錦灯籠【陸】 | 2015 summer request ・鬼灯

 

 

「・・・迂達赤の方々でしたか」

門を潜り庭を歩き玄関まで辿り着くと、寝屋と思しき殿の扉が開く。
中から出て来て小声で言ったその顔に何処かで確かに見覚えがある。
曖昧な記憶を手繰り寄せ、俺はすぐに頷いた。

「以前、武閣氏にいたな。剣戟隊長」
「はい、迂達赤隊長様。お久しぶりです」
その女人は後手に音を立てず扉を閉めると、こちらへ向かい小さく頭を下げた。
「そうだったのか、此方にいたか」
「はい」
「テマンさん」

寝屋の扉脇、まるで小山のような巨きな影から優しい声がする。
月の下に出て来た影、髭に覆われた大男は、穏やかな眼差しでテマンに頷いた。
「コム、医仙は大丈夫か」
「はい」
「驚かせてごめんな」
「いえ」

困ったようなテマンの声に最後に大きく首を振ると、元武閣氏と大男は揃って大護軍へ頭を下げる。
その二人に向かい、大護軍が小さく頷いた。
「騒がせた」
「いえ」
「戻って寝んでくれ」
「御飲み物だけ、ご用意しましょう」

元武閣氏の声に、大護軍が俺達を振り返る。
「お構いなく」
息だけで返す俺を眺めて額から流れる汗を判じたか、大護軍は首を振り女人へと告げた。
「茶をくれ。こいつらは戻らねばならん」
「畏まりました」
頷いて退いた女人の横、再び歩き出した大護軍に従き廊下を進む。

黒い立木の高い影が、月の光を所々遮る庭。
縁側を挟み、大きく開け放たれた居間の扉。
庭から流れ込む、さらりと乾いた夜半の風。

昼に見れば。いや、昼でなくとも、機嫌の良い大護軍と眺められれば、さぞや風流な庭なのだろう。
しかし今は風がただただ寒い。思わず震えだしそうなほどに。

壁に取り付けた油灯、居間の卓の脇で揺れる燈籠の灯。
その灯に照らし出される大護軍の、鬼神の如き険しいままの形相。

俺はどう動く。
真直ぐに大護軍を見詰めるトクマンと、無言でトクマンを見詰め返す大護軍と、大護軍の脇に座り下される声を待つ様子のテマンと。
飛んできたのが間違いか。
一晩待ち明日朝、互いに頭が冷えてから引き合わせれば良かったのか。どうにかせねばと焦りすぎたか。
しかしそれでは今晩が長過ぎる。時間を空けても大護軍の怒りが収まるとは限らない。

「大護軍」
その時卓に向かい合った大護軍に向け、トクマンが口火を切った。馬鹿な事は言うなよ。胃の痛む思いで俺はその様子をじっと見る。
「済みませんでした」
「理由は」
「え」
「月水流しの許へ医仙を連れて行った」
「はい」
「何故だ」
大護軍はトクマンを見詰めて低く問う。

「俺の、幼馴染でした。大切な妹みたいなものなんです」
「・・・そうか」
「王様に禁じられているからやめろと、止めに行きました。内情を伝えました。済みません」
「幼馴染なら、先に言え」
「半信半疑だったんです。開京には薬房が多いので」
「何故医仙を一人で帰した」
「それは俺の判断誤りです。医仙に、話して行けと言われました。ご自分は一人でぶらぶら帰りたいと。
手裏房も自宅も場所は分かるから、大丈夫だとおっしゃって」
「・・・そうか」
「はい、申し訳ありません」
「その幼馴染が月水流しなのは、確かか」
「はい。本人も認めました。でも何か必ずわけがあるはずです」
「それで医仙を連れて、辻褄合わせに行ったか」
「薬の事は、俺には分かりません。トギの言葉じゃ聞き取れない。医仙しか思いつかなかったんです。
どうしてそんな事をしたのか、何で子下しなんて、王様が禁じているのに、そんな残酷な」
「問題は」

灯に浮かび上がる大護軍が小さくその手を上げると、トクマンはぴたりと口を閉じ、大護軍へと目を当てた。

「幼馴染が王命に背いた事。そして王命にも拘らず、其処を訪れる患者がいる事。何方も露見すれば厳罰は免れん」
「はい」
「一先ず此処の四人で納める。迂達赤にも一切他言無用」
「でも大護軍」
「何だ」
「あいつ、変でした」
「変」
「亡くなった者は土塊だって、そんな事を言う奴じゃなかったのに」
「・・・土塊か」
「理由があるはずなんです。必ず何か、あいつが変わった理由が」
「判った」

顎先で頷くと大護軍が腰を浮かせた。それを目の端に認めた次の瞬間。

居間の薄明りの中、目にも止まらぬ疾さで大きな大護軍の掌がトクマンの胸倉を一息に掴み上げ、鼻が触れる程に顔が寄っていた。

脇のテマンですら動くことも出来ぬ早業だった。
大護軍が奴の胸倉を掴み上げたと知って初めて、俺も腰を浮かせた。
揺れる灯の中、俺達の四つの影が居間の壁に伸びる。
「て・・・!!」

思わず叫びかけ、医仙を起こさぬようにと思い出して息を詰める。
「・・・護軍!」
それでもどうにか続けた俺を一瞬確かめると、大護軍は再び正面のトクマンを据わった眸で睨み直す

