初更夜 | 2015 summer request・夏の大三角

 

 

【 初更夜 】

 

 

「・・・・・・あ」
寝支度を整えた夜半、寝台の腕の中、小さく呟く声がする。
その声に薄闇越しの眸で問えば
「聞こえるよね」

ひそめた声でそう言って、この方が小さく息を止める。
「虫の声」
「・・・ええ」
そんな季節かと静かな窓の外、月灯りを透かし見る。
「・・・眠たいですか」
「ううん、大丈夫」

その返答に頷いて寝台上に身を起こし、闇の中の小さな手を引く。
万一にもこの方が躓いてはならん。
手を引いたまま枕元の行燈に息を掛け、揺れる焔を吹き消す。

窓越しの薄い月灯りを頼りに、部屋の扉を静かに押し開ける。

足音を窃み廊下へ踏み出で、そのまま居間の縁側へと進む。
縁側の前の庭からは、寝屋よりはっきりとした虫声が響く。
まだ合唱には程遠い、ささやかな秋を呼ぶ音色。

「昼間は、まだまだ暑いのにね」
この方の囁き声に、潮が引くよう虫声が遠ざかり止まる。
慌てて口元を押さえた小さな手に目許で笑んで、縁側で胡坐をかき、この方を膝へ誘う。

そうして座りじっとしていると、また何処からか潮が満つよう、小さな音が聞こえ出す。
胡坐座の膝の中、嬉し気な息を吐き、細い背が胸へ凭れる。
その指先をそっと握り、そのまま庭の上の黒い天を指す。

指した指先を追いかけた瞳が茂る木々の葉影、その隙間の黒天鵞絨の空へと上がり、また息を止める。
何か言おうと小さく開いた、紅い口元へ首を振る。

初更夜空。
この時節には葉影に遮られ、空を見上げる事は少ない。
それでもこうして見上げれば、其処に流れる白い星の川。

そして白い川を挟んで瞬く、大きな夏の大三角。

そしてその三角を倒した先に在る、天の中心、天極星。
その細い指を握ったまま、白い星の川を挟んだ三つの瞬く星を順に示して見せる。

その瞳が指に添って動きながらこの眸を見上げる。
頷き返し、最後に黒天鵞絨の最上、天極星を指す。

「・・・ポラリス」

膝の中に納まったこの方がそっと呟く。
此度は庭の奏者たちは、行儀の悪い見物客に慣れて来たのか。
この方の囁き程度では、もうその音は止む事はない。

海を渡る者、山を彷徨う者が何処からも見えるよう、五夜の間天空の頂を護る、ひときわ白く明るい星。
蒼穹が日華のものならば、五夜は天極星のものだ。
あの月ですら夜毎に形を変え沈んでいくが、天極星は沈む事も、輝く場所を変える事も無い。
いつでもその頂にある。その光に縋る者を迷わせぬように。
そして空が明るくなると、淡淡とした朝の光に座を譲り渡す。

永遠に其処に在る。疑いようも無く。まるで俺のこの方のように。
俺の天の頂に在り、昏い夜にもそれを探せば迷う事はない。
そしていつでも幾度でも、空が暗くなれば光を投げかける。
此処にいる。此処にいる。私を見なさい、迷う事はないと。

それは不実に形や場所を変える月より、余程確かな導きだ。
夜の空に輝く星を従え、全ての天の絵を描く中心点。
北斗の七星も牽牛織女も、その光の許に首を垂れる。

そんなところまでこの方にそっくりだ。
いつも皆の中心で笑い、いつの間にか誰も彼も味方につける。

初更夜の空を眺め、互いに黙って息を繰り返す。
膝の中のこの方の、細い首がふと垂れる。

「・・・眠いですか」
囁き声に首を振り、垂れた首をしゃんと上げ直し、この意地張りが懸命に首を振る。
「無理をせずとも」
朝も早かった。一日中典医寺で働き詰めだったのだろう。
首が垂れて当然だ。 そう案じて声を掛けてもこの方はただ頑迷に首を振る。

仕方ない、この腕の中で眠るまで。
息を吐き、小さな体を抱え直す。
天極星とは違うのだ。一晩中輝いている事は出来ぬだろう。

「ねえ、ヨンア」
「・・・はい」
「あれね、あの三角」
先刻指で辿って示した大三角へと瞳を上げて、この方が囁いた。

「あれは、織姫と彦星?」
「おりひめ、というかどうかは知りませんが。織女と牽牛です」
「私の時代には、七夕伝説って言うのがあったんだけど」
「伝説、ですか」

この胸の中、瞳を空に当てたまま、この方は小さな声で話し続ける。

「彦星が、天の神様の娘の羽衣を盗んで、その天女は天界に帰れなくなっちゃうの。それで、衣を盗んだ彦星と結婚するの。
子供に恵まれて幸せに暮らしてるんだけど、天女のお父さんの神様が帰って来ないのに怒って、天女だけ天に連れ帰っちゃう。
彦星はようやく子供と一緒に追い駆けてくんだけど、神様は彦星と天女の間に天の川を流しちゃうの。
彦星は子供と一緒に、柄杓で一生懸命天の川の水をすくうのよ。
その彦星の心と、お母さんの天女を恋しがる子供の気持ちが神様に伝わって、1年に1回だけ七夕の日に、天の川を挟んで織姫と彦星が逢うのを許してあげたんだって」

