夏の熱 【後篇・終】| 2015 summer request・熱中症

 

 

「テマンの脈だけ、取らせてくれる?」
ウンスの懇願にトギは頷く。
それに笑みテマンの脈を注意深く読んだウンスは、相当な時間を掛けた後に頷いて、しゃがみこんだ石桶の横から腰を上げた。

「落ち着いてる。だけど無理しないで。呼吸がおかしくなったり、痙攣したりしたらすぐ呼んでね?中にいるから。
冷やし過ぎも駄目。トギもよく知ってると思うけど。時間になったら呼びに来るわね」
分かった。
指で返すトギに笑いかけると、ウンスは典医寺へ戻ろうと歩き始めた。

この男は、やっぱりそっくりになってしまった。
トギはそう思いながら、瞼を閉じたままのテマンをじっと睨む。
だから心配だったんだ。大護軍のあの背中ばっかり追い駆けて。
あの頃から何も変わってない。良師の毒を受けるあたしを、体を張って庇おうとした時から。

こいつは馬鹿だ。大護軍の事しか考えてない。
きっと息を習ってるのだって、大護軍の為だ。
そんなこいつに腹を立ててるあたしも馬鹿だ。
だけど、友達なんだから、もう少し考えてくれてもいいと思う。
友達を心配させたら悪いって、そう考えるくらいはいいと思う。

友達なの?

さっきのウンスの声が、何度も木霊する。
友達に決まってる。チャン先生がいた時に、腹を壊したこいつに初めて逢った。その時からずっと知ってる。
話せないあたしに、笑いながら話しかけてきた。
話せないあたしが、当たり前だって顔をしてた。
山からやって来たこいつの声が痞えるのを、当たり前だってあたしが思ったみたいに。

草の声が聞こえるあたしと、鳥や獣の声が聞こえるこいつと。
お互いにそれが当たり前だったし、一緒にいたって当たり前だった。
本当は当たり前のことなんて、この世に一つもないのに。

天からウンスがここに来た事も。
消えたウンスが戻ってきた事も。
ずっと一緒にいたチャン先生がいなくなった事も。
こいつと逢えた事も。今一緒にいる事も。
当たり前のことなんて、この世に何一つないんだ。

陽が照って雨が降って、草や木を大きくしてくれる事も。
草が生えて木が茂ってその葉や種をあたしにくれる事も。

水の中で、こいつが大きく息をする。そしてその目が薄く開く。
「・・・あれ。トギ」
あれ、トギじゃない。
腹が立ったあたしは手で水を掬って、その顔に思い切り掛けた。
「ぷっ」
正面からその水を受けて、こいつが息を詰めた。
「急になんだよ!」

腹が立った。もう少し自分の体を大切にしたらどうだ。
大護軍が大切なら、自分を大切にするのが第一だろう。
あんたが体を痛めたら、あの大護軍が喜ぶと思うのか。

「・・・ごめん」
あたしに謝る必要なんてない。自分に謝れ。自分の体に。
一つしかない体に粗末にして、こき使って済まないと謝れ。
そして確り食べて、確り飲んで、確り眠って。分かったか。
「うん、分かった」
分かったらもういい。冷え過ぎも良くないから。
薬湯を出すから、飲んで、今日は何もせずにゆっくり休め。

「トギヤ」
何だ。
「心配かけて、ごめんな」

こうやって本当に申し訳なさそうにこっちを見るのも、その声を聞けるのも、当たり前なんかじゃない。
当たり前の事なんて何一つない。

気陰両虚証だって。暑と湿の邪気に中った。疲れてる上に、水も飲まなかったろう。
「うん、つい忘れてたんだ。倉庫にいたから。いつも大護軍に口を酸っぱくして言われてたのにな」
忘れてた、じゃない。汗をかくなら水を飲んで。当たり前だろう。
「わかった。気を付けるから怒るなって」

