錦灯籠【拾】 | 2015 summer request ・鬼灯

 

 

「大護軍!」

そう言って駆けこんだ庭の縁側。
大護軍がずぶ濡れの俺に、流石に少し驚いたように目を瞠る。
「・・・どうした」
「雨で濡れました」
「見ればわかる。イムジャ」

大護軍の呼び声に、先日通された居間と思しきお部屋の奥から
「トクマン君、びしょびしょじゃない!」
大きな声と共に、医仙が顔を覗かせる。
「ちょっと待って、手拭い。ヨンア、どうしよう。着替え・・・」
「こいつの丈なら、俺のもので構いません」

その声に、医仙が慌ただしく廊下を駆けて行く。
「いえ、それは、そんな事は良いんです、大護軍。それより」
俺は縁側の軒下、どうにか濡れぬように胸に抱え込んでいたあの深紫の包みを、縁側の大護軍に差し出した。

「アラの庭のほおづきの下から、これが」
大護軍は泥で汚れる事も気にしないように、手で包みを受ける。
さっき俺が解いたせいで、碌に結ばれてもいない結び目を簡単に解くと、その深紫の包みの中の白い小さな塊を目にしただけで
「・・・埋めてあったか」

それだけ言って包みをしっかりと結び直してふと縁側を立ち、そのままその紫の包みを、居間の仏壇へと上げてくれた。
線香の先に蝋燭の火を移し、それを香炉の中へ供え、仏前で手を合わせ、頭を下げた後に縁側へ戻って来た大護軍に
「この紙が、一緒に包みの中に」
渡した泥で汚れたその紙を、大護軍の指が開く。
無言で掠れた墨痕を目で追い終えた大護軍は、息を吐いてそこから俺をじっと見上げた。
大護軍の視線を、こんなに下から感じるのは初めてだ。
俺は軒下に立ち尽くし、大護軍は縁側に胡坐のままだから。

見下ろすのは失礼な気もするが、濡れたまま縁側に腰を下ろすのも気が引ける。
その時医仙が奥から手拭いを持って駆け戻って来る。

「トクマン君、何で立ったままなの。座って。これ使って」
そう言って俺に手拭いを渡すと、早口で大護軍へと問いかける。
「ヨンア、お風呂、今日はトクマン君が一番でもいいよね?」
「そうして下さい。これでは帰せん」
「分かった」
「良いんです、本当に、それより」
「トクマニ」

己の声を遮るように、大護軍の低い声が掛かる。
「・・・はい」
「まず風呂に入れ。そして飯を喰え。話はそれからだ」
異論の声を上げることも出来ず、俺は縁側の軒に立ったままで頷く。

案内された大護軍の湯屋、濡れそぼった着衣を一枚ずつ剥いで行く。
風呂桶に深く沈み、顎まで温かい湯に浸かり、立ち込める湯気の中で俺は少しだけ、声を殺して泣いた。
見つけた包みの中身の重さ、読むつもりはなかった手紙の悲しさに。

分かってやれるはずなんてなかった。俺は男だから。
話はない、そう言われて当然だ。話せるわけなんてない。
ごめんな、ただ心の中で謝りながら。
家族だからなんて、簡単に言ってごめんな、アラ。

 

*****

 

「・・・ありがとうございました」

お借りした大護軍の衣を身につけ、頭を下げ礼を言う俺の声は、自分で聞いても酷い鼻声だ。
大護軍は俺の赤いだろう目を見て、それ以上は何も言わずに
「飯だ」
それだけ言って、居間に腰を据える。

「・・・お酒、飲む?」
医仙がそう言って、大護軍と俺を交互に見渡す。
「飲むか、トクマニ」
「いや、俺は強くないんで。飲んだらまともに話せません」

俺が首を振るとそれ以上無理に勧める事も無く、大護軍は顎で頷き、 湯気の立つ卓の上の飯を目で指した。
「喰え」
「・・・頂きます」

俺が着座し頭を下げると、大護軍は箸を上げ、卓に向けて一礼した後、黙って喰い始めた。
医仙は、そんな大護軍と俺をただ見守るよう、座ったまま静かに茶を飲んでいる。
と思うとなぜか突然、口を開け大護軍を見た。

大護軍が、医仙の目線に、上げた箸をふと止める。
そして皿の上のチョリムを摘まむと、丸く開けた医仙の口へとその箸の先のチョリムを差し入れた。
医仙は黙ってそれを噛みながら、嬉しそうに頬を押さえる。

そして大護軍の飯の器が空になると声で尋ねるでもなく、もっと 食べるかとでも言うようにその目で問う。
大護軍が微かに目許を緩め、小さく首を振る。

ああ、良いな。いつもこんな風に食事をされてるのか。
そんなお二人を向かいから盗み見ていて、心が和む。

何をするわけでもない。
大護軍が雷功を放ったり、鬼剣を振ったりするわけでも、医仙が天界の医術を遣ったりするわけでもない。
ごく普通の、何処にでも転がる、在り来たりの夫婦の光景だ。

