紅蓮・勢 | 70

 

 

典医寺の庭を抜ける足音に振り返り、闇の中へと眸を凝らす。
「ヨンア」

診察棟から漏れるだけの灯では近付く者の顔は判じられん。
それでもその気配、息遣い、声ですぐに判る。
「叔母上」
「聞いた」
ようやく灯が届く処まで近寄って、叔母上が短く言った。
「徳興君の腕を落としたとな」
「ああ」
「殺すつもりではなかったな」
「助ける為だ」
「・・・そうか」

 

どれほど悔しかったろうな。
廻る因果の果て、あの毒遣いをお前自身がその手で助けるなどと。
「来い」
私の声にこ奴は生意気に首を振りおった。
「あの方が中にいる。離れられん」
「徳興君は今更毒など遣えぬ」

ぴしりという声に諦めたよう従う甥の足音を背に聞きながら、庭端まで進む。

 

「何なんだ」
背後から声を掛けると叔母上が闇の中で振り返る。
すでに闇に慣れた眸にその険しい表情が映る。
何を惑われる。ここまで呼び出しておきながら。
「何なんだ、叔母上」
「いや、何処から話すかとな」

そう逡巡する声は、叔母上にしては珍しい。
「何をだ」
「キム御医の事だ。調べろと言っておったろう」
「・・・ああ」
そうだったと思い出す。調べてくれ、確かにそう言った。
毒を遣う侍医、あの怪しい男を。

最後に殺せず、残った徳興君。
今後は監視の兵を膠のように張り付けてやる。
二度と毒など入手は出来ん。
もしも万一手に入れた時には、残った片腕も落としてやる。

残る気掛かりは治療が全て終わるまで、徳興君が典医寺に留まらねばならぬ事だ。
その間は、キム侍医を遠ざけねばならん。
今の徳興君を殺めるのは、赤子の手を捻るより易い。
しかし奴を遠ざければ、あの方に全ての負担がかかる。

此度の事でよく判った。毒遣いは面倒だ。
どう隠しているか、どう攻めてくるか読み切れん。
あの男は、己に危険の及ぶ場所に毒は隠さぬと思っていた。
簪に仕込んでいたなど読み切れなかった。

徳興君の治療と称し、侍医が毒をしみこませた筆で口の中を一撫でする。
鍼治療と称し、毒のついた鍼で経穴を一突きする。それで全てが終わる。
毒なら未だしも、経穴の中には人の息の根を止めるものもあるはずだ。
それが何処か俺には分からぬ。防ぐ手立てなど考えつかぬ。

 

目の前の茫とした様子のヨンに、私は首を傾げる。
「聞いておるか」
声を掛けると闇の中、闇よりも黒い奴の目に焦点が戻る。
「何か判ったのか」
仕切り直す甥の声に
「ああ」
と頷くと
「教えてくれ」
頭を切り替えるよう、奴が尋ねる。

「その前にお主が教えろ。此度の徳興君捕縛の経緯」
「教えるほどの事はない。出発前、徳興君が担がれるのは予想していた。
王様は生け捕れとおっしゃった。
奴は総管府で匿われていた。手札として李 子春が隠していた」

ヨンは自嘲するよう鼻先で笑う。
「考えれば当然だ。
高麗内の元国である双城総管府に居れば、一旦事が起きた時に最速で動ける」
「ああ」
頷くと、奴は首を振った。
「偶然捕えた。そのまま開京へ曳いてきた。
王様がご自身での尋問を望まれた。俺は供についた。
牢内で奴が毒簪を振り回した。俺を刺そうとしたんだろう。
押さえつけたら、自分の手を誤って刺した。
倭国の蛇毒、侍医に聞いたら患部を落とすしかないと言われた。
それで落とした。それだけだ」
「そうか」

