「あ、似合う!!」
短いパジを履いただけの姿でこの方の目の前に立つと、嬉しそうな歓声が上がる。
「うんうん。やっぱり普段から鍛えてるとなんでも似合うのね」
「・・・あまり見ぬように」
「何で?水着だもの、厭でも見ないわけにいかないでしょ。でも・・・」
この方の視線が、手に握ったままの鬼剣に止まる。
「剣は、離すわけにいかないわよね?」
「当然です」
これで鬼剣まで手放せというなら今すぐに衣を引掛け此処を去る。
その心積もりで俺は頷いた。
「じゃあ、剣は近くに置いておこう。濡れても平気?」
「はい」
「うーん、スイム・トランクスに剣・・・さすがチェ・ヨン将軍ね」
此方の出立ちにくすくすと笑うと、次に小さな手が空いた右手を握り締める。
「行こう!」
手を引いたまま沢の水辺まで近づいて桜色の足先を水に浸し、鳶色の瞳がこの眸を見上げる。
「巴巽村の川より、冷たい感じがするけど」
「上流なので」
「上流だと冷たいの?」
「・・・はい」
上流で滝があり、そのうえ木々に囲まれていれば、水温が低いのは当然。
それすら知らずに沢で泳ごうとするなど無茶だ。
「脚をつける程度では駄目ですか」
「ううん、別にいいわよ」
この方はその剥き出しの足で沢を進み、近くの岩の上にちょこんと腰を掛けた。
その手前、護れるぎりぎりまで離れ、坂道の終わりが見える処に己も腰を据える。
あそこから射かけられ、鬼剣で振り落とし損ねれば終いだな。
己の裸の上半身を見下ろしながら思う。
「・・・楽しいですか」
「うん。楽しいし、気持ちいいわ」
「天界ではこの格好で水遊びをするのですか」
「そうよー、海でも、プールでも。あなたは嫌い?」
「・・・ええ」
「やっぱりね」
陽射しを受けていた岩だけが温かい。
そこへ腰掛けて、この方は爪先で大きく水を蹴る。
澄んだ沢の水飛沫が、陽射しを受けて輝いた。
その行方を眸で追いながら、横の小さな方へと尋ねてみる。
「これからも着るおつもりですか」
「もちろん。水遊びをする時は、私にはこっちの方が自然なの」
「・・・そうですか」
「陽に灼けたくはないけど、どうせ灼けるなら服を着て変に灼けるより、ビキニの方がましだしね」
「・・・・・・」
びきにの方がまし。どこがどうましだと言うのだ。
「だって、あなたに見せたくてわざわざ作ったのよ?どう思う?
可愛いとか、意外とスタイルいいねとか、なんか褒めない?」
すたいるが何なのかすら、訊く気も湧かん。
直視すら出来ぬものを如何思うかなど、言いようも無い。
「着ないで下さい」
「え?」
「二度と着ないで下さい」
「2人っきりでも?」
「はい」
「そんなのってあり?せっかく作ってもらったのに?」
「どう思うか問われたでしょう」
この返答が余程お気に召さなかったらしい。
夏の陽射しで温かい岩に腰掛け、沢に突込んでいた足先で、この方は思い切り水を跳ね飛ばし始めた。
「そんな事聞きたかったんじゃないわよ!女がおしゃれしたら男はほめるもんなの、そう決まってるの!!」
「惚れた女人のあられもない姿を、どう褒めろと言うのです」
「もぅ!どうしてそんなに頑固なの?」
「脚を剥き出した姿を褒めるなど、下心しかない」
これでも堪えている。筆舌に尽くしがたいほど。
この奔放な方の、次に何をするか判らぬ振舞いも。
この天衣無縫な、悉く完全に此方を無視した声も。
俺を男として見ていないかも知れぬその不安にも。
「ケンカしたかったわけじゃないわ。せっかく夏だし、こないだは服着たまんまだったから。
おしゃれしてみたかったの。それなのにそういう態度な訳?ほんと心狭い!」
「言うたでしょう。俺は心も狭い、気も長くない」
「だからって、私が着たものくらい褒めてくれてもいいでしょう!」
この態度が余程腹に据えかねたのだろう。
離れた岩の上に腰掛けて脚を遊ばせていたこの方が大声で言って、やおら岩の上に立ち上がった。
「信じられない、女がここまで言ってるのにただ怒鳴るだけ?