細い背をこの胸に凭れ、この方は肩越しに此方へ丸い瞳で振り返る。
「いいお話でしょ?」
他意はないのだと知っている。この方は腹に一物抱いたまま回りくどい話など出来る方でも、する方でもない。

己の罪悪感が思わせるだけなのだろう。まるで俺達のようだと。
俺達の間に子が出来れば、そして天罰でこの方を奪われれば、俺はその子と共に、この方を探し続けるだろう。
天に上ろうと、地に潜ろうと、探して探して、探すだろう。
互いを分かつ川が流れていれば柄杓で、柄杓がなくばこの掌で水を掬うだろう。
「ねえ、ヨンア」

そう呼ばれ我に返る。
腕の中のこの方へ目を戻すと、夏の大三角を見上げていた瞳はいつの間にかこの眸を見つめていた。

「私たちは、絶対そんな風にならない。違う世界から来たけど、帰れなくなったんじゃない。帰って来たの。
だから誰も私たちの間に、川なんて流さない」
「・・・イムジャ」
「もし流したりしたら、未来の知識でダムでも水路でも作って水を堰き止める。それで、一緒に逃げようね」
その言葉に、思わず笑いが込み上げた。
この方ならば、本当にそうするだろう。

「それなら俺は筏でも作りましょう。乗って逃げれば早い」
その声に、この方が嬉しそうに頷く。
「絶対、待っててくれる?」
「無論」
「私も絶対、帰って来るから」
「はい」
「やっぱり私達、最高のパートナーね!」
「・・・ええ」

ぱーとなー。この方が教えて下さった、最初の天界語。
互いに起きた事を包み隠さず話し、手を取り合って助け合い、時には酒を酌み交わし。
「イムジャ」
「なぁに?」
「夫婦でも、ぱあとなあですか」
「そりゃそうよ、人生のパートナーだもの」
「人生の・・・」

人生の、ぱあとなあ。今までも、これからも、そしてこの先幾度生まれ変わろうとも。
天極星の如くいつでも変わらぬ場所に居るこの方を探して、たとえ川で分かたれても、門で隔てられても、俺は探す。
「これからも、包み隠さず」
「うん」
「助け合い」
「もちろんよ、パートナーだもの」
「たまには、酒も」
「そうそう、一緒にね!何なら、今から飲もうか!」

結局酒が飲みたいだけなのだろうか。
期待をこめた声に、俺は首を振る。
「改めましょう。今宵は寝ねば」
「つまんないの」

そう言って少し膨れる天極の星。
俺の天はいつでもこの方を中心に回る。
そして俺の織女は天の川も堰き止めて下さると言う。
心強い。おっしゃる通り、最高の人生のぱあとなあだ。

俺は首を長くしていつまでも待ちながら、筏を作ろう。
いや、この方が落ちたら困る。小舟でも削り出すか。

寝屋へ戻ろうと、膝の中のこの方を降ろす。
「参りましょう」
そう問い掛ければ頷いて、この方が嬉し気に言う。
「秋になったら夜が長くなる。おしゃべりもお酒も、たくさん楽しめる」
「・・・その前に、婚儀を忘れていませんか」

声を交わしながら、寝屋への廊下を戻る。
「忘れるわけないじゃない。もうすぐよ。ドキドキしちゃう」
「御父上が連れ戻しにいらっしゃらぬよう、まずは天門へ」

この方の御父上がもしもお怒りになって取り戻しにいらっしゃるなら、必ずついて行くだろう。
逢えるのが一年に一度では酷過ぎる。ようやく再び逢えたのに。
そんな事になる前に、礼儀だけは欠かさぬように、先ずは天門でご挨拶をせねばならん。
俺の織女と引き離されぬように。

寝屋に入る扉、もう一度空を仰ぐ。天の川で隔てた星の二つにならぬよう。
「うーん、眠くなってきた」

寝屋へと入るこの方が躓かぬよう、出た時のようにその手を握り、俺は後手に扉を閉めた。

 

 

【 初更夜 | 2015 summer request・夏の大三角 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

私のお題ですが「夏の大三角形」です。
小学生の頃、星座板を持って首が痛くなるまで
眺めていました。ヨンとウンスは星空を見上げどのような話をするのでしょう・・・
暑い日が続いております。どうど、お身体には
気を付けて・・・ (きんぎょさま)

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