夏便り【中篇・壱】 | 2015 summer request・鰻

 

 

「タウンさーん」
切ったニンニクを持ったお皿を、私はタウンさんに上げて見せる。
「ニンニク、これだけで足りるかなあ?」
お皿を覗き込んだタウンさんが私を見て
「鰻だけなら十分ですが、大護軍様に肉もご用意頂いたので」
そう言って厨の隅の棚の上、ザルに入ってたニンニクと生姜をいくつか持ってきてくれる。

「これくらいは必要かと」
微笑むタウンさんに、私は頷いた。
「あ奴はいったい、何を考えておる」
私とタウンさんのやり取りに、叔母様が首を捻る。
「好き好んでこの暑い最中に、外で焼き物など」
「あ、違うんです叔母様」

私はスプーンで生姜の皮をこそぎながら首を振る。
「私が頼んだんです。鰻がものすごい大量に届いたので。どうせなら魚だけじゃなく、お肉も食べたいなあ、って」
「夫婦揃って物好きな・・・」

首を振る叔母様の横、マンボ姐さんが横槍を入れる。
「うちの客だって、みんなクッパを外で喰ってるよ。悪かったね」
「お前のところは、最初からそんな店だろう。今更気取ってどうする」
「うちも最初っからそんな家ですよ、叔母様。気取ってどうしますか」

私が混ぜ返すと呆気に取られたようにポカンとした叔母様が、やがて噴き出した。
「違いない」
「そうですよ!」
「で、肉はどうするんだい」

マンボ姐さんがようやく笑った叔母様の後に続く。
「そのまま焼くのかい」
「あ、ヤンニョムがありますから、それにつけて揉んでおけばすぐに食べられます。味付けも後でしなくていいし」

私は厨の隅に埋めた壺のフタを開けて、ヤンニョムを柄杓で大きな丼に移した後、マンボ姐さんに運んだ。
「ヤンニョムか。何が入ってるんだい」
丼を覗き込んだマンボ姐さんと叔母様に、タウンさんが
「醤油に生姜、葱、大蒜に胡麻、松の実、干し海老、柿に梨汁と擂った実。
それに味噌、アミの塩辛、胡麻油、魚醤などが」
我が家の秘伝のレシピを、そんな風に惜しげもなく公開してくれる。
「ほお、大したものだ」
叔母様が木の小さなスプーンで丼の中のヤンニョムを掬い、味見をしながら満足げに頷いた。
「ウンス様は本当にいろいろよく御存知です」

タウンさんの声にマンボ姐さんが
「やっぱりうちにおいで、天女。一緒に商売しようじゃないか」
って大きな声で言った。その姐さんのスカウトに、苦い顔をして叔母様が首を振る。

「あ奴が許すわけがなかろう。本当に諦めの悪い女だな」
「天下に轟く大護軍が聞いて呆れるよ。女一人に目の色変えて。高麗の護り神は随分肝っ玉が小さいね!」

その声に厨に出入りして料理を運ぶ武閣氏のオンニたちが、一斉に花が揺れるように笑った。

 

*****

 

「シウル、チホ」
ヒドの声に、奴らが振り向き駆けつける。
「何だ、ヒドヒョン」
ヒドは懐に腕を突込み、其処から重い音を立て銭を掴みだす。
「酒を買ってこい」

それを掌に受けながら、シウルが目を丸くする。
「銀貨だぞ、ヒョン。大金じゃないか。全部酒を買うのか」
「諄い」
「だけどヒョン、本当にこれ全部酒を買うなら、とてもじゃないけど俺たちだけじゃ運びきれないぞ」
チホが困ったように首を傾げる。

その声に、離れたところで炭火を熾す奴らへ声を掛ける。
「テマナ、トクマニ」
「はい!!」
火を熾す輪を抜け出した二人がすぐに此方に駆けてくる。
「チホとシウルに加勢しろ」

そう言うと煙除けに鼻口を覆っていた手拭いを緩めたトクマンが
「大護軍、加勢って何を」
怪訝そうに尋ねつつチホとシウルを見る。

チホが得意げに顎を上げて言う。
「俺達のヒドヒョンが酒を振舞うんだからな。お前は黙って敬って三拝してから飲めよ、良いな」
それに顔色を変えたトクマンは
「俺の大護軍が肉と鰻を用意したんだからな。お前は皿の前で確り九拝してから喰えよ、良いな」
負けじとばかり、そんな風に怒鳴り返す。

