「迂達赤隊長」
通された部屋の中。
翁主様と儀賓大監も、流石にやはり戸惑いを隠せないお顔をされていらっしゃる。
卓に向かい合った俺は、御二人に向かって頭を下げる。
「突然お邪魔し、真に申し訳ありません」
「いや、それは構わぬ。此方こそ挨拶が遅くなった」
儀賓大監は穏やかにおっしゃり、首を振られた。
「敬姫が、我儘を言ったのだろう」
「いえ、自分が御二人にご挨拶をと」
そうだ、この口の滑ったのが此度の契機だったのだ。肚を決めて御二人に向け、改めて深く頭を下げる。
「ご挨拶が後になり、申し訳御座いませんでした。改めまして、迂達赤隊長ぺ・チュンソクと申します」
「王様より聞き及んでおる」
翁主様がそう言って柔らかく頷かれた。
「この度も敬姫の一件で、たいそう尽力頂いたと。礼が遅くなり、申し訳なかった」
「とんでもない御言葉です」
「王様も、そなたの事を大層褒めていらっしゃった。王様が心より信頼を置いておる者の一人と。
そして有名な迂達赤大護軍の右腕と。その若さで大したものだ」
大監が微笑み、そう御言葉を添えられる。
いえ、決して若くは。ましてキョンヒ様の婿候補としては。
危うく飛び出しそうなその声を、どうにか喉元に納める。
「知っての通り、敬姫は既に皇宮からは退いた、ただの貴族の娘だ」
大監がおっとりと声を続ける。
「我らも政に関わるつもりは一切ない。娶っても隊長の出世の役には立たぬが。
そなたの勢いを殺すことにもなり兼ねぬぞ」
「大監殿」
俺は真直ぐに儀賓大監殿の目を拝した。
「自分は出世の為にキョンヒ様と共に居たいのではありませぬ」
「ほう」
「自分のような武人が、共に居て許される方とも思っておりませぬ」
「成程」
「ただ」
今一度卓向かいの大監と翁主様を拝し、そしてこの横に座ったキョンヒ様を最後にじっと見た。
「ただ、心より大切に致します。戦に出る以上、何もないとはお約束できませぬ。
それでもそれ以外で泣かせる事は致しませぬ」
「うむ」
「キョンヒ様とのお付き合いを、お許し頂けませぬか」
その声に翁主様が朗らかに笑われた。
ああ。俺の大切な方は、御母上に似ていらっしゃるのだ。こんな時だというのに、翁主様の笑い声を聞きそう思う。
御母上の翁主様の御声と、この方の笑い声がそっくりだと。
「迂達赤隊長」
翁主様が可笑し気に此方へ目を当てる。
「は」
「許さぬくらいなら最初からそなたの出入りを止めるよう、門衛士にそう伝えておくであろう」
「・・・は」
そうなのだ。衛士が毎回笑み顔で俺を快く通す事が、御二人の御心と薄々悟ってはいたが。
「我儘で歳よりも幼いところが多い。世間の風も知らず、屋敷の中で御蚕包みで育ててきた娘。
苦労を背負うのは隊長の方だぞ。良いのか」
翁主様の御声に、俺は確りと頷いた。
「御実家で受けられたような贅沢は難しいかもしれませぬ。それでも」
「そんなのいらない!!」
キョンヒ様が大きく叫び、そして慌てて声を落とす。
「妾は、妾はチュンソクさえいればそれだけで」
「・・・キョンヒ様」
俺の静かな制止の声に、キョンヒ様が口を閉ざす。
「ほれ、このように」
翁主様が、俺達の遣り取りに笑われる。
「我慢辛抱も無い。すぐに口が出る。構わぬのか」
「は」
俺の声に、大監が微笑まれる。
「悩んだであろう」
「・・・は」
「私は翁主様との婚儀前は、文官であった」
「大監殿」
大監殿はそれ以上はおっしゃらず、ただ頷いて口を閉ざした。
キョンヒ様のお立場とはまた違う。
現王の姉君、前王慶昌君媽媽、前々王の忠穆王の叔母君であり三代前の忠恵王の妹君である翁主様と文官の婚姻。