指を止めて首を振る。怒るのは厭だ。疲れる。だけど怒らないと。
こいつには疲れても、嫌われても怒らないと、何かあってからじゃ。

ウンスの声が、木霊する。

怒るのは、他の人の役目だから。

ねえウンス。怒るのはあたしの役目かな。
でも疲れても怒らないと、無茶したこいつに何かあってからじゃ、遅いと思うから。

衣を持ってくる。
あたしが指でそう言うと、こいつは初めて水の中、自分が下衣だけしか身につけていないのに気が付いたらしい。
慌てて隠そうとしたって澄んだ水の中だ。隠しようもない。
そんなの構わない。ちょっと待ってて。
あたしがそう言って立ち上がるとテマンがちょっと口を曲げて、水の中で体を丸めて、立ち上がったあたしを見上げた。

「何かトギ、普通だな」
何が。
「俺だけ慌ててるじゃないか」
その声にあたしは噴き出した。
逆にあたしがその恰好だったら、あんたは慌てるのか。
そう指で訊くと、こいつは首を傾げた。
「・・・お前が元気になったら、他のことはどうでもいいや」

ほら見ろ。同じじゃないか。
そう言ったあたしに、こいつは笑って頷いた。
「そうだな」

そうだよ。同じだよ。同じなんだよ。

 

*****

 

「トギ?」

典医寺への扉が開いて、ウンスと大護軍が顔を覗かせる。
体を丸めてるこいつと立ち上がったあたしに向けて、こいつの衣を抱えた大護軍と、その横を跳ねるみたいにウンスが歩いてくる。
あたしの手に手拭いとこいつの衣をぼんと乗せると、大護軍は呆れた顔で水の中のテマンを見詰めた。
「勘弁しろ」
「・・・はい」

こいつはしょぼんと小さくなって、大護軍の声に俯いた。
「お前に何かあれば、トギが怒る」
「え」
「先刻俺は怒鳴られた、らしい」

その声にあたしは慌てて指で言う。
大護軍に怒鳴ったわけじゃない、そうじゃなくてこいつが心配で。
ウンスが横でくすくす笑いながら、大護軍に首を振る。
「そうじゃないのよヨンア。トギはただ」

そこで言葉を切ると、ウンスは大きく笑った。
「トギはただ、心配で怒っただけ。あなたにじゃなくて、テマナに」
「もうしません」

しょんぼりするこいつに、大護軍は顎だけで頷いた。
「心配させるな」
「はい!」
「・・・テマナ、判るな」
「え」

急にそう言われたこいつは、子供みたいな顔で大護軍を見上げた。
「俺だけじゃない」
「・・・はい」
「もう、俺だけじゃない」
「はい!」

こいつは大きく笑った後、こっちに向けてばつが悪そうに、水の中から体を丸めたまま、目いっぱいその腕を伸ばした。
「トギ、衣」
その声にウンスが噴き出した。
「どう、あの言い方。どっかの亭主関白みたいじゃない?」
大護軍が腕を組んで苦く笑った。
「俺より偉そうだ」

その言葉に慌てて首を振りながら、こいつが叫ぶ。
「そ、そんなことないです!そうじゃなくて」
「ああ、良い。早く着替えて休め」
大護軍は首を振ると、こいつを見て目許で笑った。
「今日は何もするな。典医寺で休んでから帰って来い」
「はい」
「しっかり謝れよ」

そう言って踵を返しウンスの横を守って典医寺へと戻る大護軍の背を、あたしたちは目で追い駆けた。
その姿が扉に消えて初めて、我に返ったようにテマンがもう一度、水の中から腕を伸ばす。
「トギ、衣」
そして慌てたように
「ください」

そう付け足した声にあたしは噴き出して、立ったままテマンに向けて腕をいっぱいに伸ばして、手拭いを渡して背を向けた。
「背中向けたら、話せないだろ」
背中越しに不満そうなこいつの声がする。今は話せなくて良い。
そっちを向くわけにいかない。
あたしはこいつの衣を胸に抱えたままで、思い切り首を振る。

「お前が元気だったら、俺は何見ても見られても構わないのに」
こっちは構う。それくらい分かってよ。

「おかしな奴だな」
首を振り続けるあたしの背中で、愉しそうなテマンの笑い声が弾けた。

 

 

【 夏の熱 | 2015 summer request・熱中症 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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