乳臭い口論に俺とヒドは眸を見交わし、それぞれ奴らの頭を叩こうとしたところで、折良くチュンソクが
「お前ら、何を下らぬ事を大声で叫んでる!」
そう言って炭火の前から立ち上がり、此方へゆっくりと歩いてくる。
「さっさと行って戻って来い、人手が足りん」
「は、はい」

チュンソクの声に四人が各々頷く。
シウルとトクマンは肩をぶつけ揉み合うよう、我先にと宅の門を飛び出して行く。
チュンソクは奴らの背を見送った後、ヒドに向けて軽く頭を下げた。
「申し訳ありません、本来ならば俺がすべきことでした」
そう言って懐へ手を伸ばすのに
「良い」
ヒドがそれだけ言って、チュンソクの手を眼で制す。
「しかし、ほとんど迂達赤の奴らが飲みます」
「誰が飲もうと構わん」
「そう言うわけには」
その声に少しだけ目許を緩めると、ヒドは庭を見回した。

「誰も彼もない。此処に居るのは皆、こいつの家族だ」
ヒドの声にチュンソクは少し表情を緩めて頷いた。
「確かに」
「厄介な男だからな」
「はい」

チュンソクは苦く笑みヒドへ呟いた。
「もう、六年近くもです」
チュンソクの告白にヒドも頷き返す。
「苦労だな」
「他は完璧なのですが」
「あの女人が絡むとな」
「ええ。困ったものです」
「・・・黙って聞いていれば」

俺は無言で頷き合う目の前の男二人を睨む。
「お前ら、好き勝手をほざくな!」

俺の声に、居合わせた庭中の男たちが大声で笑う。
笑い声は庭の木立を震わせ、高い夏空へと吸い込まれていった。

 

*****

 

「出来そう?タウンさん」
「これは、いささか・・・」
「無理はするなよ」
「はい、隊長」
俎板の上。滑って逃げる鰻を追い駆けながら、タウンさんが困った顔で首を振る。
「これほど難しいとは、考えもしませんでした」
「ただぶつ切りでは駄目なのか」
「実は、叔母様」

叔母様の気持ちも分かるけど。それでも私は首を振る。
「鰻だけは、よーく火を通したいんです。ぶつ切りだとどうしても中に火が通りにくいので」
「そうなのか」
「はい」
難しい顔で叔母様が頷いた。
「そなたがそう言うならば、理由があるのだな」
「そうなんです。だけど、捌くのがこんな大変だなんて」
厨で顔を近づけあって、私とタウンさんと叔母様は逃げそうな鰻をどうにか押さえながら覗き込む。

「理由とは」
「鰻の血なんです。血に毒が含まれてるので、きれいに洗って、身の内側までよく火を通さないと」
「そうなのですか、ウンスさま」
「そうなの。火さえ通れば問題ないんだけど」
「成程。確かにどれ程新鮮でも、生で鰻を喰う話は聞いたことが無い」
「でしょう?多分それが理由だと思います」

厨の中に入って来たあの人が俎板を覗き込む私たちに気づいて、手に取りかけた器を置いて声を掛ける。
「どうしました」
私の困ったような顔に目を眇めると
「・・・何が」
低く小さくなった声に、私は慌てて首を振る。
「鰻を捌きたいだけなんだけど、うまくいかなくて」

「よ、ヨンア、気を付けて」
金の輪を外してこの方へ預け、俎板の上で鰻の頭を落そうと包丁を握る俺に向かい、この方が早口で言った。
「何ですか」
「目に入らないようにね、鰻の血はイクシオトキシンが含まれてるの」
「は」

いく何やらは知らぬが、良いものではない事は確かだろう。
「そうなのですか」
「うん。目に入れば結膜炎。酷い時には失明するし、口から入れば舌や咽喉の炎症。
アナフィラキシーショックを起こす事もあるわ」
「それは・・・喰って良いのですか」

何やらおどろおどろしい天界語の羅列に、俺は眉を顰める。
身内同然の奴らに、毒と判るものを喰わせる訳にはいかん。
「大丈夫。熱にはすっごく弱いから、焼いちゃえば全然問題ないの。でも捌く時はどうしても血が飛ぶでしょ」
「チェ・ヨン殿」

厨を覗き込んだ男の声に呼ばれ、顔を上げる。
そこに立っていたキム侍医が集った俺達を見つけ、厨へ入って来る。
「器が届かぬので、見に来ました。どうしました」
「鰻を捌こうとしていた」
「格闘中ですか」
「いや。ただこの方が鰻の血に気を付けろと」
「そうなの、血だけは毒だから」