たとえちょっと腹が立っても、自分の為に着飾ったんだな、そういうとこが可愛いな、って思えないわけ?」
柔らかそうな小さな足を踏ん張って、拳を握り、髪を振り立てこの方が叫ぶ。
「思えません」
「じゃあもういいわよ、着替えればいいんでしょ!」
そう言ってこの方が岩の上を歩き出そうとした瞬間。
その岩の段差に小さな爪先が掛かる。
岩の上、剥き出しの体が斜めに傾ぐ。
「ウンスヤ!!」
握った鬼剣の柄から手を離し、支えようとした指先を擦り抜け、派手な水飛沫を上げ細い体が沢へと落ちる。
そのまま続いて飛び込み、水の中で眸を開けたままあの方を探す。
水面から射す光で青白く揺れる腕を引き寄せ、水を蹴り浮かび上がると、水から顔を出したこの方が思い切り息をする。
「・・・っぷぁ!」
元気なものだ。溺れても、水を飲んでもいない。
その体を仰向けに浮かばせ、横抱きに抱え、岸辺に向かって水を掻く。
「冷たいと思ったけど、そうでもなかった」
「黙れ」
「ちょっと足が滑っただけじゃない」
「黙れ」
「もう、怖いんだから」
「黙れ!」
「でもほら、着物より楽でしょ?泳ぐの」
そう言われて初めて気づく。
確かに衣を纏ったままならあっという間に沈む体も、あれ程早く見つかったのは。
己がこうして水の中を動いていても、何も纏わぬ程に楽なのは。
この方を横抱きにしたままの腕を、水の中で大きく振ってみる。
衣を着たままなら動きにくい体もまるで魚のように、この腕の動きに添うてくる。
急に振られた腕に驚くように、この方が強くしがみつく。
「何するの!」
楽しそうな笑み声の、大きな抗議が上がる。
「・・・確かに楽だと」
「そうでしょ?」
ただ唯一の難点は、こうして腕にしがみつかれると。
「・・・イムジャ」
「なあに?」
「少し、離れて下さい」
離して下さらないとこの方に回した剥き出しの腕に、その短い羽織り物の下の、全ての膨らみもへこみもが。
「溺れたら困るから、イヤ」
「・・・足が着きます」
「あなたは長いから着くだろうけど、私は着かないかも」
「溺れれば助けます」
「いやーよ」
そう言いながらもしがみついていた腕を解く、自由になった腕に安堵の息を吐いたのも束の間。
この方はこの背へと回り込むと、首へ手を回してしがみつき直す。
腕ですら確かに感じた柔らかさが、確りと背に押し付けられれば。
「離れて下さい!」
「イヤだってば!」
振られる亜麻色の濡髪がこの背に当たる。
「いい加減に」
「何よお。楽しいくせに!」
「楽しくなど」
「素直じゃないなあ・・・あ!」
背にしがみついたこの方の、首に回していた右手だけが離れる。
「そっちじゃなくて、あっち!滝の方に行って?」
「上がらぬのですか」
「まだ上がらない。滝、滝の方!」
水中で身を翻すにも、この短いパジなら何の問題も無い。
「まっすぐ行って、滝までね?」
びきにはともかく、このパジはとても良い。
いや。この方がびきにを着けていなければ、水中で探すのにも引き揚げるにも手間取ったろう。
こうして背に当たる温かさや柔らかささえ感じなければ、この天界の衣は大層優れているのかもしれん。
「イムジャ」
「うん?」
段々と深さを増す水中、背負ったままのこの方が肩越しに俺の横顔を覗き込む。
「腹を全て覆うような、脚もせめて膝下まで隠すような、そんなびきにはないのですか」
「ねえ、ヨンア」
呆れたような背中からの小さな息が横顔へとかかる。
「それじゃビキニじゃないわよ。競泳用の水着になるでしょ」
「では、あるにはあると」
「え?」
「競泳用の水着、とおっしゃったでしょう」
「可愛くないもの!」
「可愛さは不要です」
「イヤ。ぜーったいにイヤ。あっても教えてあげない」
「イムジャ」
「そうよ、だいたいあなたが言ったんじゃないの。天界の知識をやたらにひけらかしちゃ駄目だって」
背負ったままのこの方が頑なに首を振る。
滝壺に近づくにつれ、水底が深くなって来る。
そろそろ足元が危うくなって一旦歩を止め、肩越しに振り返る。
「そんな怖い顔したって駄目よ」
この方のその声を合図に息を吸い込み、頭まで深く水へと沈む。
潜るのもこれ程に楽か。
背から離れたこの方を見失わぬよう手を掴み、再び水面へと上がる。
「ごほ・・・っっ、何で急に沈むの!」
長い髪の先まで濡れたこの方が、噎せ込みながら叫ぶ。
「聞き訳のない方が居ったので」
顔に張り付く髪を掻き上げ、頭を振る。
掴んだ手を離さぬままもう一度この方を引いて、岸辺へと進む。
「嫌だってば、もっと遊びたいの!」
細い手足でこの方が水を掻く。まさに無駄な足掻きだ。
動きやすいパジを着けていればこの方が暴れようと、水中を引くのに問題などない。
成程。衣を身につけた者なら少し暴れれば此方も共に沈むが、びきになら引くにもこれ程容易か。
「体が冷えております」
「大丈夫だってば!」
「唇も青い」
そのままこの方の足が十分届くところで手を離す。
不満げに水の中へ立ち上がったこの方は息を吐き、小さな手で長い濡髪を項から片方の肩へ纏めて握り、固く絞った。
腹など出さずとも、腰など見せずとも、脚の付け根まで晒さずとも。
その全てが今のように、澄んだ碧の水で揺れて隠れて見えなくとも。
「・・・綺麗です」
「え?」
「濡髪だけで」
褒めるものなのだろう、男なら。
諭されたから素直に口にしただけだ。
「ちょっと、待って」
「はい」
「・・・突然言われちゃうと、すごく恥ずかしい」
「言えとおっしゃった」
「だからって」
其方からばかり、先攻めを喰らうわけにはいかん。
得意げに笑う俺に、真赤になったこの方の目が当たる。
「ですから、びきには着ないで下さい」
身を屈め、耳許に唇を寄せ、囁いてみる。
どんなに楽でも、動きやすくとも。
それでも心から惚れ抜く女人の、この姿は見たくない。
密やかな薄闇の中だからこそ、大切な事もある。
敢えて白日に晒さぬからこそ、甘やかな事もある。
「愛して、いるので」
「・・・ほんと意地悪」
返って来たその小さな声は、滝音と明るい陽射しにかき消えた。
【 濡髪| 2015 summer request・水着 ~ Fin ~ 】

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