どれだけ周囲が騒がしかったか。
儀賓大監であれば、全ての役職から手を引き、無位となるのが絶対条件だ。
大監としての御立場は約束されても、皇宮の役目に就くことは二度と許されん。
全ての政から御手を引かれたい気持ちも、僭越ながら判る気がする。
幼い王の続いた高麗では、関わる程に厄介な事態になったのだろう。
そしてお話するほどに、この方の今までのお暮しを知るほどに。
何故キョンヒ様があれ程の病身をおして奴婢にとまで王様に直訴されたか、そのお気持ちも見えてくる気がする。
勿論一番大きな理由は、王様の御立場を守る事だろう。
姫君である限り此処までと言った声も、多少は影響したろう。しかし、それ以外にも。
御自身が御父上の役目を奪った御母上の苦しみをご覧だからこそ、自分は俺の足枷にならず、倖せになりたかったのではないか。
そうなった時俺が御父君のように、全てを諦め役目を退くことを避けて下さったのではないか。配慮して下さったのではないか。
空想だ、全て俺の。深読みかもしれんし、いつもの思い過ごしかも知れん。
単なる考え過ぎ、心配性の悪癖かも知れんが、しかし。
隣のキョンヒ様を見ると、此方を見ている丸い瞳と目が合う。
その目が余りに大切で。この手の横にある手が余りに大切で。
見る程に、触れる程に、考える程に何故、こんなに大切なものになっていくのだろう。
「すぐに婚儀を挙げるのか」
翁主様が華やかな御声でお問いになる。考え方もやはり似ておられる、流石に母娘だ。
「・・・いえ、そこまでは」
そう首を振ると、大監が取り成すように翁主様へ顔を向ける。
「翁主様。聞き及んだところ、この後秋には迂達赤大護軍の御婚儀も控えておるとの事。それを終えてからが宜しいかと」
「そうなのか」
翁主様の残念そうな御声に、小さな安堵の溜息を吐く。
「は」
「では、それを終えたらにしよう」
「そ」
それは、それはあまりに突然なのではないだろうか。
しかし翁主様に面と向かいお断りするのは、王様に仕える家臣として如何なものか。
俺が言い惑い、口籠ったその時。
「父上も母上も、お止め下さいませ!」
突然のキョンヒ様の声に俺も大監も翁主様も驚いて、その御声の主へ振り向いた。
「先程から黙って聞いておれば、チュンソクの気持ちを無視して。
妾は待ちます。チュンソクの準備が出来るまで何年でも待ちます。
チュンソクが約束をしてくれただけで嬉しくて、胸がいっぱいです。
これ以上はもう良いのです。だからあとは、チュンソクが決めます!きっと決めてくれます!」
そう言い募るキョンヒ様に、俺は茫然と目を当てる。
・・・キョンヒ様。今の御言葉は俺を想って下さるようでいて、非常に重いのですが。
「そうだな。済まぬ、迂達赤隊長。一人娘の婚儀でつい先走った」
大監殿が本当に申し訳なさげに苦笑を浮かべ、俺へと目を移す。
「これで我が家も許婿をお迎えできた。王様の御覚えも目出度い最高の婿殿とは、嬉しや」
翁主様がそう言って、御手で喉元を抑えられる。
お願いしたかった。お許しを得たかった。確かにそうだ。
但しお付き合いの。決して許嫁、許婿になりたかったわけではなく。
何時かそうなったとしても、それは決して今日というわけではなく。
「・・・此方こそ、ご配慮、心より感謝いたします・・・」
それ以上返す言葉も思いつかん。
俺は大監と翁主様のご厚情への礼に見える事を祈りつつ、ただひたすら深く深く、がくりと項垂れた。

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