キム侍医は小首を傾げて俎板の上の鰻を眺める。
「血が飛ばないなら良いのですか」
「飛んでもいいのよ、粘膜に触れなきゃ大丈夫。別に、肌から有毒成分が吸収されるわけじゃないし」
「・・・成程」

キム侍医は桶の鰻を一匹握って、矯めつ眇めつその身を確認し、桶へと戻すと俺に振り向いた。
「チェ・ヨン殿、私に試させてください」
包丁を握ったままの俺に向かい差し出されたキム侍医の手に、この方は首を捻る。

 

沸かしていた熱湯で懐から出した長鍼を漱いだキム侍医は、俎板の上、迷う事無く鰻の脳天にその太い鍼先を突き刺した。
動きの止まった鰻の背に包丁の刃先を入れ、蛇のような長い体を骨に添って、滑らかに開いていく手先。
この方が驚いたように、その指に見入る。
「腹から裂けば、心の臓を始め内臓があります。鰻の血が毒ならば、それらを誤って潰せば面倒でしょう」

キム侍医は愉し気に鰻の体を背からきれいに開き、続いて逆から刃を添えて、その中骨を内臓ごと体から外した。
「先に全て開いてしまいましょう。後で纏めて洗えば良いかと」
「医官は指先が器用だな」
「チェ・ヨン殿。医官だからではありません」

キム侍医は、僅かに咎めるように俺を見た。
「私だから、これ程きれいに捌けるのです。人相手の手術の業は、到底ウンス殿には及びませんが」
「・・・性悪の上に、自信家か」

からかうような声にキム侍医は二匹目の鰻を桶から掴みながら
「生まれつきです」
と、涼しい顔で言った。

キム侍医が瞬く間に捌き終えた鰻の体を水で清め、俎板の上でぶつ切りにしていく。
居間の卓上には、肉やら野菜が所狭しと並べられる。
縁側には、使いに走った男四人がようやく抱えて来た酒瓶と盃が隙間なく置かれる。
どれもこれも呆れるばかりの量だ。
「一体、どうやって喰い切る」
「まあ見ていろ」
俺の声に、横のヒドが愉快そうに低く返す。

始めの支度の整った庭、彼方此方に点々と散らばる人影の中、叔母上の姿を眸で探す。
ようやくタウンや武閣氏たちと談笑する庭隅の叔母上を見つけ、其処へ向かって駆け寄る。
「叔母上」
「何だ」
「さっさと音頭を取ってくれ」
「お主の宅で勝手に開いた宴に、なぜ私が」
「一番の年長者だろ」
「失礼な!」

速手が飛ぶかと身構えると人目の在る処では配慮したか、憤懣遣る方無しといった面で叔母上は吐き捨てた。

「最年長は私ではない。マンボだ!」

その声に武閣氏たちが笑って良いのか惑う目を見交わした。
どうでも良かろう、そんな事。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    さらんさん~
    此度のお話も楽しい~です(^^)
    ヒドとチュンソクの会話!!
    良いですねぇ(笑)
    チュンソクもこの時とばかりに
    日頃の思いの告白に(爆)(爆)

    王様と王妃様にも召し上がっていただきたいなぁ~(^-^)

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    珍しく間の良いチュンソク、すっかり陽の光が似合うようになったヒドヒョン、賑やかな若い奴ら、キム侍医とヨンの軽妙な会話。女性陣の楽し気な様子・・・。そして、相変わらずなヨンとウンス。
    ずっと続いてほしいと思ってしまうような幸せな時間ですね。
    いつも感じることですが、映像が浮かんできます・・・。さらに、それぞれの心の声にまで、頷いたり笑ったり、反応してしまっています。すっかり参加しちゃってる気になってるんです。
    本当に、さらんさんのお話ステキです。
    この夏は土用の丑の日を逃してしまいましたが。めちゃくちゃ鰻が食べたくなってきました❗やっぱり食べに行こうかな♡

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    最高ですね!夏空の下、鰻、肉、お酒。暑気払いにはもってこいです(≧∇≦)
    キム侍医のお陰でぶじに鰻も捌けたし後は焼くだけ。想像しただけで…はぁ美味しそう。みんな幸せそうで、その情景が目に浮かび、私も幸せな気持ちになりました。
    早く宴を始めましょう(*^_^*)

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