紅蓮・勢 | 12

 

 

「そろそろ行きます」
そう告げてこの方を見る。
この方は頷き、もう一度この頬に小さな手を当てる。
「私も媽媽とキム先生に話す」
「悔いはないですか」
「何の?」

本心よりこの問いの意味が分からぬのだろう。
きょとんとした顔で、首を傾げるその姿。

「これよりの道、悔いはないですか」
「いつも一緒よ。何で後悔するの?」

俺の、高麗の守護女神。
俺のために隠す涙と痛みを、俺自身が知っている。
離れられぬなら、誰より傍に。

扉に向かいながら、横の心配そうな瞳が
「無理しないで。今回は、間に合わないかもしれない。明後日出発なのよね?」
そう言いながらこの眸を覗き込む。
「はい。それまでは禁軍兵舎におります」
「簡単には会いに行けないわね。迂達赤とは違うもんね」

寂しそうに俯く横顔に、胸がまた痛む。
「詳しくは言えぬが安心して下さい。先の戦より余程楽です」
「そうなの?」
「はい」
俺は頷いた。これだけは約束できる。

「膳立ては出来ている。上がった飯を喰らいすぐ戻ります」
「待ってるから、早くね。無事に戻らなかったら」
「許さぬ、でしょう」
片頬で笑み茶化す言葉で、横のあなたに笑顔の花が咲く。

「そうよ、絶対許さない」
「イムジャこそ無理はせぬよう。良く食べ、良く寝て、護りの兵から離れずに。約束して下さい」
「約束する。家には戻っていい?」
「いや、可能な限り典医寺に」
「分かった。家を見てくれる人も決めなきゃ。いつも誰かがいてくれるけど、みんな遠慮して母家までは入ってないから」

ああ、そうだ。
俺は思わず足を止め、額に掌を押し付けた。
内向きを守る者を見つけると言いながら未だにあの後、マンボとすら碌に話す暇が取れぬまま。
私用で宅の護りに割く兵は惜しい。能う限り鍛錬に回したい。
マンボに早急に手配を頼まねばならん。

「此度は間に合わぬ。イムジャは必ず典医寺にいて下さい」
「分かった」
「では」
最後に扉の前で振り返り、目の前のあなたに向かい合う。
「待っていろ、すぐに戻る」
微笑むその目を見つめ、約束の言葉を伝える。
「必ず、無事に戻って来て」
その言葉に頷き踵を返し、扉を出る。

数歩進んで振り向けば扉外まで出てきたあなたが、その顔の横ひらひらと両手を振っている。
いつでもそうだ。俺が背を向ければ、隠れて涙を拭うのだろう。

数歩進み、また振り向く。
その顔が霞み、優しい日差しに浮かぶ淡い影になっても。
はっきりと思い浮かべる事ができる。
三日月に笑んだ形のその瞳、そこに浮かぶ涙と目の赤さ。

もう振り向かぬと決め、真直ぐに歩く。
最後に会いたい男がいる。

 

*****

 

「キム侍医」
診察棟の扉を開けそう声を掛ける。
椅子に腰掛けた侍医が驚いたよう腰を浮かせた。それを手で制し机に歩み寄る。

部屋の中、俺達二人の他に人影は見えぬ。
「大護軍、どうしました」
穏やかに問う声に訊ね返す。
「侍医は毒に詳しいか」

突然の剣呑なその問いに、侍医の目が見開かれる。
「毒、ですか」
「謙遜や飾り事は無用、正直に答えろ」
「・・・はい、かなり通じております」

そこまで真直ぐな答えが返ると思わなかった。
徳興君の毒に備え、典医寺での準備を整えるつもりで問うたが。
目前の穏やかな侍医と、毒の言葉が重ならん。
その顔をじっと見る俺を見つめ返し、静かな声でキム侍医は呟いた。

「証拠を残さず痕跡を知られず、殺めたい者が昔おりました」

その思わぬ告白に目を開く。
「・・・侍医」
「ご心配なさらず。典医寺の侍医になる前の事です。遙か昔の。
今、治療以外に毒を使うことは、絶対にありません」

俺はこの侍医を知らぬ。この侍医も俺を知らぬ。
今この瞬間俺は思い知る。この男はチャン侍医とは違う。
心を通わせ、互いに朋とし、幾度も共に戦場に立ったあの男とは違うと。

「私の毒に関する見識は、ウンス殿やトギに聞いて下さい。
特にトギは自身で毒草を口にし続け声を失ったほど。相当の知識があります。
そのトギの判断ならば、大護軍も信じられるはず」

チャン侍医の言葉が胸に蘇る。

───  毒を使う者は、信用なりません。

キム侍医。
あの方の横に今後も置くべき者か否か、判じるのはこれからだ。
「もう一つだけ」
「はい」
「ウンスに何かすれば、お前を殺す」

キム侍医は言い放ったこの眸を見詰め頷いた。
「だから私は毒を学んだのです、大護軍。
あなたほど腕と度胸があれば、剣を学びました」

穏やかな表情の下に隠されていたその目の烈しさ。
それを確かめ何も言わずに席を立つ。
判じかねる。肚はまだ読めん。
それでもあなたを俺の傍に置くのは、やはり正解かもしれぬ。
ここには今や敵とも味方とも判らぬ、毒を扱う侍医がいる。

敵ならばこうも簡単に、手の内を明かさぬか。
何かあればもう既に、その手を使っているか。
それでも毒を使うと判った以上、易々と信用するわけには行かぬ。

ウンスに何かすれば、俺はお前を殺す。
その言葉に、
だから私は毒を学んだのです、大護軍。
そう返した侍医。

どういう意味だ、あの言葉は。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    さらんさん、今夜も素敵なお話をありがとうございます。
    キム侍医、なにやら気になる過去を抱えているんですね…。
    だからこそ、ヨンも信じきれないということなんですね。
    ああ、またまた先が気になります。
    ウンスは軍医として、ヨンとともに戦場に赴くのでしょうか?
    あああああ~、続きが楽しみです❤︎
    さらんさん、週末をゆったりとお過ごしくださいね

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    >muuさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    終わってみれば、ああした状況になっていました。
    本編で一回目にウンスの紙の端に毒を塗った徳興君が
    解毒薬を取りに来たヨンに
    「試してみたら、半刻遅れた者が・・・」と言ってるのを聞いて
    本当に人体実験したのか、それともヨンへの駆け引きだったのか
    半信半疑ながらも、あの男ならやるな、と判じ、
    その時に出来たのがこのお話でした。
    たとえあの毒ではなくとも、他の毒で験していそう、と。
    そんな事ばっかりしながら【信義】をリピートし続ける
    不心得なペンがここにおりますよw
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

  • SECRET: 0
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    >snow1019snow1019777さん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    キム侍医の過去、あんな感じでした。
    そして幕引きも、あんな感じでした。
    これ、最終話までUP後なのでお伝えできますが、
    途中でのコメ返でしたら、訳の分からない言葉になっていたかとw
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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