瀧殿【前篇】 | 2015 summer request・夕涼み

 

 

【 瀧殿 】

 

 

目が眩むほど白く、肌に痛いほどの熱い陽射し。
乾ききり、僅かな風にも埃が舞い上がる地面。
今しかないと言わんばかりに、啼き喚く蝉たち。

茹だるほどに暑い。

こうして軒陰にじっとしていても、額に胸元、それどころか腕貫の下、二の腕からも汗が噴き出る。
それでも康安殿を守る歩哨に立つ以上、これ以上の身軽な薄物に着替えるわけにはいかない。
迂達赤の鎧を身につけて、こうして立つしかないんだ。
「しかし、暑いな」

腕貫でぐいと額の汗を拭って一人で呟くと、二尺離れたチンドンが
「言うな、トクマニ。言うほど暑い」
そう言いながら俺と同じように腕貫で、しきりに額から顎へと拭う。
「これじゃあ人死にが出るぞ」
「違いない。水筒は持ってるだろ。飲みながら続けろ」
「ああ、そうするよ」

チンドンの声にうんざりしながら頷いて、俺は懐から小さな竹筒を取り出して、その飲み口の竹栓を引き抜く。
暑さのせいで、その手許すら覚束ない。そんな俺を眺めつつチンドンは首を振る。
「それでも俺達はまだましだ。お前はこの後、典医寺だろ」
「言わないでくれ、考えたくないんだ」
俺の声の響きで察してくれたか、幸いそれ以上の声はない。

チンドンはただ呆れたように青い空を見上げる。
「猛烈な暑さ、かんかん日照り、おまけにあの天の医官様」
負った弓が汗で滑ったか、チンドンはその位置を後手に直し、ついでのように腰の矢筒へと指を伸ばして深く息を吐いた。
「天のご意志とは、俺には全く分からんな」

俺にだって分からない。天のご意志も、隊長の意志も。そう怒鳴りたい気持ちの昂りを押さえ、深く息を吐く。

暑い歩哨が終わったら、医官様のあの甲高い声が待っている。
確かに暑気を払うほど、目が醒める程のお美しさではある。
しかし典医寺の開け放った窓から聞こえる、あの甲高い声。
こっちに向けた言葉でなくとも、耳を塞ぎたいほどの騒がしい声。

隊長が連れてきた、隊長の客人だ。丁重に対応しなきゃいけない。それが判っていても、手に余ることこの上ない。
典医寺のチャン御医をはじめとする医官や薬員たちも同様に見える。

それでも隊長の客人だ。お帰りまでは丁重に。
俺は烈しく首を振る。額の汗の滴が、暑い空気の中に二つ三つ飛んだ。

 

********

 

「うんざり。もうほんとにうんざりよ!!」

典医寺の診察棟、医官様のお部屋にと割り当てられた奥の間。
僅かの涼を得ようと開けた窓の外まで、声は十分に届いているだろう。
「医官様」
この密やかな制止の声など届くはずもない。
医官様は額に汗まで浮かべ、室内を歩き回り、苛々と尖る高い声で叫び散らす。

「あの迂達赤の隊長って人、一体何なの?何故わざわざ、私が あっちまで往診に行かなきゃいけないの?何様?そんなに偉いの?
確かに刺したわ、認める。刺したけど、だったら黙ってここに大人しく入院でも何でもしてればいいじゃない!
患者を追い駆けるドクターなんて、聞いたこともないわよ!」
「お静まりを」
「絶対に顔色がおかしいわ。敗血症ならもう感染して、発熱してるはず。
それなのに診察に来るわけでもない。一体何なのよ?何考えてるの?
ほっとけば遅かれ早かれショックが起きるわ。どれほど免疫力が高くたって雑菌だらけの部屋の中で開腹手術をしたんだもの。
何もない方が奇跡よ。あの人が普通の人間なら、まずありえない」

目の前で赤い髪を振り立て、怒鳴り散らす天の医官様。息を吐き首を振り、私は小さく諭すようにお伝えする。
「隊長には隊長のお考えが」
「お考えですって?!」
この言葉が火に油を注いだか。眦を吊り上げ、医官様は先程よりも高い声で喉も裂けんばかりに叫んだ。
「どんな高尚で大層なお考えだか知らないけどね、私はあの男の汚い肩に荷物みたいに担がれて勝手にここまで連れてこられたの。
覚えてるはずよ。忘れてないわよね?韓方の先生?」
「はい」
「おまけにあと一歩で帰れるってところで、無理矢理に引き留められたのよ。それも知ってるわよね?」
「ええ」