その声に此方へまっすぐな目が向く。
「で、叔母上の方は何が分かった」
「御医は西京の出だった。典医の息子だ。許嫁がおった。
その女人が貢女の候補に挙がり、逃がれるため女人の父君が伝手を頼った。
行きついた先が、オン大監と徳興君だった」
その名に、ヨンの眉がぴくと動いた。
「あのオン大監か。俺と御息女の婚儀を画策した」
「その通りだ」
ようやく繋がった糸に、
「成程な」
こ奴は低い声で唸る。

「徳興君に仕えに出た許嫁の女人は、半年余りで戻り死んだ。
灰のような顔色で体の先から血が止まり、最後に体中から血を流し、息も心の蔵も止まったそうだ。
恐らく御医は全てを見ておったのだろう。
当時御医の父親の典医に仕えていた者らですら、その光景を確りと覚えて居るくらいだからな」
「毒か」
「そうだろうな。疫病にしては、そのように死んだものは他には周囲に一人もいなかったらしい。
おまけに徳興君は当時滞在していた寺で、他の浮浪者にも同じように毒を験していたと思われる。
寺で奴が振舞う飯を食った者らが、次々消えて行ったそうだ」
「奴のやりそうなことだ。芯から腐っている」

ヨンは汚らわしいものを吐き捨てるよう鋭く言った。
「両腕とも落とせば良かった。それだけが心残りだ」
「今でなくとも良かろう。何れそうなるかもしれん」
慰めにもならぬこの声に顎で頷き、闇より黒い目はまた何かを探すよう、夜の典医寺の庭へ投げられた。
「徳興君は、ひとまず無事なのだな」
「ああ、あの方が無理をしているだろう。
奴の為ではなく、俺や王様や、王妃媽媽の御為に」
「お前らは、いつまで経っても」

 

叔母上のうんざりした声に、俺は首を振った。
「どうにかしようとは思う。あの方の負担かもしれぬと。
それでも己よりもあの方が大切だ。譲れぬし変えられん」
「疲れぬか」
「あの方の疲れだけが心配だ」
「いい加減にしろ」
「なあ、叔母上」

俺の声に叔母上が目を向ける。
あの方が無事でも、これ程憎い。
あの方の倭国の毒の跡を見ただけで、あれ程憎んだ。
もし目の前であの方が血を吹き、苦しんで事切れたなら。
俺なら殺す。間違いない。
邪魔立てする者があらば、諸共に殺す。

そこまで考え、俺は踵を返す。
「ヨンア!」
梔子の香りの闇の中、叔母上の声が追いかけてくる。
その声にも振り向かず、闇を駆け抜ける。

あの方を殺めることはない。
そうするつもりなら、今まで幾らでも機会はあった。
それは徳興君が此処にいなかったからか。
故に手を下さなかっただけだとすれば。
そして現れた徳興君を弑す機会を、もしあの方が邪魔立てしたとすれば。

心の臓が厭な音で鳴る。頭の中で警笛が響き渡る。

─── 毒を使う者は、信用なりません。

亡き朋チャン侍医の苦い声が、あの目が胸を過る。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    いや~
    キム侍医…せつないわ~
    毒を使うものは… 
    自分も信用するな って いうことなの?
    うん、 
    しくじったからには、 最後の手段
    ウンスが危ないな~
    でも ウンスさん キム侍医の心に 添えるかな
    あああああ・・・・ 
    (ノДT)

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    さらんさん、今朝もお話を拝読させていただき、ありがとうございます。
    叔母上とヨンとのシーンが好き!というファンの方も多いと思いますが、私も大好きです。
    会話も気取らず、ヨンも素直だし、多少の甘えもあり…ですね(^_^;)。
    それにしても、徳のヤツ、本当に酷いことをしやがって!
    命を救って貰った後もまだ、なにやら企みそうで不安です。
    さらんさん、今日も1日がんばりましょうね❤︎

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    キム先生がウンスを!?
    そんなけこと考えたくないです。
    でも、わざとでなくてもは有り得る話。絶対嫌です。ウンスを守ってヨン!

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