でもだからこそ、大護軍がいつもあれ程医仙を大切にするのは。
そして医仙が四年もかけて丘で待つ大護軍の許へ戻って来たのは、この在り来たりの光景を手に入れるためではなかったのかと思う。

良いな。俺には其処まで思う相手はいないけれど、そう思う。
俺もいつか、そんな相手に巡り会えれば良いなと。傷ついたアラも、そんな相手と巡り会って欲しいと。

そして自分が此処に邪魔をしている事を、心苦しく思う。本当なら二人きりにして差し上げるべきだよな。
「・・・済みません」
「謝ってばかりだな」
大護軍が茶を飲みながら息を吐く。
「いや、物凄い邪魔者みたいな気がして」
「おかしな気を回すな」
「そうよ、トクマン君!」

そう言って医仙が大きく笑う。
「いつでも大歓迎だから。今はタウンさんが作ってくれてるから、ご飯の味も保証つきよ!」
「確かに、美味いです」
「でしょう?我が家のシェフは天才だもの」
「しぇ」
「ああ、えっとね、お料理作る人」

俺と医仙の遣り取りを、大護軍は茶を飲みながら聞いている。ただ優しい目で、医仙を眺めながら。
そして医仙の言葉が切れた処で
「さて」

静かに大護軍が言うと、医仙は立ち上がり
「片付けてこようっと」
そう言って卓の上の食器を小さな音を立てて集め始めた。

「あ、手伝います」
そう言い立ち上がりかけた俺を手で制すと、
「いいのいいの。それよりトクマン君、今日の着物、うちで預かるけどいいわよね?今の着物着て帰ってね?」
「いえ、其処までご面倒を掛ける訳には」

医仙の声に慌てて首を振る。それじゃあ、本当にただの邪魔者だ。
いきなり雨の中を押し掛けて、風呂を頂き飯を頂き、挙げ句の果てに濡れた衣を置いて帰るなど。

「え、だって濡れた着物また着る方が面倒じゃない?ただ、靴だけは仕方ないけど・・・どうしようかな・・・」
「それは構いません、沓くらい濡れててもいくらでも歩けます」
「うーん、じゃあ帰るまでどうにか頑張ってみるわ。ヨンア、もうちょっとトクマン君と一緒にいるわよね?」
「ええ」
「うーん、水を吸うなら紙かなあ・・・ヨンア、何か書き損じの紙とか、どこかにしまってない?」

その医仙の言葉に
「俺は書き損じなど、下手はしません」
兵舎では絶対に聞く事のない、少しむきになった大護軍の声。
「必要なものを持ってない時に、そんなに自慢してどうするの」
それに応える楽し気な医仙の、小さな忍び笑い。

ああ、良いなあ。俺がもう一度そう思った時だった。
「ウンス様」
縁側から、控えめな女人の声がした。
先日俺達が押し掛けた折、寝屋の前で見た顔だ。
隊長が、元武閣氏の剣戟部隊長だったと呼んだ女人。

急いで頭を下げると、女人は同じように頭を下げ、そして医仙にそっと告げた。
「少しお邪魔しても宜しいですか。離れで確めて頂きたいことが」
「何かあったの?ヨンアじゃなくて、私でいいの?」
「ええ、ウンス様に見て頂かねば、私では・・・」
「コムさんの怪我とかじゃないわよね?」
「ああ、そうではないのです」
「じゃあヨンア、ちょっと行ってくる」
「分かりました。タウン」

タウンと呼ばれた女人が、大護軍の目に真直ぐ頷いた。
それを見て少し安心したように顎で頷き返す大護軍を、俺は無言でじっと見ていた。
医仙がタウンと呼ばれた女人と共に、庭を歩いて行った後。
「さて」

大護軍は仕切り直すように、もう一度低く呟いた。
「どういう事か、大方判った気がする」
そう言って卓前から立ち上がり、先程仏壇へ置いて下さったあの紫の包みを取り上げて、ゆっくり卓へと戻って来る。
「トクマニ」
呼び掛けられた声に俺は包みから目を上げ、大護軍の顔を見た。
「はい」
「察しはついているだろうが」
「・・・はい」

大護軍は泥に汚れ、墨痕も褪せかけたあの紙を包みの脇へ置く。
そして何も言わずに唇を結び、包みを開いて紙を丁寧に中へと納めた。
「壺を用意してやれ。包みだけでは土の中」

俺を見てから眸を伏せ、深紫の包みへ視線を落とすと
「・・・寒かろう」

大護軍の声を聞きながら俺はまた泣き出さないよう、目を閉じて頷いた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    涙が溢れてきて文字が・・・
    心が辛い時の
    こういう気遣いに癒されます。
    そんな事ができるヨンとウンス
    そしてタウン、みんな素敵です!
    もちろんさらんさんも!(^^)

  • SECRET: 0
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    さらんさん、土の中から見つかったのは、アラの大事な人だったのでしょうか…。
    なんとも、切ないお話なのですね…。
    そんな重い事態だからこそ…なのか、ヨンとウンスのほのかに甘い雰囲気がほっとするトクマンの気持ち、わかります❤︎
    さらんさん、読みごたえのある素敵なお話を、ありがとうございます(´Д` )あ

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