独脚鬼【壱】 | 2015 summer request・お化け

 

 

【 独脚鬼 】

 

 

ウンスに呼び出された夜の典医寺。

何事かと駆けつけるとウンスの部屋の灯は既に落ち、周囲はしんとした静けさの闇が広がるばかりだ。
チェ・ヨンは呆気に取られ闇の中で首を傾げた。一体何が楽しくてこのような事を企てるのだと。

「・・・わっっ!」

そう言って、闇の中からウンスの白い手が伸びて来る。

何が面白くて夜の典医寺でそんな大声を上げるのだ。
伸ばされた手首を緩く握り、小さな体をくるりと回し、動けぬよう己の腕で囲い込むとチェ・ヨンはその耳許に呆れ声で囁いた。
「・・・医仙」

後ろから動けないように手首を掴まれ、抱き竦めらて
「痛たたた、痛いってば!ちょっと脅かそうと」
声を漏らすウンスに息を吐くと、チェ・ヨンは細い手首を掴む己の指の戒めを解きながら首を振る。
「一体いつになれば、覚えるのですか」
「何よ」
「後ろから寄らないで頂きたい。武人に後ろから寄れば、そのまま斬られても文句は言えません」
「だって、かるーい冗談じゃない?」
「斬られてから冗談では済みません」
「たまには驚いたり、笑ったりしてほしいだけよ。それもダメ?」

細い手首を摩るウンスの問い掛けには応えぬままで
「用は、何ですか」
闇の中、尋ねるチェ・ヨンに、ウンスの頬が不満げに膨らんだ。

 

だいたいがして、その表情からほとんど感情が読み取れない。
チェ・ヨンの前に腰を下ろし、ウンスは卓越しの顔をじっと見つめる。

きっと互いに想いあっているのはもう判る。言葉で聞かなくても、その瞳で。
普段はこうして見つめても絶対目を合わせない癖に、ふと視線を感じるとそこに必ずいる。
もの言いたげな瞳が、自分に向かって降って来る。どれ程遠くてもその距離を縫い、必ず視線が自分に届く。

だけど、とウンスは思う。ほんの少しでもいいから。
驚いて大声を出したり、楽しくて涙が出る程笑ったり、そうした感情の起伏をもう少しでいいから見てみたい。
余りに抑圧されている気がして、見ている自分が苦しいのだ。
自分が人一番、感情の起伏が激しいせいかもしれないけれど。

この人にもっと人間らしく生きて欲しいのだ。
楽しい時に笑って、怒りたい時は怒って、したいことをして。
本当は、一緒にそうやって生きて行きたいのかもしれない。

でもそれを言えば、この男はきっと首を横に振るだろう。必ず帰すと言うだろう。
何故ならそれが約束だから。自分も散々それを要求してきたから。

そしてあの徳興君に紙に塗った毒を盛られて、ようやく回復した今、チェ・ヨンは以前に増して頑なになってしまった気がする。
意地でも返すと、そう思われている気がする。

踏み込むつもりはなかった。
遅かれ早かれ別々の世界で生きて行かなければならない相手だと分かっていたはずなのに。
だから線を引いて、必要以上に近寄らないようにしていたはずなのに。

 

チェ・ヨンは卓の向こうの視線から、逃げるように目を逸らしたまま心の中で溜息をつく。

こうしてひたすらに目を背けているのだ。
いい加減に諦め、此方を見ないでほしい。
見てしまえば今よりも別れが辛くなるだろう。

手放さなければならないのは、判っているのに。
障子越しにどれ程その横顔を指で辿ろうと、聞きたい言葉がどれ程胸の中に積もろうと。
毒を盛った徳興君の体を一寸刻みに刻み同じ毒を呷らせ、死ぬより辛い目に遭わせようと。

目の前に座る大切な女人。
無事に天門へと連れて行くのだけが、自分が最後にウンスに出来る事なのだと。

此方を怒らせようとしているのだろうか。
チェ・ヨンは目の前のウンスの肚の裡が読めず、そう考えてみる。

喧嘩を売っているわけではなさそうだ。驚かせようとしているのだけは判る。
やり方は相変わらず間違えているが。
何がしたいのだろうか。自分が大袈裟に驚いて見せれば良いのか。
それでウンスは満足するのだろうか。

ウンスが愉し気に笑うなら、何でもしてしまいそうだ。
己だけに笑った顔を見せるなら、何処にいてもこの耳に入って来るあの笑い声が聞こえるなら、何でもしてしまいそうだ。

この手を離し、三歩の距離から離れ、笑顔と赤い髪が消え声を聞くことが出来なくなったら、どのように生きて行こうか。

今なら手を離せる。約束通りあの天門まで送り、突き飛ばしてでもあの門をくぐらせ、天界へ帰してやれる。
王命も無い、もう途中で引き止めたりもしない。
そのはずだった。ずっとそう思ってきた。その為に邪魔するものを目の前から退けてきたはずだ。

それなのに、今のチェ・ヨンには判らない。

天界なら光に溢れ、広い途をすいすい走る鉄の馬車があり、ウンスは泣く事も不便だと怒る事も、毎晩魘される苦しさも無い。

最後にあの天門まで行った時。
ウンスが目の前でいつものように、じゃあねと明るく手を振り、背中を向けてしまったら。
その光の渦に笑顔も声も呑まれて、互いに生きる別の世界に別れてしまったら。

分からない。そうなったら、また数えて行くのだろうか。
けれどウンスを帰す天界は、あの世よりも遠い気がする。
顔を忘れる事はないが、死ぬまで逢えずに我慢できるか。

夢でしか逢えなくなったら、また眠り続けるのだろうか。
けれど気紛れなウンスが夢で逢いに来てくれるだろうか。

互いに生きているのに、心の臓は苦しく打っているのに、吐く息はこれ程熱いのに、瓶に入れた黄色い花があるのに。
全てただの思い出になるのか。無かった事にすべきなのか。

そうなるくらいなら、共に門をくぐって許されるだろうか。
王も迂達赤も捨て役目も大義名分も捨て、ただウンスと共に何処か別の世界で生きて行く。自分たちの事だけ考えて。

許される、訳がない。

だからチェ・ヨンは視線を逸らす。本当はいつまでも見ていたい、卓向うの瞳から。
そうでなければ成すべき事から目を逸らしてしまう。

「用がなくば、これにて」

そう低く呟くと、チェ・ヨンは腰を上げる。
ウンスは引き留める言葉も無く、立ち上がったチェ・ヨンを見上げる。
「うん、またね」

そう明るく笑いつつ手を振るウンスを、チェ・ヨンは扉口で振り返る。
そして踵を返し、夜の闇へと一歩踏み出す。

 

 

 

 

夏といえば「お化け」

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可愛いお化けの登場 お話(まよさま)

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