。
夜空を埋め尽くすのでなく、敵に向け。
けれど今宵は平穏な夢を見よう。
二人で瞼に残る火の華を見よう。
瞼の裏、あの薄闇に咲く火の華の橙の花弁を描きながら。
いつか必ず咲く、夜空の大輪のまだ見ぬ華を追いながら。
その華火に照らされたこの方に浮かぶ笑顔を想いながら。
抱き寄せた細い肩が胸へと倒れ込むのを感じつつ、 ヨンは静かに瞼を閉じた。
【 火の華 | 2015 summer request・花火 ~ Fin ~ 】

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