星雨【肆】 | 2015 summer request・流星群

 

 

高麗とは違う土の色。川の色。
海のような大運河に沿い、托克托の大軍と共に、チェ・ヨンは高麗二千騎を率いて、見慣れない色の空の下を駆ける。

托克托が高麗語を解する以上、あの男の前では出来る限り口を開かないのが得策だ。
「全軍、閉じろ」
そう判じたチェ・ヨンはいつもよりも一層寡黙に押し黙り、己の二千騎に向けて騎乗の鞍から後へ振り向き、最低限の命令だけを飛ばす。
チェ・ヨンのひと吠えに緑の草の中、駆ける二千の軍が左右から中央へと大きく寄った。

 

*****

 

「明日は泰州だ」
その夜の野営地。
天幕の中の軍議で上席の托克托の声に、居並ぶ元の軍と高麗軍のそれぞれが頷いた。

「逆賊の首謀者の一人、張 士義が居る」
「正面突破で行く」
チェ・ヨンは托克托へ向かい、真直ぐ伝える。

明日攻める泰州は既に完全に敵地になっていると聞く。
その地から頭首級を逃すわけにはいかない。
「頭首級さえ討てば、残るは物資に釣られた烏合の衆」
「そなたは本当に面白いな」

托克托はチェ・ヨンに向かい、そう言って笑って見せた。
「一人残らず殺すとは言わぬのか」
「雑魚に関わる意味がない」
「頭さえ落とせば良いのか」
「どれ程の大蛇も、頭さえ落とせば死ぬ」

大蛇の体を潰す刻が惜しい。そんな事で兵が死ぬのは真平だ。
肚の中で呟きながら、チェ・ヨンは托克托の声を待つ。
「高麗軍は鶴翼陣を敷く。中央の陣で頭首級のみを狙う」
「危険だな。逆に敵へ中央へ入られればどうする」
托克托がチェ・ヨンの提案に難色を示す。

その声にチェ・ヨンよりも先に高麗の兵たちが笑い出す。
「飛んで火に入る夏の虫です」
堪え切れなくなったアン・ジェがチェ・ヨンの左から托克托へと告げた。
「我が高麗の鶴翼陣、中央にはチェ・ヨン大護軍が居ります」
その下座でアン・ジェの声に全員が頷く。

「我らは唯、鶴の両翼を畳むのみ」
アン・ジェの言葉に、托克托と元の上官たちは首を捻った。
余計な事を言いやがって。
アン・ジェの声に眉を顰め、チェ・ヨンは托克托を見たままはっきりと宣言した。
「もしも雑魚にも関わりたくば元に任せる。
我らは頭首級を獲ったところで、高麗二千騎を退かせる」

最後に言い残し、チェ・ヨンは天幕の中で席を立つ。
そのチェ・ヨンを見て元の言葉で何か叫んだ元の兵の声を聞き、テマンがチェ・ヨンの横、急いで言葉を添える。
「托克托殿の着席中に無礼であろう、と」

テマンの声の途中、托克托の手が上がる。
「誤解するな、と」
托克托が低く諌める声に、その兵が唾を飛ばし元の言葉で叫ぶ。
「元の属国の兵の分際で、と」
悔しそうに唇を咬んだ後、テマンは少し驚いたように声を続ける。
「チェ・ヨン殿は元の下にいる訳ではない。高麗より援軍として来て下さった。兵を率いる立場は自分と同等だ、と」

托克托の声に顎を下げるとチェ・ヨンはそのまま踵を返す。
天幕の扉代りに掛かった二重の布を大きな掌で撥ね上げ、鎧の肩で布を割るように表へと出る。
高麗の兵たちが一斉にその姿に続く。

表へと出たチェ・ヨンは、遮る天幕の無くなった夜空を仰ぐ。
上げたチェ・ヨンの高い鼻梁から顎への線が星の光を受ける。
その横顔を眺めながら、アン・ジェがうんざりした声で呟く。
「チェ・ヨン、あまり冷や冷やさせてくれるなよ」
「これしきで肝を冷やすな」
「お前はそうかもしれんが。此方にしてみれば前門の虎、後門の狼だ。どちらも得体の知れぬ元の民という事は変わらん」
「・・・王命だ」

王命だ。元に恩を売れと。それが目的だ。
王命だ。一騎も欠けず戻れと。必ず成す。

チェ・ヨンは静かに星空を見上げ続ける。
星の下、あの方の声が聞こえる気がする。
元に居る訳が無いのに星空の下、己を包むように。

死なないで。

 

死なないで。

夢の中、あなたは星空の下にいる。 何でそんな所にいるの?
そこはあの丘なの?
離れた時は昼だったはずなのに、何で夜なの?

そこはどこなの?高麗にそんな大きい草原なんてあった?
その河はどこなの?高麗にそんな広い河なんてあった?
あなたに連れられて行った、高麗のどこの景色とも違う。
あなたは今、どこにいるの?

死なないで。

私がもう一度帰るまで。
あなたのところにもう一度帰って、無事をしっかり確かめて、もう一度一生一緒に生きるまで。

行かないで。

どこにも行かないで。お願いだから待ってて。もう一度帰るまで。
なのにあなたは空を見ていた黒い瞳を下げて、まっすぐに前を向き直って歩いて行ってしまう。

そこにいる?

ねえ、私はここよ。ここにいる。
あなたのところに帰るまでここで医学を学んでる。
劉先生って、現代の華侘っていう人に会ったのよ。
もうすぐ大都って都に行くかもしれない。
ああ、帰ったらあなたにお土産話がたくさんある。

帰りたい。逢いたい。抱き締めて欲しい。
頑張ったね、偉かったね、ってほめて欲しい。
帰りたい。逢いたい。抱き締めたい。
二度と離れずあなたを守る力を身に着けたい。

ねえ、だからお願い。待ってて

「行かないで」

寝台の上の見慣れた天井に向かって、ウンスは目を開ける。

小さな庵の中、小さな窓から見えるのは星の光だけだ。
いつもならその窓から斜めに射し込み、寝台の足元を照らすはずの月は、姿を隠している。

いるはずなんてないのに。
ウンスは寝台に横たわったままで、弾む胸を抑える。

まるですぐそこにいるようだった。
あの人の息が聞こえるようだった。

夢で逢えただけでも嬉しくて。そして夢だったのが悲しくて。
あなたが元にいるはずなんてない。敵国だものね。
この時代にいるはずもない。今はあの時から100年も前。

そう思いながらも、分かっていながらも。
夢で見えた顔を思い出すだけで涙が出る。

横たわったままのウンスの眼尻からこめかみへ伝う透明な滴は、そのまま静かに髪を濡らし、枕へと吸い込まれていった。

こんなに、逢いたい。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、こんばんは。
    今宵も素敵なお話をありがとうございます。
    切ない二人ですね…。
    時を超えて、同じ星を見ていたのかもしれませんね。
    哀しい時、辛い時は、そのやり場の無い感情を、何かにぶつけたくなるものだと思いますが、ヨンも戦いの場に身を置くことで、自分を保っていたのでしょうか。
    さらんさん、風邪が心配な季節に入りました。
    くれぐれもご自愛くださいね。

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