蟷螂【後篇】 | 2015 summer request・草刈り

 

 

そして案内された裏の庭。
見渡す限り、周囲に斬るべき者の気配など、全く無い。
ただ夏の光と風に晒される、伸び放題の草だけがある。
「何処だ」
「え?」
「斬りたい者とは」

問い掛けに、女人は目の前の緑の叢を指さした。
「・・・誰だ」
「はい?」
「斬りたい者は、何処に居る」
「ここに、目の前に」
「・・・・・・お前、何を言ってる」

話が全く噛み合わぬ。頭がおかしくなりそうだ。
ヨンはよくもまあ、これ程訳の分からぬ女とこれ程長い間共に居るものだ。
「これは草だ」
「草ですよ?」
「誰か、人を斬りたかったのではないのか」
「・・・何言ってるんですか?!」

女人は素頓狂な大声で叫ぶと、真剣に怒った目で此方を睨む。
「何で私が誰かを?まして何でヒドさんにそれを頼むの?!もし、もしそうだったとしたってそんな事させるわけないでしょう!
ヒドさんに、あの人のお兄さん同然、家族同然のあなたに!!もしもそんな時が来たら、自分でやりますから!!」

そしてようやく深く息を継ぐと、
「これを切ってほしいんです。伸びすぎちゃって。でも典医寺のみんなはいろいろ忙しくて、草刈りまで手が回らなくて・・・
あの人に頼むと、忙しいのにまた無理して、迂達赤のみんなを連れてきちゃうだろうし。
ヒドさんはカマキリだって聞いて、すこーしお力を拝借できないかなって」

女人はそこまで言ってから、慌てたように手を顔の横で振った。
「あ、もちろんヒドさんが暇だって思ってるわけじゃなくて!」
「・・・待て」

今何と言った。
「え?」
「俺が、何だと」
「カマキリだって、あの人が」
「蟷螂」

あの、緑の蟲か。俺が。

「・・・・・・鎌鼬、ではないのか」
「え?」
「かまきり、ではなく、かまいたち、と聞かなかったかと尋ねておる」
「・・・ああ、そう言えばかま、カマキリ・・・かまいたち・・・かま、きり?」
口の中で呟きながら、伸びた草を揺らす風の中で、その草を青く照らす夏の白い陽の中で、女人は首を傾げた。

蟷螂。

繰り返される呟きに堪え切れず、俺は慌ててきつく握った拳をこの口元へと当てた。
その隙間から、微かな温かい息が漏れる。

堪え切れずに、俺は低く笑い出す。
「繰り返すな」
鎌を大きく構え、後足で立ち、体を擡げたあの蟲の王。
その三角顔が、黒鉄手甲を外した己の姿と重なるだろう。

「蟷螂、蟷螂と」
「そこ、やっぱり重要ですか?」
「何」
「重要なら、あの人にすぐ確認してきます」
今にも駈け出しそうな女人の腕を、思わず伸びたこの手が掴む。
「良い」
溜息を吐いて首を振ると、女人は安堵したように笑んだ。

「いいんですか?」
その目が真直ぐ俺を覗き込む。
「やってくれます?」
「・・・ああ」
「嬉しい!ありがとうございます!助かっちゃう」

俺に手を掴まれたまま、この目を見上げ、覗き込んだまま。
懼れも軽蔑も一切無いまま、ただこの女はそう言って笑う。

まるで目の前の叢を照らす、天から射す陽のように明るく。

黒鉄の手甲を外し、首をぐるりと回して軽く腕を上げる。
「何処を切る」
「全体的にバッサリ行っちゃってください。なるべく短く」
「・・・承知」

息を整え、細く丹田の気を吐いて左から右へ。
軽く腕を撓らせるとその先の緑の草が、白い陽の中へ高く舞い散った。
「・・・え!」
俺の横、女人が息を呑む。
「ヒドさん、今、なにしました?」
「・・・切った」
「切ったのは判ります。どうやって?」
「・・・風で」
「すごい!やっぱり頼んでよかった!」
「・・・蟷螂にな」
「こだわってます?やっぱり」
「・・・いや」

切って、これ程に喜ばれて。
「嬉しい、こんな早くやってもらって。ほんとにありがとうございます」
切って、心から礼を言われ。

女人が笑う、嬉し気に。俺を見る目に、懼れも軽蔑も無いままに。
人に比べれば、動きも抵抗もない草を切るなど造作もない。
その薄く頼りない茎葉は呆気なく、緑の残像を目に焼き付け、辺り一面に散っていく。

