夏暁【拾】 | 2015 summer request Finale

 

 

「浅いわ」

帰宅するなり玄関先で俺の上衣を無言で肌蹴て、この胸の傷を確かめながら。
額に薄く汗を浮かべたソヨンは回廊を進みつつそれだけ呟いた。
「誰か!湯を持って来て!」

諸肌脱いで腹まで剥き出した俺の横、ソヨンが大声で叫ぶ。
「治療室の灯をつけて、蝋燭も、行燈も油灯も全部!」
回廊の奥が俄に騒がしくなり、慌てたようにはい、という声が返る。
「だから医書を」
「黙っててソンジン!治療が終われば教える。約束だから」
「こんな傷は」
「分かってる、浅い。だけど消毒と薬は絶対に必要なの」
「頼む、ソヨン」
「お願いはこっちよ、お願いだから黙ってて。終わったら必ず教える、そう言ってるでしょう!いい加減に分かりなさい!」

俺の上衣を肌蹴た拍子に取り上げられた医書は、俺の血を吸ったままソヨンの手の中にある。

お前を人質に取られたも同然だ、ウンス。
お前と引き換えられるものなど何もない。黙って頷くしかない。

ソヨンが焦ったように治療室へ俺を引き摺り込むと、医書を乱暴に 卓の上へと放り投げる。
頼む、雑に扱わないでくれ。あの中にいる俺のウンスを。
治療室の寝台に寝かされながら、この目は卓の上の医書から離れない。
治療が遅れる程に、染み込んだ俺の血がお前を消してしまいそうで。
「麻佛散を」
「要らん」
「そのまま縫うの?」
「縫わねばならんか」
「幾針かはね」
「ならば縫え」

ソヨンの溜息、湯を運ぶ家人の足音、そんな音に囲まれながら。
胸の傷を拭う冷たい布の感触、漂う薬の匂い、そんな物に囲まれながら。
ウンス、早く逢いたい。名前だけで良いから。それだけを想いながら、医書を見つめ続ける。

「・・・終わり」
ソヨンが俺の上に屈んだ身を起こした瞬間、寝台の上に跳ね起きて、医書に向かって手を伸ばす。
打ってつけだ、治療のお蔭で部屋の内には灯が満ちている。
「何処だ」
己の血で貼りついた紙を、破らぬように慎重に捲りながら問う。
「このあたりよ」
脇で諦めたように息を吐き、ソヨンがこの手元の医書を覗き込む。
「・・・ここ」

魯国大長公主。恭愍王。張彬。宮中近衛。太祖。桓祖。
これが、お前の言った大切な人たちか。

典医寺。済危宝。東西大悲院。恵民局。
これが、お前の戻りたかった世界か。

医仙 柳 恩綏。
医仙 ユ・ウンス。
「・・・ウンス」
刀傷を逸れ、どうにか無事なままのお前の名を指先で撫でる。
「ウンス・・・」

刃先の残した跡はもう少し前で、記した墨文字を傷つけている。
ささくれて破れた紙表を指先で繋ぐように合わせ、脇のソヨンへ目を投げる。
「此処には何が書いてあった」
前後の文字を確かめるよう幾度も目を通し、ソヨンは俺に呟いた。
「・・・崔瑩大将軍」

崔瑩。チェ・ヨン。書の中でもウンスを守ったつもりか。
それともこの俺に、情けでもくれてやったつもりか。
医書の名であれ、お前に刺さった刃で救われるなど。
「これは、一体いつだ」
王の名は、恭愍王。そして恐らく妃であろう魯国大長公主。
そのあたりに、何か読み解けるものはないのだろうか。

崔瑩の名が刃で傷ついた事、この男に守られたような屈辱感に苛立ちながら、ソヨンへと尋ねる。
「私も詳しくは分からない・・・調べてみる?」
「出来るのか」
「観察使に聞いてみる」
「頼む」

お前などに救われれば救われる程、ウンスを奪い返したくなる。
お前一人がウンスを護れると思うなと、手中の医書を床へ投げ、踏み躙ってやりたくなる。
出来ぬのは偏にその横にウンス、お前の名が記されているせいだ。
そうでなければ、とうの昔に焼き捨てている。この手に医書が渡ったその瞬間に火に焼ている。

こうして傷を縫いまだ生きている。それも敵の男に救われて。
最悪だ。
ウンス、たとえ書の中であれ俺こそが、お前を護ってやりたかったのに。

 

 

 

 

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