星雨【陸】 | 2015 summer request・流星群

 

 

「そなたの狙い通り。これが張 士義だ」
地に斃れた男の首級を部下が見せるのを確かめながら、托克托がチェ・ヨンの隣に並べた馬の鞍上で言った。
「頭を失って敵が散ったのも、そなたの狙い通りだな」
托克托が笑いながら、鞍上から周囲を見回す。
累々と並ぶ屍以外に、今や殿内に敵の気配はない。
「高麗軍は退く。完膚なきまで潰すならば好きに」

それだけ伝えたチェ・ヨンは愛馬の鞍上で鬼剣を一振りし、手綱を牽いて、翼を閉じた鶴翼陣のままの高麗兵を見渡す。
「無事か!」
その声に、目前の二千が声を返す。
「は!」
「各陣頭、兵を確認しろ!」
暫しのざわめきの中、チェ・ヨンは祈るように目を閉じる。
「テマナ」
チェ・ヨンの低い呼び声に声が返る。
「はい、大護軍!」

テマンが馬を駆り、各陣を廻ろうとチュホンの横を風のように抜けて行く。
二千を六に割った陣の鶴翼。その頭が全員の無事を確認するまで。
「大護軍!」

馬で駆け戻るテマンの嬉し気な叫び声に、チェ・ヨンはそれ以上何も尋ねず黒い眸を開く。
「退くぞ!」
愛馬の首を返し破られた豪殿の門へと駆けるチェ・ヨンの後に高麗の兵たちが続く。
先頭で小さくなっていくチェ・ヨンの鎧の背を見詰め、托克托は苦笑いを浮かべた。

 

「泰州は見事な大勝だった」
天幕の中での軍議の席、托克托は満足気に頷く。
「逆賊が仕舞いこんでいた物資も、殿の宝物も全て押収した。張家は製塩で財を成した大豪族ゆえ、蕩尽の限りを尽くしている。
その財を抑えるのも此度の討伐の目的だ」

そんな物に興味はない。元にいる間、兵が飢える事さえ無くば良い。
チェ・ヨンが興味を示さず無表情のままなのを不思議な物でも見るように、托克托はじっと眺めた。
「褒美の一つも求めないのか」
「・・・は?」
托克托の声にチェ・ヨンは眉を寄せる。何を言い出すかと思えば。

褒美なら勿論欲しい。喉から手が出るほどに。
お前たちの下らぬ楔を解き高麗を自由にしろ。
それが出来ぬ相談だというなら、黙っていろ。

「そなたの此度の活躍は勿論皇帝へ奏上する。さぞ慶ばれるだろう」
こうした高官の声ほど当てにならないものはない。
高麗の兵の手柄では、元軍の面目は丸潰れだ。
己の手柄として、せいぜい大きく吹聴するが良い。
托克托の声に皮肉気に片頬で笑むと、チェ・ヨンは頷いた。

「次は興化だ。どうするのだ、また鶴翼陣か」
托克托の声に、チェ・ヨンは首を振る。
「偃月陣で」
「そなたが先陣を切るというのか」
托克托は合点が行かぬという様子で、チェ・ヨンへ向き直る。
「何故それ程大きな拠点でもない興化で、先陣を切ろうとする」
チェ・ヨンは托克托の声に首を振る。

元に渡る旅を始めそろそろ一月半。兵たちも疲れが見え始めている。
此処で士気が落ちれば、この後の攻めに影響が出る。
戦が長引くほどに、怪我を負う兵も増える。そして万一兵を失えば。
あの天の医術を持つ方が居らぬ今、切れた首を繋げる医官はいない。

その言葉の全てを飲み込み、チェ・ヨンは呟いた。
「最も有効かと」
「そなたが言うなら、そうなのであろう」
托克托は頷いて、自陣の兵たちへと元の言葉で何かを告げた。
「戦場ではチェ・ヨン殿と高麗軍に従え、と」
チェ・ヨンの横、テマンが嬉しそうに言葉を添えた。

 

