盂蘭盆会【中篇】 | 2015 summer request・盆踊り

 

 

「盂蘭盆会ですか」

ただでさえ大きな澄んだ目をもっと丸くされる媽媽に、私は何度も頷いた。
「媽媽はお寺にお参りに行かれるくらいの信心深さなので、こんな事を言うのも釈迦に説法ですけど」

その言い回しに、媽媽が楽しそうに小さく笑われた。
「とんでもありません。確かにじき盂蘭盆会ですが、医仙は仏会にご興味はないと思っていたので」
「宗教関係は全く疎いんです。でも今回は盂蘭盆会じゃなくて、踊りのことでお願いしに」
「え」

ああ、やっぱりあの人の言うとおりね。
その踊りは民間信仰なんだろう。
意味が分からないご様子でこっちを見ていらっしゃる媽媽に、私は断言してみる。
「ご先祖供養をして、御坊様にお布施をするんですよね」
「おっしゃる通りです。馳走で祖先をおもてなし致します」
「でも、民はそれでは終わらないそうです」
「・・・そうなのですか」
「ええ。踊って、好き合ったどうしが歌を交わして、その後一緒に、とっても素敵な夜を過ごすそうです」

このあたりは正直にお伝えできずに、さすがにちょっとぼかしを入れてお伝えする。
媽媽も、私の言った意味が分かったのだと思う。
真っ白いお耳も頬も、ぱあっと赤くなった。
「それは・・・存じませんでした・・・」

あの時、兵舎の部屋であの人から話を聞いて考えた。
媽媽のご懐妊をみんなが待ってるこの状況で、ようやく媽媽と王様のお心がここまで近くなってるんだもの。
もうあとはきっかけさえあれば、もっともっと親しくなれるんじゃないかな、って。

ただでさえお祭りって言う非日常の晴の行事だし、それでロマンティックに盛り上がって・・・って可能性を考えた。
お2人ともなかなか頑固なところがあるし、でも先の世界ではお互いを想って、哀しい最期を迎える伝説の方々だから。

せめて私がここにいる間にもし、もしも歴史を変えても、媽媽がご懐妊されれば。
そんな風に歴史を変えても。ううん、もしも変えられれば。

変えられれば、何処か大きなパーツが変われば、あの人も李 成桂に殺されずに済む未来があるかもしれないじゃない?
帰ったあの世界が、天門に入る前とどれだけ変わってても私は構わない。 私ならきっとどうにか生きて行けるから。

この世界に残る、扉の向こうのあの人が、元気でいてくれる。
そんな未来になってるかもしれない、そう思えるだけでいい。
そう思えるだけで嬉しい。二度と会えなくても。

小さく細く息を吐いて、拳を握って。
もしも媽媽がご懐妊されれば、出産までに私が帰っても、 きっとチャン先生が。
あの素晴らしい漢方と外科手術、それに知識でどうにかしてくれる。

それとも医仙は最後まで面倒を起こしたって怒っちゃうかしら。
ううん、きっとチャン先生なら分かってくれる。許してくれる。
私が何をしたかったのか、誰よりも理解してくれる。

「・・・医仙」
そっと呼び掛けられた媽媽の御声に、ハッとして顔を上げる。
「す、すみません。ちょっとぼおっとしちゃって」
歴史を変えたい。その為にもともと民がやってるその文化が少し皇宮に影響を与えるくらい、大丈夫よね。
「ええと、それで出来れば皇宮で、その踊りを出来ないかな、って思って」
「踊りでございますね」
「はい。それで媽媽と王様が、素敵な一夜を過ごせればって」

私の言葉に真赤になりながら、媽媽はこくんと頷いて下さった。
「王様に、折を見てお話してみます」

「盂蘭盆会の踊念仏」

今あの方は坤成殿の中、媽媽とお会いしている。
添うて来た俺は部屋の扉外、呆れたような叔母上の声に頷く。

叔母上は太く息を吐き、流石に媽媽の御部屋前ではまずいと悟ったか。
無言で踵を返すと数歩離れた回廊の角へと歩く。
黙って背に従った俺に、角を曲がるなり振り向くと、いきなり鋭い言葉で切りつけて来る。
「あの上品とは言えぬ風俗を、皇宮で催すなど正気か」
「いや、だから雑魚寝堂の話はしておらん」

