搏動【後篇】 | 2015 summer request・夏期講習

 

 

「何だ」
侍医の部屋。
踏み込むなり卓前の椅子に大きな音を立て腰を下ろした俺に、驚いたような奴の目が当たる。

「隊長、何かありましたか」
「それが話か」
「ああ、そうではないのですが」
「話が無いなら帰る」
「そうおっしゃらずに、聞いて下さいませんか」
「言え」

侍医はゆっくりと向かいの椅子へと腰を下ろし首を傾げる。
「お忙しいのは重々承知ですが」

今更俺の役目の多忙さを口にしてどうする。
部屋の窓から射す光に浮かぶ奴の顔を見据えて息を吐く。
「隊長」
「何だ」
「ご協力を頂けませんか」
「何を」
「医仙の脈診を。十日、いえ七日だけでも」
「・・・脈診」
「ええ」

呆気に取られたような俺の声にさも当然のように侍医は頷いた。
「医仙に脈診を御教えしています。先程、部屋の中でも。
外には聞こえませんでしたか」

妙な声の切れ端だけが聞こえたと、怒鳴りたいのを堪えて頷く。
「・・・脈診を教えてたのか」
「はい。医仙は典型的な虚証ですし、隊長の実証と比較するのが一番判りやすい。
医仙も望んでいらっしゃいます。
隊長が刺し傷で倒れた時も、血毒で心の臓が止まった時も、医仙が全て治療をしておられます。
隊長の脈を誰より御存知なのは医仙です」
「・・・直接聞け」
「は?」
「医仙が直接聞けば良い」
「隊長が忙しいのではと、遠慮されているのです」
「遠慮するたまか、あの方が」
「隊長」

窘めるような侍医の穏やかな顔を正面から臨むと
「あの方の御振舞いは天衣無縫に見えますが、陰の努力は驚く程です。
慣れぬこの地で、普通ではなかなかあそこまでは難しいでしょう」
奴はそう言って此方へ微笑んで見せる。

そんな事は俺も見ている。
天界で男の首の傷を縫い合わせる折。
王妃媽媽の御首の傷を治療する折。
慶昌君媽媽に付き添うた看病の折。
俺が意識を失くしていたとはいえ、どれ程力を尽くしたかも判る。
あの方でなくば俺も、畏れ多くも王妃媽媽も、疾うに彼岸の向こうだ。

お前だけが知っているわけではない。
お前だけが、見ているわけではない。

「志が無くば無理、心遣いが無ければ尚更無理です。
思うのです。あの方は、もしかすると・・・・・・」

奴のもの言いたげな沈黙が破られるのを、腕組みしてじりじりと待つ。
だが己から口を開く気が無いのか、言葉を探しあぐねているか、奴は床へ目を落として黙っている。
根競べなど御免だ。痺れを切らして先に口を開く。
「何だよ」
「隊長も御存知でしょうか。下医は病を癒し、中医は民を癒す」
「・・・知らん。医書の言葉か」
「はい。小品方という、元に古くから伝わる医書にあります。
似たような言葉はあちこちの医書でも散見しますが」
「成程。で、あの方とどう関わる」
「この地の医と、そして天界のあの医術を併せ持てば。
そして医仙の今の御心が伴えば、医仙は上医になられるかもしれません」
「上医」

俺の呟きに侍医は頷いた。
まるで己が褒められるより嬉し気だと言わんばかりの、会心の笑みを浮かべて。

「上医とは、では何を癒す」
「書にはいろいろとあります。無病を治す。肝の病を見つけ発症前の脾を治す。鍼で病の気を中和させる。
ですが共通するのは」
「何だ」
「上医医国」
「・・・何だ、それは」
侍医は俺を真直ぐに見つめて言った。

「上医は、国を癒すのです」

 

敢えて少し刺激的な様子をお見せすれば、心が動くかもと踏んだが。
余りに怒りを露にする隊長の様子に思わず苦笑が浮かぶ。
時が時だ。奇轍の事で頭が一杯なのかもしれないが、それにしても。
最近医仙の事となると、本当にこの方は前後の見境を喪われる。
普段の隊長ならばこんな稚拙な技などお見通しで一蹴するのに。

