じりじりと、陽が落ちて行く。
伽藍から出た王陵寺の敷地の奥。
背後に切り立った険しい山を頂いた別棟の小さな殿へと移り、既に数刻。
北極宝殿の扁額を上げた殿の中。
媽媽は椅子に腰掛けて、透かし格子の間から入る縞の光を御顔に映し身動きもせぬ。
「大君媽媽」
静かにかけた声に、その目が上がる。
「表には御営庁と禁軍の兵が居ります」
「・・・ああ」
「どの兵も選り抜きの腕を持って居ります」
「そうだな」
「おまけにこの殿は山神や七星、独聖が奉られているそうです」
「和尚がそう申していたな」
此処を大君媽媽の今宵の逗留場所と決めた折、案内して下さった和尚様は、確かにそう言われた。
「最高の兵、天地の神仏の守り」
俺が呟くと、不思議そうな媽媽の目が問い掛ける。
「大君媽媽は守られていらっしゃいます。御安心を」
この声に媽媽は目を丸くした後、可笑しそうに小さく笑い始めた。
「そこまで考えてこの殿を選んでくれたのか、ソンジン」
「いえ」
俺は首を振る。
「この王陵寺で一番確実に大君媽媽を御守りできるのが此処です。
選んだのは俺でなく、神仏です。
神仏が、そして此処に眠られる大君媽媽の御父君、先代の王様がお選びになったのでしょう」
困った時の神頼み。それでも多少の効果はあろう。
何しろ戦の大将は緊張の余り体も顔も強張らせている、この若い大君媽媽だ。
此処で気持ちが折れでもしたら、もう良いとでも言い始めたらこの戦は総崩れとなる。
大君媽媽を守る兵達の命まで無駄になる。それだけは、何があろうと避けねばならん。
じりじりと一寸刻みに長い夏の昼が終わっていく。
日が傾いていく西側の空の下、弥勒を納めた祠堂が黒い影となって浮かび上がる。
じりじりと陽が落ち、そして夜の帳が下りて来る。
迫る闇の明けた時、何かが変わっているだろうか。
刻の過ぎるのが気が遠くなる程に遅い。
大君媽媽は当然、話せるような心持ではないだろう。
硬い表情で椅子に腰掛けたまま、夕刻には縞模様を落としていた透かし格子の扉外が紅い夕日の色に染まり、そして藍色に移り、今漆黒の闇へと変わっても、口を開くことはない。
その漆黒の闇の中から、小さく秋の虫の啼く声がする。
昼は暑いとはいえ、さすがに暦の季節が変わっただけの事はある。
「媽媽」
さすがにもう遅い。
和尚様が御手ずより運んで下さった夕餉にも一切箸をつけることなく、膳は部屋の隅ですっかり冷えている。
その冷え切った膳にちらりと眸を遣り、低く告げる。
「召し上がらねば体力も落ちます。長丁場になれば体力勝負です」
「食欲がないのだ」
「食べる時間があるうちに、無理にでもお召し上がりを」
さすがに本当に食欲はないのだろう。
俺の勧めに首を振り、大君媽媽はまた姿勢を正す。
宮中では今何が起きているのか。 事を起こすならば、恐らく夜。
今にも殿の透かし格子扉の向こうから、敵なり味方なりの声がするかもしれん。
姿勢を正した大君媽媽の横、剣を片手に立つ。
声を聴き逃さぬよう、そして不必要な体力を使わぬよう。
今はまだ耳だけに神経を集める。
動きが起きたのは、子の刻を廻った三更の頃。
表の気配にふと立ったまま閉じていた眸を開く。
今日はさすがに眠っておられぬ大君媽媽にそのまま小さく頷くと、媽媽はこの眸に頷き返し、そのまま腰を下ろしていた椅子を立つ。
部屋にある透かし格子の扉を開き、扉外を守る兵に眸で頷く。
扉外では尚更に、その騒がしさが直にこの耳に届く。
門の方から近付いてくる声。敵であればここまで騒がしくはない。
「ナウリ、媽媽の護りをお願い致します」
俺の脇へと寄った御営庁の外行へ声を掛けると、頷いた外行は扉を滑り出る俺と入替わりに、室内へと入る。
其処から殿内の控の間、中に待つ人影に格子扉越しに眸を投げる。
ソヨンが姿勢を正している姿が格子越しに見える。
大君媽媽の保母尚宮、そして下働きの男女が室内にいるのを確認し、殿の背後に広がる山の稜線を振り返る。
其処に灯は一切見えない。ただ真暗な塊がこの小さな北極宝殿に圧し迫るように伏せている。
残る三方の内、左手にはひたすらの黒い空。敵が隠れる処はない。
右手は伽藍へと続く細い道。そして正面は暗い木立。
これで迫る声が敵なら、右手より迎え撃つ。
味方なら宮中での大事を成したという事だ。
「右手正面に散開しろ。二重で守る」
俺の声に殿の壁に沿って並んでいた兵が右手の細い道を正面に、半円形を描くよう散開する。
半円陣の先頭、闇から伸びる細道のすぐ目の前で剣柄を握り直す。
敵か。味方か。
目前の細道、伽藍へと続く参道を奔る松明の光が立木越しに光る。
敵か。味方か。
怒涛の如き声と入り乱れる足音が、闇を縫い確かに近付いてくる。
どちらだ。
伽藍の方から近付いてきた最初の一声が、確かにこの耳に届く。
「王様!!」

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いつも、大作を更新し続けてくださりありがとうございます。壮大なスケールです!高麗でチェヨンが戦っている頃、時代を越えた朝鮮王朝で、ソンジンが、燕山君を廃位し18歳で第11代王の中宗となる大君を護っているなんて・・。チェヨンに会えず少し寂しいです。でも、ウンスを愛する二人の漢(ヨンは、もちろん、たまらなく魅力的な男ですが、ソンジンも)のそれぞれの男らしさに浸っていられるので、我慢します‼ ヨンに会いたい、ヨンに会いたい・・、ウンスと幸せなって欲しい! でも、違う時代でこれ程頑張っているソンジンにも、何とか幸せになって欲しい! この後の話がどうなるのか、ドキドキです。
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さらんさん、な、な、何が起こりましたか⁉︎
王様⁈
ということは、つまり…!(◎_◎;)
クーデターですか⁇
ハラハラ(´Д` )
ドキドキ(´Д` )
すっかり風邪をこじらせてしまった、情けない私は、それでも仕事を休めず(´Д` )。
帰りに、ドラッグストアーで薬や喉スプレーを買ってきましたよ(u_u)。
さらんさんのお話に救われております。
ありがとうございます。
おっと、続きを拝読させて頂きますね!