その声に叔母上が冷え冷えとした眼で此方を睨む。
「当然だ。何処まで話した」
「歌垣で相手を見つけて、一夜枕を交わすまでを」
「それで充分下品だがな」
「しかし言わぬわけにもいかん。あの方が何も判らず何処かの男に歌を送られてみろ、どうなるか」
「あの天界の方が返歌などできるか」
「それは・・・」

俺の慌てぶりを横目で見据え、叔母上は低く言い捨てた。
「どうなるか分からぬのはお主の方だろう、ヨンア」
「・・・・・・」

その通りだ。送られてもおらん歌如きでこれ程狼狽える。
こんな己がこの後扉に隔てられ、一体どうやって過ごすのだろう。

悔いはない。出逢った事にも、慕った事にも、そして帰すと交わした約束にも。
悔いはないが、心が痛む。
こんな世だからこそ出会った時に手に入れたいと、刹那の喜悦を共にしたいと希求する民の思いも判る。

恥という言葉の意味さえ知らなければ、己もそうしたろう。
命を懸けた約束とは何なのか、その意味さえ知らなければ。
あの部屋の寝台の上で、月明かりに照らされる夜目にも紅い唇を盗み、細い肩を抱き、衣の袷紐を千切った。
今宵一夜で構わぬ、そう思える程度の気楽な想いであれば。

八方塞がりとはこの事だ。
当のご本人は、盂蘭盆会の踊りだけを皇宮で催すとやけに張り切る始末。

あの方のおられる王妃媽媽の私室の扉へ目を遣り、言葉もなく眺める。
明るい声が漏れて来ぬものか。紅い髪が、笑顔が覗かぬものか。
今となってはたった数歩の距離も、この一瞬ですらもが惜しい。
あの方の肚の裡を読めずとも構わない。
けれど僅かで良いから、此方の肚を読んで頂きたいものだ。

 

*****

 

「隊長」
「・・・は」
康安殿の御前、王様よりかかる御声に顎を下げる。
「此度は、医仙は何をお考えなのだ」
「は」
「盂蘭盆会に、踊りを御所望だそうだな」

既に王様の御耳まで届いたか。
その速さに半ば驚き、半ば呆れ、俺は顎を上げぬままお伝えした。
「某の責です」
「しかし盂蘭盆会の踊りなど、初めて聞いた」

不可思議気な御顔で興味深そうに王様がおっしゃった時、意外な伏兵が脇から息を呑んだ。
その気配に俺と王様の目が同時にその場所へと当たる。
額に汗をした筆頭内官が水浅黄の官服に負けぬ程に顔色を失い、どうにか頭を下げている。
「どうしたのだ、ドチヤ」
「王様・・・盂蘭盆会の踊りとは」

ああ、この様子であれば歌垣の事も知っておるのだろう。
余計な事は言うなと眸で制してみるが、王様だけを真直ぐ見つめる内官は一顧だにしない。
「まさか、そのような淫らな」
「淫ら」

馬鹿野郎。それ以上言うな。
万一あの方が誤解を受ければどうする。
話の流れをご存じない王様は内官の慌てように御目を瞠り、じっとその顔を覗き込む。
「一体何を申して居るのだドチ。何故医仙のお話が淫らなどと」
「王様、懼れながら」

内官。お前が王様に命を駆け諫言する気持ちはよく判る。
判るが此方にも護るべきあの方がいる。
その瞬間に椅子から立ち上がり、内官の脇へと回り込む。
そして奴の耳許で低く呟く。
「黙れ」
「・・・・・・」

先程までとは違う汗を一筋その蟀谷から垂らし、内官は目玉だけを動かして脇の俺を見た。
続いて回した首で王様を拝し、最後に俺達の何方にともなく深く頭を下げた。
「し、失礼しました」
急に態度の変わった内官に、王様が眉を顰められる。
「何だというのだ、ドチ」
「私の、思い違いでございました」
「・・・そうなのか」

康安殿の隅に立つ内官、その脇に並んだ俺。
王様は怪訝な御顔で見比べ、曖昧に頷かれた。

 

 

 

 

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