興化を何故、逆賊が押さえたのか。
その地を眺めて、チェ・ヨンにはすぐに合点が行った。
黄河と交わっている、その拠点であることが理由の筈だ。

此処をこそ徹底的に落とす。
評判は運河を渡り、広く元の地へ流れて行くことだろう。
元に恩を売る、勿論それもある。
それ以上に戦を短く終わらせるには、敵の心を恐怖に叩き込む事。
その恐怖心こそが、最も犠牲を少なく、短期間で戦を終結させる。

出陣前の最後の夜。
チェ・ヨンは天幕の中、運気調息で己の息を整える。
テマンを入口に立たせ、その横に念の為アン・ジェと共に禁軍のアン・ジェの副官も立っている。

結跏趺坐を組み、深く息を吸い、平に吐く。細く長く、均等に。
入口に立たせた三人の事も、自分が何処にいるかも、全てがまるで紗に隔てられた向こう、他人事のように揺れている。

どこまでも降りて行く。いや、昇っているのか。
それすらも判らなくなる中、何処かへ行く道を辿って。
何かを探して。いや、手放そうとしているのか。
それすら見えなくなっていく中、唯一つ最後まで追う。

あの瞳を。あの声を。振り返る笑顔を。紅い髪を。

それすらも霞んでいく意識の中で、最後に呼び掛ける。
誰よりも愛しい、ずっと待っているその名を。

深く繰り返す息に交じり、チェ・ヨンの唇がゆっくりと動く。

 

「チェ・ヨンは、どうしている」
天幕の中、托克托が自軍の副官に声を掛ける。
「天幕の入口に兵を立たせ、中に一人でいるようです」
「・・・そうか」
「托克托様」
不満げな副官の声に、托克托が振り返る。
「何故それ程、あの高麗の者を重用するのですか。
確かに武芸には秀でておりますが、たかだか属国の、王族ですらない一兵です」

その明らさまな侮蔑の声に、托克托は曖昧に笑った。
「そなたにはそう見えるか」
「違うのですか」
「・・・いや、物の見方はそれぞれだ」

托克托はそう言って頷く。
自分ならば高麗王以上に、あの男を敵に回したくない。
しかし生かしておくにも恐ろしい。
あの男を生かし続ければ、いつか我が国を脅かすだろう。

欲しがる事も、己を守る事も知らぬ。あの忠実さ、真直ぐな姿。一人の兵も失わぬという気迫。
敵地の中央で幾ら敵の気配がないとはいえ、自陣の兵の全員の無事が確実に分かるまで、一歩も動かぬその勁さ。
宗主国の高官である己に向かった、歯に衣着せぬ物言い。そしてその男の声だけに従う、一糸乱れぬ全軍の動き。
その頂上に、あの男が唯一仕える高麗王が君臨している。

高麗の者にいつか伝えろと言い遣った、我が家の言葉。

あの当時の若い王祺にも伝える事はなかった言葉を、生かすのも殺すのも惜しいチェ・ヨンに伝えるべきか否か。

胸の内で自問しながら、托克托は首を傾げた。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さらん様
    更新ありがとうございます。
    大切に読ませて頂いています。
    眠れていらっしゃいますか?
    ご無理なさらないでくださいね。
    くれぐれもご自愛下さいませ。
    お節介な、おばさんの1人ごとです。

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    さらんさん、今夜も素敵なお話をありがとうございます。
    無欲とは、何よりも強い武器なのですね。
    男前で頼もしいヨンのカリスマ性は、味方のみならず敵をも魅了するのかもしれません。
    ああ、ポニーにでも乗って、一緒について行きたいε-(´∀`; )
    置いていかれますね、おそらくσ(^_^;)。
    ところでいつもながら、さらんさんのお話は、勉強になります。
    スマホの辞書機能や検索機能を使い、「へぇぇ」と感心しています(#^.^#)。
    さらんさん、おやすみなさい❤︎

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    さらんさんこんばんは。
    高麗の武士チェヨンの心の内
    文にして解るから痛くて苦しいです。
    さらんさんの心の内はいかがですか?
    心の整理はついたのかしら?
    いろんなことが起こっても
    義理固いさらんさんは
    キリがつくまで
    きちんと最後まで書いていくんだろうなぁ
    読者としては有り難く
    ただただ
    素敵なお話をありがとうございます
    としか言えません。
    なにとどご自愛しつつ
    私は続きをお待ちしております。

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