この腕を、昼の光の中で振るうのは本当に久々だった。
この風で、赤以外の飛沫が散るのは初めてかもしれん。

数回腕を振り、揺れる草も無くなった叢は、大きな空き地になった。
「終いか」
「はい!ありがとうございました。お茶でも飲みましょう」
「ヨンアと飲め」
「じゃあ、三人で!」
機嫌良く女人は歩き出し、数歩先で振り返る。
「あ」

そしていきなりすたすたと俺の処へ戻って来ると、
「ヒドさん、ここ」
いきなりその手を、避ける間もなく俺の頬へ伸ばす。
「草が飛んだのかな。切れてますね。痛くない?」

この女。一体何なのだ。急に懐に入って来て。
「触るな」
俺の低い恫喝も、背けた顔も一向に意に関さぬのか
「典医寺に戻ったら、消毒しておきましょう。念のため」
そう言って一人で得心したよう頷いて、また歩き出す。
「ヒドさん、置いてきますよ~?」
数歩離れた呑気な大声に息を吐くと、渋々その背を追いかけ、俺はゆっくり歩き出す。

 

在り得ん。
ヒドが笑うなど。俺達の前以外で、笑うなど。
目の前の叢の光景に、信じられぬ気持ちでこの眸を瞠る。

在り得ん。
ヒドが誰かに触れさせるなど。
俺達以外の誰かが触れられる程に、近寄る事を許すなど。

何なんだ。

典医寺へ戻ろうと歩き出したあの方、渋々従くヒドの後。
俺は気配を消し木陰伝いにそっと追う。

 

「ヨンア?」
典医寺の診察棟の入口。何だ、絶対待っててくれると思ったのに。
あなたが余計な事に時間を割くのも、仕事以外のこと頼むのも悪いな、心苦しいなって思ったから。
迷惑だろうなって思いつつもわざわざヒドさんにお願いしたのに。

「ヨーンア?」
木の影、植込みの垣の裏。ひょいっと覗き込んで見るけど見つかるわけない。
そうよね。あの人が本気で隠れたら、私が見つけられっこないけど。

「お茶飲もう、ヨンア」
早く出てくればいいのに。この暑さじゃ、熱中症になっちゃうんじゃない?

 

遅れて追いついた女人は庭をあちこち覗き込みつつ、あ奴の名を叫んでいる。
内功を開き周囲を読んでも、本気で気配を消しているのだろう。捉える事が出来ん。
叢では、確かに感じたが。

手甲を嵌め直しつつ、その指先で眉尻を掻く。
拗ねたか、餓鬼でもあるまいに。

俺は首を振り、ヨンを探すこの女人の背を、ただ守る。
俺が横に居って万一のことあらば、あの弟に斬られる。

 

向かい合った卓の上、女人の手から茶が差し出される。
「ほんとに、ありがとうございました」
その小さな頭が卓に打ち付ける程、深々と下げられる。
「構わん」
「ご覧の通り広いので。すぐ伸びちゃうんです。季節外れの時は薬草が混じらないように、土を休めるために空き地にしとくんだけど。
保守がなかなか大変なんですよ」

落ち着かなげに手を動かし、女人が懸命に言い募る。
「・・・そうか」
「だから、たまに来てもらえたりして、草刈りなんかしてもらえると、特に夏場はすっごく助かるなー、なんて。
その代わりヒドさんが怪我したりしたら、私がすぐに診ますから!必ず、約束しますから!」
「・・・・・・承知」
「ほんとに?」
「言った」
「ほんとにいいんですか?」
「諄い」
「ダメもとで聞いてみてよかった!ありがとうございます!あ、それに典医寺でもちゃんとお礼を」
「不要」
「うわぁ、ほんとにありがとうヒドさ」
「・・・イムジャ」

卓の上の茶椀を持つこの手に小さな手が伸びかけた瞬間。
俺の指がそれを振り払う前に、部屋の戸の影に戻る気配。
そして掛かるあ奴の声。ようやく出てくる気になったか。
先刻から悋気を滲ませおって。

下らぬ事を考えるな、ヨンア。お主のものだ。お主の女房だ。
お主の為ならば何でもしよう。この女人を守るも致仕方なし。

逆に問いたい。頼みを聞かなくて構わぬか。
その全てで護るこの女人の頭まで下げた頼みを、無下に袖にして構わんのか。
お主の困り顔が目に浮かぶ。俺は肩越しに扉へと目を当てた。