この医官様は、どうやら反論を聞くのがお嫌いなようだ。
ただひたすらに目を落とし、私はその言葉の接ぎ穂を待って、ええ、やら、はい、やらを繰り返す。

「だったら、それが悪いと思ってるなら、約束を守って私を帰すって本気でそう思ってるなら。
まずは傷を治すために、治療に専念するのが患者としてのあるべき姿じゃないの?違う?私間違ってるわけ?!」
「医官様」
「何よ!!」
「お言葉ですが」

この方のいらした、隊長がお連れする前の天界では出来るかもしれない。
患者が傷を治す事に専念し役目も成すべき事も忘れ、ただ一日横になり長閑に過ごす事が。
しかし今の高麗でそれは不可能だ。
元よりお戻りになったばかりの新しい王。その十年の不在。
その間に既に皇宮内にびっしり蔓延った徳成府院君の権力。

新王という若木が根を下ろし揺るがぬ大木になるまで。
あの徳成府院君が在る限り、今より五年かかるか十年か。より長くか。
隊長が迂達赤隊長である限り、新王をお守りする立場である限り。
どれ程に病み疲れ、体を蝕まれていようとも、立てる限り立ち続け、守れる限り守り続けるしかないだろう。
ましてや融通の利かぬ、石頭の頑固なあの隊長であれば仕方ない。

そして綺麗にそれを片付けた暁には、何も言わずに去るおつもりだ。
まるで一陣の風が抜けただけのように、何事もなかったかのように。
あの方はおっしゃっていた。慶昌君媽媽が皇宮を去られるあの日。
新王のお迎えと警護、皇宮へ無事にお連れするのが最後の役目と。

新王は既に皇宮に入られた。
これで一連の入宮の手続きが済めば、あの隊長はそのまま無言で此処を去っていく。
恐らくこの天の医官様を天穴から天界へと戻し、その後は二度とお目に掛かる事はないだろう。
それこそがあの隊長が永年、待ち望んでいた瞬間なのだから。

そんな皇宮の裏事情や隊長の信念を、目の前で叫ぶ医官様が理解できるとも、納得されるとも思えない。
第一それ程に他の者を慮れる方ならば、隊長が此処へおいでにならぬその理由とて、自ずと判るはずだ。
己の弱みを見せるのは、例え味方に対してでも許される立場にないと。

それを見せる事が新王を脅かす。脅かす事が己の足を引く。
足を引き此処を辞す邪魔をする事を、隊長はよくよく理解している。
今もあの隊長は真青な顔で毒の熱を抑え、冷や汗をかきながら手負いの虎のよう体を丸め、痛みの嵐が過ぎるのを昏い目で何処かで耐え忍んでいるはずだ。

それが判らぬ医官様を、天の方だからと判ずるのは易い。
それでも人の命を、生き死にを預かる医官が、その心を読めずそして救えずして、どう勤めて行かれるのか。
例え類稀な、いや、高麗に於いては唯一無比の腕を持っていらしても、肝心の心を救えぬこの方がどうやって医官として患者に接していくのか。

考えるほどに熱くなっていくこの頭を冷まそうと、息を整えて医官様へ静かに頭を下げる。

「何かご不便があれば、トギに申し付けて下さい。隊長の件は私も十分に注意しておきましょう。
何かあれば、すぐ此処へ呼ぶようにします」
「ほんと、よろしくお願いしますね?ここに長居する気はないの。
あの男が治り次第、すぐに来た場所まで連れてってもらわなきゃ困るんだから」
「・・・畏まりました」

それだけ言って頭を下げ部屋を出て行く私の後ろで、医官様が吐く息が大きく聞こえてきた。
息を吐きたいのは、此方の方だというのに。

 

 

 

 

夏をイメージする単語ですが『夕涼み』をリクエストさせていただきます(^^)
よろしくお願いいたします。 (みゅうさま)

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