夏暁【拾玖】 | 2015 summer request Finale

 

 

「大監、お呼びでしょうか」
内医院の部屋の扉を開け、頭を下げたまま静かに告げる。
「おお、入りなさい」
副提調の声だけしか聞こえない。機嫌の悪い響きではなさそうだ。
ようやく入口で顔を上げ副提調の席を見た私は、そこより上座に座る久しぶりの男の姿を見つける。
「・・・大監」

私の声に機嫌良さげに頷きながらパク・ウォンジョンが笑う。
「久し振りだな、ソヨン。此方へ」
その声に部屋の中央、据えられた長卓の一番下座の椅子脇へ立ち、上座の権力者二人へ向かって静かに頭を下げる。

「修練の結果を副提調より聞いていた。優秀だな、ソヨン。紹介した者として、儂も鼻が高い」
そのパク・ウォンジンの声に、副提調もゆっくりと頷いた。
「これ程優秀な人材が大監の監営で育ったのも、偏に大監が監営の教育にご尽力された賜物でしょう」
見え透いた褒め言葉に、パク・ウォンジョンは満更でも無さげに声を上げて笑う。
私の努力とは思われない。そんなものだ。
下賤の者の手柄は全て自分のもの。自分の犯した失態は全て下賤の者たちのせい。

私は言葉を返さないまま、ただ黙って俯いている。そこにパク・ウォンジョンは声を続けた。
「そんな優秀なお前に折り入って頼みたい」
「・・・はい」
「今、副提調にも頼んでおったのだ」

そのパク・ウォンジョンの言葉を継いで、副提調が此方を見る。
「宮外に居られる晋城大君媽媽の、保母尚宮殿のご体調が悪い。
大妃媽媽も大層御心痛でな、優秀な医女を遣わせよと仰せだ」
「・・・はい」

王様の異母弟君の、晋城大君媽媽。現在の大妃媽媽の実の皇子様。まだお若い筈だ。
その保母尚宮様と言えばそれ程御年は召して居られないだろうにと、私は首を捻る。
「お前が行きなさい」
「・・・畏まりました」

これで決まりだと言わんばかりに、副提調は声を切った。
「晋城大君媽媽には、この後御営庁の新任の従事官がお側に付く。その者と共に此処を発つと良い」
「・・・従事官様ですか」
「ああ、直に此処へ来るだろう」
その時、あまりにも懐かしい声が扉の向こうから聞こえた。
「右参賛大監」
「・・・来たようだな」

パク・ウォンジョンは独りごちて笑みを浮かべた。
隣の副提調には、笑みの意味など全く分からないに違いない。
鳴り出した心の臓の音が漏れないよう息を詰め、震える指先がばれないよう固く拳を握りしめる。
「入れ」
パク・ウォンジョンの声に、部屋の扉が静かに開く。
「此方へ座りなさい」

その声に真直ぐな背が私の横を抜け、足音も立てず長卓の末席へ静かに腰を下ろす。
「ソヨン、副提調、紹介しておこう」
パク・ウォンジョンはそう言って、末席のあの男へと首を向ける。

「晋城大君媽媽の新たな衛。御営庁の新任の従事官、儂の遠縁、 パク・ソンジンだ」

懐かしい黒い眸は此方を見る事もなく、パク・ウォンジョンの紹介の声の中、部屋の誰にともなく僅かに顎を下げた。

 

藍鼠の空から舞い落ちる、冷たく白い華の中。
大小の足跡が真っ白な地に刻まれていく。
初めて会うた者同士の余所余所しさを装いながら、白い息を吐き、晋城大君の屋敷へ歩く。
「まさか、逢えるなんて」

肩越しに振り返るとソヨンが此方を見ぬように、前に目を向けたままで呟いた。
声が震えているようだ。寒さのせいか、それとも。
「元気だったか」
「・・・うん」
横顔の睫毛を濡らすのは、雪片なのか、それとも。

「本当に、元気だったか」
「・・・うん」
「そうか」
それなら良い。元気だったなら。
「絹布団も美味い酒も無かったろう」
「そんなのはいらない。ただ・・・」
そう言って咽喉に何かが詰まったよう、ソヨンは続く言葉を呑み込んだ。

「あんたの事を、時々見かけた」
「・・・ああ」
時々か。俺はかなり見かけたがな。
吐いた息は思ったよりも大きな白い塊になり、 ふわりと風に流される。

その行き先を目で追いながら不思議な思いに捉われる。
こうして雪の中を歩きたかった。共に歩きたかった。

薬草を摘み、追手から隠れ、劉先生の鍼を抜き、河原を探し、傷の手当てを受け、涙を見て、春を、夏を、秋を過ごした。
月の下で、お前の声を聴いた。そして思った。

強い想いだけが、縁を結ぶと。
切実な願いと思い出が、二人を巡り逢わせると。

だから、門の向こうで、俺の事もたまには思い出せ。
今俺が、こうしてお前だけを思い出しているように。

そうでなければ。

そうでなければ、心は揺れる。時に流される。
それでも代わりに誰かを選ぶ事など出来ない。
お前の影が薄れて、優しさと温かさだけを残して消えても、他の誰もお前の代わりになる事は出来ない。