 

「用向きは、終わりましたか」
そう問うて大股で部屋へ踏み込むと、ヒドへ伸ばした手をそのままに
「うん、終わった。ヒドさんがかまきりで、ううん、かま、かま・・・」

この方がそう何度も繰り返す。その声に、ヒドが低く笑う。
低く、笑う。この眸で見、耳で聞いても信じられん。

「繰り返すな」
「すいません。かま」
「鎌鼬、ですか」
俺は言いつつヒドの横、この方の向かいの椅子を音高く引く。
腰を下ろせば鎧の星が木の椅子に当たる、耳障りな音が響く。

「そうなの、それそれ。それであっという間に草刈りしてくれて」
「・・・俺では役不足でしたか」
「絶対そう言うと思ったから、言い出せなかったのよ。あなたは他の仕事が山積みでしょ。
どんどん引き受けてたら休む暇もない。他の手を借りれるときは、お願いしようかなって。
ヒドさんもいいよ、って言ってくれたし。これからは草刈りはヒドさんに」
「そうなのか」

嬉し気なこの方の声の途中、俺が眸を流すとヒドは半眼の横顔で微かに頷いた。
「ああ、構わん」
「・・・・・・助かる」

俺の絞り出した声に吐息で笑うと、ヒドは此方に向かい眼を戻す。
「本音か」
「勿論だ」

この声にいよいよ堪え切れなくなったか、ヒドは口許に拳を当てその中へ低く笑いを漏らした。
笑うのは嬉しい。ヒドが笑ってくれるのは。
だけどヒョン。その笑いを取り戻したのは俺じゃない。
目の前に居る、何も知らずに夏の陽のように明るく笑むこの方だ。

まさかな、ヒド。まさかだよな。

「ヒドさん、消毒!!」
目の前のこの方が思い出したよう叫ぶと大きな音で椅子を引き、慌てて立ち上がり、部屋の薬棚へ駆けて行く。

 

「おっと!珍しい事もあるもんだ!あんたが真っ昼間からふらふら」
手裏房の酒楼の門をくぐると、両手いっぱいの籠に山菜を入れたマンボと危うく衝突しそうになる。
「ヒョン、お帰り」
酒楼の奥、石段に腰掛けるシウルが叫び此方へと走りだす。
逆裏からも声を聞きつけたか、チホが続いて大急ぎで駆け寄り
「ヒョン、ヨンの旦那と出掛けたってほんとか?なんで俺達も誘ってくんねえんだよ。二人だけか?」
そう言って俺へと纏わりつく。
「雑用だ」
「そうなのかよ」
「ああ」

東屋の木下闇。降り注ぐ蝉時雨。隅に揺れる赤い鶏冠。
その全て等しく明るく照らす、白い夏の眩しい天の陽。

纏わりつくチホと駆け寄ったシウルを両脇に、汗ばんだ手足を流そうと、そのまま裏庭の井戸へと向かう。
山菜を洗うつもりか籠をシウルの腕へと押し付けながら、マンボが共に歩いてくる。

どいつもこいつも俺から離れて、好き勝手に歩いて行けば良いものを。
「何だよ、雑用って。何してたんだよ」
「草刈」
「はあ?」
チホが惚けたような大声で叫ぶ。
「何でヒョンが、わざわざヨンの旦那と草刈りなんて行くんだよ!」
「・・・蟷螂ゆえ」

言葉尻が震える。横のチホが驚いたよう、この顔を覗き込む。
シウルとマンボが己の脇、仰天した目を見交わすのが見える。

「蟷螂ゆえ、草を刈る。これからもな」

堪え切れず木下闇、射しこむ木漏れ陽の中で足を止め低く笑う俺を、三人はいつまでも呆気に取られ眺めていた。

 

 

【 蟷螂 | 2015 summer request・草刈り ~ fin ~ 】

 

 

 

 

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1 個のコメント

  • なんかヒドさんとウンス、妙にあってる気がします~(゚∀゚)。
    ヒドさんて、昔の(心を閉ざしていたころ)のヨンと似てるし。
    ヒドさんもウンスみたいな女性と一緒にいると幸せになれそう。
    ウンスさんみたいな女性って、周囲を明るく照らしてくれて、いつの間にか暖かい気持ちになってしまいますね~。好きだわ~。さらんさんのウンス。

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