木の陰に隠れるだけではもう物足りないのでしょう、隊長。
それでもそうはおっしゃらない。
まるで何かに戸惑うように、敢えて見ぬように、まだ蓋をして目を背けて。

そしてそれは医仙も同じ事。
何故あれ程懸命に脈診を学ばれるのか。
此処にいる間だけと、まるで己に言い聞かせるように、幾度も口にされて。

中医医人、下医医病。
この地にいらしたばかりの頃、隊長の治療に苛立つ医仙にお伝えした。
そしてあの折にお伝えし損ねた境地。
上医医国
─── 上医は、国を癒す。

まさかそこまではないと思っていた。
あの方の隊長への、そして医への投げ遣りなあの態度を見て。
備わった才は天界の医術のみで、御心は伴っていないと思った。
上医は、国を癒す。
それは単に王様を治す王妃媽媽を治すといった類ではない。
どれ程高い地位の方々を治療するかではない。
そうした個の人々ではなく、国という大きな世を癒す事。
それを成せる方こそ真の医仙であり、かの華侘の後継者。

国を正し、民の体を守り、心を守り、病の下から遠ざける。
民の全てが安心して眠り心地よく目覚め日々を過ごすよう、まるで母のように、そして神のように。
その両の腕で高麗の民の全てを抱き締め、護れる方こそが上医。

けれど。

己の心に沸いたこの思いに、肌が粟立つ。
その思いに締め付けられ、脈動が早まる。

もしも医仙が隊長を支えて立つならば。

国を率いて戦の先陣を切るこの方に泣きながら息を吹き込み、心の臓を揺らして救った奇跡が続くなら。
分厚い氷を砕き割り深い泥沼から泣きながら引き摺り出した、あの時のような奇跡が、本当に続くなら。

そして隊長が今のまま己の損得を顧みず、ただ国の為、民の為、王様の為にのみ戦を率いていくならば。

ならば、隊長は真に高麗の軍神となる。
そしてそれを支える医仙は。医仙は、上医となる。
医を志す者の全てが目指し、憧れてやまぬ上医に。

この御二人は、それがどれ程到達しがたい高みか考えてもいない。
ただ走っている。己の心の命じるままに正直に。
計算をした時点で、私欲が芽生えた時点で、その途は途絶える

ただ、この御二人なら。
未だに互いが何を求めるかも伝えず、逸らした視線すら合わせない、不器用で真直ぐな御二人なら。
そしてようやくこの国を背負おうと覚悟を決めたあの若き王様が。
横の王妃媽媽と手を携えて、王として正道を歩んで下さるならば。

それなら、この国の行く末は変わるのではないか。
いや、実際にもう変わってきているのではないか。
天からいらした方が、あの涙と叫び声で隊長の命を救った時。
目覚めた隊長が医仙の為に皇宮に残り、王様の御心を汲み取り、受け入れた時点で。

「隊長」
私の声に隊長が僅かに首を傾げる。
「何だ」
「脈診を」
「・・・しつこいな、侍医」
「お願いです。医仙の脈診にご協力を」

隊長は呆れたように肚から太い息を吐き椅子を立つ。
そして立ち上がり損ねた私をその目で静かに見ると
「明日から十日。毎日と約束は出来ん。何しろ奇轍が煩い」
そう言って大きな歩幅で部屋から歩み出ていく。

変わるかもしれない。何かが。

期待と不安の中。
遠くなる隊長の鎧の背を、耳の奥に響く自分の高まる拍動を感じつつ、私はいつまでも見送った。

 

 

【 搏動 | 2015 summer request・夏期講習 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん、素敵な夏期講習をありがとうございます❤︎
    さらんさんの真骨頂のひとつ、医学用語の数々と丁寧でわかりやすいそれらの解説、拝読しながら、改めて さらんさんの素晴らしさを実感しました。

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    ドラマではウンスに「下医と中医」の話しかチャン侍医はしなかったので、上医は無いのかなと当時思ったんですよ。
    そうしたら後日ある事を知って、このさらんさんのお話を読んで更にそうだよね~って納得しました。
    「上医は国を癒す」
    ヨンはウンスを出逢わなければ、死んだ様に生きたままだったと思うし、軍神とまで言われなかったかもしれない。
    そうなれば、高麗がもっと早く滅んだかもしれないし・・・
    ウンスも現代にいたままでは、そんな医者にはなれなかった。
    2人の出逢いは偶然じゃ無く、必然だったと改めて思いますね。

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