この心のまん真中に、お前の分の穴が開く。
そこに穴を開けたまま、歩いていかなければならない。

ウンス、お前が何処で、誰と共に居ようと。
選んだその相手が、たとえ俺でなかろうと。
心から祈る。もう一度、お前に逢いたいと。

道は長い。

「暇潰しに聞け」
吐いた声は白い息と共に、雪に吸い込まれて消えていく。
「・・・何」
「パク・ウォンジョンの求める代償は、俺達を治療と衛に送るだけではないと思う」
雪の中、白い息と共に吐いた言葉にソヨンが目を丸くする。
「どういう事なの」
「パク・ウォンジョンが宮中で勢力を得たのは現王の伯父、月山大君の縁故だ。知っていたか」
「詳しくは、知らないわ」
「現王の父、成宗の兄が月山大君。現王の伯父に当たるその月山大君の夫人が、パク・ウォンジョンの実姉だ」
「宮中ではよくある事よ」
「そうだな。よくある事だろう」
ソヨンの尤もな声に、俺は頷いた。

「その月山大君の夫人、自身の実の姉が、現王に凌辱された後自身の目前で自害さえせねばな」
「・・・嘘でしょう」
「言っておろう。嘘など吐くか、面倒臭い」
「だって、待って。月山大君の夫人と言えば、王様にとっては義理とはいえ伯母よ。王族だわ。尚宮や妓女に狼藉するのとは」
「そうだな」
パク・ウォンジョン。
俺を宮中へ引き入れ、こんな情報まで入手できるよう仕向け、そして今、現王の目の上の瘤とも言える晋城大君の許へ送る。
生きている限り王の地位を脅かし、今の世子の地位を脅かし、しかし大妃がいる故に、王が弑する事も出来ぬ晋城大君へと。

パク・ウォンジョン。お前が俺達に求める代償とは。
現王の政敵、現大妃の実の息子、晋城大君の許へ送る理由は。
「俺の予想だ。どこまで的を射ているかはわからん」

纏まり切らぬ断片が、絵を描き始めるにはまだ早い。
パク・ウォンジョン。お前の真の狙いとは一体何だ。

暴政の限りを尽くし、実の姉を自死に追い遣った現王。廃妃となり、賜薬で命を落とした現王の実の母。
実母の後に、元王の后として今その座に君臨する大妃。その大妃の実の息子、現王の異母弟、晋城大君。

力を持つ官軍。そこに引き摺り込まれた俺自身。
時流に逆らえず、犠牲を強いられて来たソヨン。
その二人を晋城大君の傍へ付け、何を企むのか。
娘を匿うのに必死の親。巷に溢れ返る王の悪評。何時何処で、現王への不満が噴出しても不思議は無い。

寧ろその噴出を狙う計略が、既に動き始めているなら。その計略の元、俺達が宮中へ引き摺りこまれたのなら。
全て辻褄は合う。晋城大君への訪問を怪しまれぬよう、口実として自身の手駒のソヨンを晋城大君の傍へ置く。

そしてソヨンを守る俺の存在を知り、幸いとばかりに御営庁に引き摺り込み、晋城大君を守らせる位に就け。

「奴は、現王を討とうとしている」

余りに突拍子もない呟きにソヨンが息を止める。
尤もだろう。議政府の高官が選りによってその長たる王を追い落とそうとしているなどと。

まさしく謀反、大逆罪だ。
例え王族縁故に名を連ねても万が一露見すれば、極刑を免れる事など不可能だ。
そしてその予想が的を射ていれば現王に、外れていればパク・ウォンジョンに対する大逆罪として斬首されても文句の言えぬ言葉を、たった今俺は吐いた。

しかしそうとしか考えられん。そしてその計略に向かい俺達を利用しようとしているとしか思えん。

利害は一致していた。ソヨンは両班から逃げたかった。
俺は是が非でも、奉恩寺の内にある祠堂が見たかった。
そしてあの男は、己の手駒を晋城大君に付けたかった。
謀反を企む以上現王の身内、現在の世子を次王になど考える訳もない。
次王にと考えているのは、晋城大君。

だが、一つ計算違いがあった。パク・ウォンジョン。
お前は俺という男を知らぬ。駒としてしか見ておらぬからだ。
俺は面倒は好かん。嘘も、奸計も、回り道も好かん。
俺にとって最良の道は何時でも、単純なものなのだ。

 

 

 

 

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