「良いか、トクマニ」
「・・・はい」
トクマンも覚悟していたのだろう。鼻先に寄った大護軍から目を逸らさず頷き返した。
「俺に先に言え。順序が違う」
そう言って大護軍の掌が奴の胸倉からようやく離れる。

灯影に浮かぶ奴の胸倉の上衣の乱れで、どれ程強い力で締め上げられたかは一目瞭然だ。
俺が息を吐き、テマンが丸い目を瞬かせた途端に、離れたはずの大護軍の掌が迷いなくトクマンの頭を思い切り叩く。
「馬鹿が」
「済みませんでした!!」
大声で叫びかけたこいつの口を、腰を浮かした俺とテマンの掌が慌てて塞ぎにかかった。

 

*****

 

「ありゃ男かい、女かい」

今日はまた梅雨空に戻っている。
重苦しい黒灰に垂れ込める雲の隙間から、時折雨が落ちてくる。
立寄った手裏房の酒楼、マンボが呆れたよう俺の前に腰掛けた。
「何の事だ」
「あんたが調べさせた月水流しの薬師だよ」
「女人だ」

あの晩トクマンは言っていた。妹みたいなものだ。
ならば女人に違いない。そうマンボに返すと
「まぁヨンア、あんたほどじゃないけどさ」
俺の頭上へ当てたマンボの目が、ぐるりと回る。
「あのテマンくらいは優にあるよ、上背が」
「・・・薬師がか」
「ああ」

確かにそれは随分高い。
あの方も高麗の女人よりは上背はあるが、それにしてもテマンとでは比べ物にならん。
何か武芸でも嗜むのか。さもなくば生来のものか。
万一薬房に踏み込むような事になれば、手段を講じねばならん。
下手に武芸を齧っていれば、兵が反撃に出る事もある。
トクマンを傷つけぬ為にも、その薬師を傷つけぬ為にも。

何だってこう厄介な事ばかり起きる。
太く息を吐き、東屋の卓に頬杖を突く。

奴の妹分と分かったからには、確かに名分を探さねばならん。
そうでなくば王命に背いた者として、王様へのご報告もある。
詮議に掛かり全て露見すれば否応なく厳罰に処さねばならん。

廃業くらいで済むのか。子下しとなれば、捉えようによっては人を殺めたと同じ事だ。
それも相当の数に上ればどれ程重い罪になるのか。
それでも出来る限り、あの方を巻き込みたくはない。
王様と媽媽の折の傷を、思い返して頂きたくはない。

子を流した理由。名分。
そんなものがこの世にあるだろうか。無辜の腹の子を月水とするような名分。
本来ならば、探したくもないような話だ。
しかし無理にでも探し出さねば、トクマンが傷つくだろう。
あの方を無断で連れ出すほど、切羽詰まっていたとなれば。

「・・・マンボ」
「何だよ、辛気くさい面して。いくら梅雨時だからって黴が生えそうだね」
「女人が月水流しに頼るのはどんな時だ」
「さぁてね、あたしは考えた事も無いね」

マンボは皮肉気な顔で、唇の端を歪めた。
「授かったもんをわざわざどうこうしようなんて馬鹿な事、あたしなら絶対に考えないけどね。
大かた相手の男のせいだろ。育てることも出来ないのに、種だけばら撒くような無責任な男が居る事は確かさ。
全く腹立たしいったらないね」
「・・・そうか」
「あんたは心配ないだろうけどね、ヨンア、良いかい。絶対にそんなだらしのない男にゃなるんじゃないよ!
そんな事になって天女を 泣かせてでもみな、あたしもあんたの叔母も黙っちゃいないからね!
その大事なもんちょん切られるのが嫌なら」
「もう結構だ、マンボ」

女人にこの話は振らぬ方が良い。話すたびにそう思う。
あの方があの夜、あれ程疲れていたのも。
マンボがこうして、気が立っているのも。
この話になると皆そうだ。俺は息を吐き話題を変えた。

「で、薬師について何が分かった」
「ああ、その女は父親から継いだ薬房を営んでる。こっからすぐさ。大路の南外れの、小さい薬房。
川沿いに歩けば、庭にほおづきが山ほど植わってる。近くに行きゃあ、目立つからわかるよ」
「・・・ふむ」
「何しろ事が事だからね。どんな客を患者として取ってるかは調べようもないよ。
どいつも名乗り出ちゃあ来ないだろうしね」
「まあな」
「あとは薬師に直接聞くんだねえ」
マンボの声に頷くと、東屋の軒に滴る雨粒を見上げる。

ほおづきの植わった庭。見に行ってみるか。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    頭の拳骨だけですんで良かったね!
    やっぱりヨンは男気があって
    話せば分かる良い男です(^^)
    さらんさん
    鬼灯を私の想像を越えた、
    素晴らしいお話に描いてくださって
    嬉しいです。
    ありがとうございます(^^)
    お話の続きが気になって夜まで待てません~~

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、我らがヨンが動き出しましたね!
    トクマンに対しても、ダラダラ、くどくどと鬱陶しく叱責するのではなく、端的でわかりやすくて❤︎、怒り方までもが男前です。
    そんなヨンを叱れるのは、コモかマンボくらいのものでしょうか。
    あ、一番頭が上がらないウンスもいましたねσ(^_^;)。
    それはそうと、アラにはどんな過去があるのでしょう。
    気になります~(´Д` )

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