濡髪【壱】 | 2015 summer request・水着

 

 

【 濡髪 】

 

 

「こん、にち、は?」
恐る恐る言って殿舎の入口から覗き込む私に、入口の脇にいた尚宮さんが気付いて首を傾げる。
「・・・医仙さまでは」
「はい」
「失礼致しました。どうぞ、お入りください」

良かった、分かってくれたみたい。
胸を撫で下ろし、私はゆっくりと殿舎の中へと踏み込んだ。
今まで滅多に入った事もない繍房の中。
こんな風になってるのね。物珍しさに、中をぐるっと見渡す。

棚という棚に、ぎっしりと並ぶカラフルな絹の巻物。
色取り取りの刺繍糸、部屋の端からずらりと並ぶ刺繍台。
この時代のアイロンなんだろう、風通しのいいところに並べられてる火鉢。
その中で熱している大小の鉄製アイロン。

王様や媽媽のお衣装を扱う繍房にこんなこと頼みに来るのは、さすがに図々しいんじゃないかなってこんな私でも思うけど。
当たって砕けろって言うわよね?案ずるより産むがやすし?だいたい、そういう故事とか諺には弱いのよ。
私の頭は、もともとすっかり理系寄りなんだから。

ひとまず警戒心を抱かせないように、繍房の中にいる尚宮さんたちに向かって、にっこり笑ってみる。
オンニたちは突然現れた私に失礼のないようにと思ってくれてるのか、それとも呆れてるのか、ぎこちない笑顔と礼で応えてくれる。
部屋の中にさんさんと差し込む陽射しで、棚の生地と、鮮やかに揃った刺繍糸の大きな束が、眩しく光った。

「王妃媽媽か、チェ尚宮様の御用でしょうか」
オンニの1人がいまだに理解できないって顔で、突然の訪問者の私をじいっと見つめる。
この人がここの責任者なのかしら。
私はその質問に首を横に振りながら、少し頭を低くしてそのオンニを見つめてみる。
断られたりされたら困る。すっごく困るの。
でもばれるわけにもいかない。ばれたりしたら、あの人は絶対止めに来るに決まってるし。

だからできるだけ同情を引きそうに困った顔をしてみせる。
うーん。未来の世界なら、これで通じるんだけど。
「違うんです。もう自分じゃ、仕立てようがなくて」
「ああ、医仙様ご自身のお衣装ですか」

それを聞いて尚宮オンニは、却って気が楽になったみたいにほぉっとため息を吐いた。
「王妃媽媽のお衣装に何か粗相があったかと、心配しました。
医仙さまの御用なら、何でもおっしゃってください」
「ほんとに?」
「ええ。御婚儀のご衣裳をお任せいただけずに、寂しい思いをしておりました」
「ああ、あれは、あのひ・・・っと、大護軍が、王様や媽媽の為の繍房を、婚儀なんて私用で煩わせちゃ駄目だから、って」
「大護軍様らしいお言葉です」
オンニの言葉に繍房中の尚宮さんが、密やかに楽しそうに笑う。

やだ、あの人みんなにそんな有名なの?何なの、この”仕方ないわ、あの方なら”みたいな笑いは?
ううん、いいのよ。嫌われてるより好かれた方が、組織の中では動きやすい。それくらい理解するわよ。
ただね、ただちょっとだけ、婚約者としては面白くないだけで。

気を取り直すために息を吸って、吐いて。
そうよ。あの人と夏を楽しむためには、繍房さんの助けがどうしても必要なんだもの。
深呼吸の後、私はあの人にばれないように、懐に忍ばせてた紙を取り出して広げて、目の前の尚宮オンニに見せる。
「これを、作ってほしいんです」
尚宮オンニが、私の手許のその手描きの紙を覗き込んだ。

 

*****

 

役目が終わり、典医寺へと迎えに駆けつける道すがら。
治療部屋のある棟、あの方の私室の窓は大きく開き、中から愉し気な明るい声がする。
相槌の声が聞こえぬところから察すれば、話相手をしてくれるのは恐らくトギだろう。
「だから、これを縫ってもらおうと思って」
あの方の声の後、暫しの沈黙を挟んで、また声が続く。
「だって、泳ぐのよ?水に入るのに余計な服を着てたら危ないって、先の世界の常識だもの。水を吸って重くなるし」

一体、何の話だ。
碌な事がない。先の世界の常識というその言葉は。
たいがい此方の想像もつかぬ、度肝を抜くような事ばかりなのだ。

歩を止め部屋からの声に耳を傾ける。
服を着ていては危ない。水を吸って重くなる。
そこまでは、此方の世でもよく判る。

「うーん、確かにちょっと出るけど、でもこれなら」
出る。一体何が出るというのだ。
「だから、出来上がったらトギにも見せるわね」
止めていた足を再び進めながら、判らぬ切れ切れの言葉に首を振る。

トギに見せると言うのならば、何かの治療道具か。
それなら何が出るというのだ。
いや、最初に衣の事を言っていた。ならば婚儀の衣装の何かか。
やはり全く想像がつかん。
一つだけ判るのはあの方がまた何か考えついたという事だけだ。

「イムジャ」
開いたままの窓から声を掛ける。
目を丸くしたあの方と卓向かいに腰を下ろしたトギが慌てた様子で此方を振り向き、作り笑いで出迎える。

成程。女人同士の結託はこんな時でも有効か。
こうなれば何方を問い詰めても口は割るまい。
訊き出すのを諦めて、小さく肩を竦める。
何れにしろ出来上がれば判ろう、そのお考えが。
「・・・帰りましょう」
何を問う事も無く言った俺に二人の女人がほっとした様子で、卓越しに目と目を見交わした。

 

「何を、企んでいらっしゃるのです」
「え?」
寝屋の中。
寝支度を整えた小さな背に向かい、寝台に腰を下ろし試しに問うてみる。

鏡台の前に腰を下ろす細い後姿が、魚のようにぴくりと跳ねる。
振り返らぬままのその背へと、寝台を立ち上がって二歩で寄る。
鏡の中、気まずそうに映り込むその顔横へ、己の顔を映しこむ。
鏡の中でその瞳を見つめると、この方の視線がふわふわと泳ぐ。
泳いだ先、鏡の中で、再びその視線を逃がさぬように捕まえる。
「なーんにも?」
「・・・真に」
「ただ、ちょっと夏を楽しみたいだけよ」
「イムジャ」

ようやく婚儀の誓いの整った夏。散々楽しんだのではなかったか。
誓いの金の輪を拵え、巴巽村で遊び、白絹を見立て、豆氷水を作り。
それでもこの方にはまだ足りぬという事か。
「次は何を」
「出来れば海に行きたいけど」
「海、ですか」

皇宮をそうたびたび離れる訳にはいかん。
案じつつ僅かに顎を下げ思案する俺に、この方が鏡の中で微笑んだ。
「無理は言わない。わかってる。媽媽の事もあるし、だから典医寺の裏の沢でいいの。
何なら典医寺の水庭のあの桶でも構わないのよ。ちょっとしたプールくらいの大きさだし」

海でも沢でも、石桶でも構わない。
此処まで聞かされても想像がつかぬまま、俺は曖昧に頷いた。
「桶でも沢でも構わぬなら、そうして頂けると有難い」
「うん、わかった。でね、出来ればあと2、3日待って」
「・・・はい」

了承の声に、鏡の中で捕まえた瞳が嬉しそうに笑む。
その瞳を、大きな笑みを見るだけで満足する己の甘さに肚の中で舌を打ちながら、俺は息を吐いた。

 

 

 

 

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