紅蓮・勢 | 13

 

 

「来たか」
日参するこ奴の顔を認め、俺は頷いた。
「今日は何をするんだ」
「変わらん。座れ。息をしろ」
「分かった」

手裏房の隠れ家、ヒドの所に通い詰めてもうすぐ半月。
毎日部屋に座り、息をしろと言われて、ただ息をする。

人は息をしないと死ぬ。水から上がった魚が死ぬように。
息を細く深くすると、肚から力が出て、手足が熱くなる。
部屋の中に座って、ヒドの声を聞き、俺はその声を追う。
「もっと平らに、長く、深く吸え」
「同じだけ、深く、細く吐け」
その声を聞いてると、頭が静かになってくる。
あの竹に釣瓶の水を流すみたいに、体の中に道が見える。

目の前、調息のその息を計る。大した進歩だ。
素直に言葉を聞き入れ、真っ直ぐ伸びてくる。

助けになってやれ。急いでいるなら死ぬ気で学べ。
こちらも死ぬ気で教えている。
遊びならば、こんな下らぬことに時間など掛けん。

その深い調息の具合を確かめながら頷く。

うまく育てばヨンア、お主を支えられるかもしれん。
お主の声だけを聴き、お主の背だけを追うテマンなら。
覚えろ。護れ。俺が傍に付けないその時は。

頭の中に、隊長の顔だけが浮かぶ。
医仙がいなくなったころの隊長だ。
あの北の兵舎で俺に言ってくれた。

考えろ、わかったら答えろ。

そう言ってくれた時の隊長だ。

何かがわかりそうだ。わかったらその時は答える。
隊長はあの時みたいに少し笑ってくれるだろうか。

 

******

 

「叔母上」

典医寺から出た後、俺はそのまま坤成殿に足を向けた。
王妃媽媽の御部屋の前、守りの叔母上へと声を掛ける。
「どうした」
「話がある」
「何だ」
「少し抜けられるか」

唇だけで呟くその声に叔母上の眉が寄る。
そして周囲の武閣氏へと目を走らせ頷くのを認めてから、静かに離れる。

回廊を歩きつつ思い返す。気になっていた事がある。
俺に仕組まれた偽の婚儀。
先の枢密院使の宰枢大監オン・ミョンウの娘との間に仕組まれた与太話の折。
─── 典医寺のキム侍医、注意しろ。
叔母上は、確かに言った。

回廊の隅まで進み、小さな橋の欄干に二人で背を預ける。
欄干の周囲に咲き誇る黄素馨、針槐、そして見事な芍薬。
流れる春の温かい空気。だが安らぐ気には一向になれん。

周囲の目から隠れた瞬間、叔母上から飛んだ速手を躱す。
「さっさと話さんか。忙しいのだ」
「考えてたんだ」
「何を」
「以前言ったな、キム侍医に気をつけろと」
「確かに」
「奴の何を知っている」
「何、というわけではない。勘だ」

あの時も叔母上はそう言った。
お前に婚儀が持ち掛けられるだろう。全て勘だけだが、と。
「理由を教えてくれ」
「いきなり何だ」

此度は手の内を伝えておくのが得策だ。己の留守中は叔母上を頼らざるを得ん。
息を吸って叔母上を真直ぐに見、正面から問う。
「キム侍医が、毒に詳しいと知っていたか」
その問いに、叔母上は首を振る。
「いいや、初耳だ」
「典医寺でキム侍医と話した。奴が直接言った。
証拠を残さず痕跡を知られず、殺めたい者が昔いたと。
そのために毒を学んだ、腕と度胸があれば剣を学んでいたと」
「・・・何だと」

叔母上の顔を見れば、嘘も隠し立てもしておらぬと分かる。
「留守の間、あの方を一人典医寺に残す。
今まで何もなかったから今後もないとは限らん。
だから聞くのだ、叔母上。
叔母上は何故あの時、キム侍医に注意しろと言ったのだ」

 

ヨンの声にあの時の回廊の隅、キム侍医との会話を思い出す。
医仙の前、武閣氏の面前での対話を避け、私を回廊の隅へ呼び出した。
丁度今のヨンと全く同じように。
その心遣いをあの折に見せた、典医寺のキム御医。

雪中あのオン大監の使者がわざわざ大護軍のお宅を 訪ねるなど普通のこととは思えない。
どうぞご注意下さいと、 私にそう言った。

長く天竺にて留まり医者の修業をしていたはずが、皇宮の事情、詳しすぎる。
そしてその配慮、並ではできぬ。
単に人間ができている、思慮深いなどとの言葉では片付けられぬと、訝しく思うた。

開京を空けて彼方此方回っていれば、嫌でもこの耳に入って参ります。

たとえ高官とはいえ、たかだか枢密院使宰枢の詳細。
異国を流浪し修行の旅をする者の耳に届くわけがない。

「誰かを殺めたかったから毒を学んだ。確かにそう言ったのだな、あの御医は」
「ああ」

私の問い返す声にヨンは頷いた。
「だから知りたい。叔母上はキム侍医の何を知ってああ言った」
「あの御医、お前の婚儀が仕組まれたやもと、最初に気づいた」
「・・・何だと」

ヨンが眉を上げる。
「それも医仙や武閣氏に露呈せぬよう、私を今のお前のようにわざわざ隅に呼び出して告げた。
雪中に大監の使者が来るなど妙だ、気をつけろとな」
「どういう事だ」

目の前で苛立たし気な声を上げ、ヨンが親指の爪先を噛む。
「何故あの男が」
「それは此方が聞きたいわ」
「ただ一つ、救いがある」

ヨンの気を取り直すような声に、その顔へ目を当てる。
「何だ」
「あの男の狙いは、あの方ではない」
「何故そう思う」
「もしもあの方なら、今までに毒を盛る機会は山ほどあった。
あの方が血虚で倒れた時、薬と偽って飲ませればそれで良い。
あの婚儀騒動の時わざわざ叔母上に注進などせず、あの方に直接耳打ちすれば良かったのだ。
俺に婚儀の話があると。その方が余程あの方への打撃になった」
「・・・それは、確かにな」

その言葉に頷く。こ奴の言うとおりだ。
もしも狙いが医仙ならば、所々でこ奴を庇い立て、まして援護するその行いとは矛盾する。
「しかし毒を学んでまで弑す事を望む、まして証拠を残さず痕跡を知られずとは、穏やかでないな」
「確かに」
「キム侍医を洗う」
「そうしてくれ。明後日には双城を攻める。今は動けん」
「分かった。医仙のことは案ずるな。迂達赤とは別に、武閣氏からも念の為の警護をつける」
「頼む」

そう頭を下げ、ヨンが欄干から背を起こす。

「勝ってとっとと戻って来い」
私の声に振り向きもせず去っていく後姿、片手だけが上がる。
任せておけと言うように。
全く医仙さえ安全ならば、天下に怖いものなしか。
教えられもせぬ雷功まで撃ち、何処まで強くなる。
まだ欄干から動けぬまま、目だけを上げて雲を追う。

兄上、あなたの息子をご覧ください。
ムン・チフ殿、あなたの弟子をご覧ください。
あれ程、大きくなりました。
まるで涯ない海を、頭に雲を頂く山を見るようです。
あれ程になると、思いもしませんでした。
あれの手をつなぎ、池の畔であの雷功を初めて手に受けた時。

明後日、あれが高麗の歴史を変えるかもしれませぬ。
百有余年この国を隷属させてきた双城総管府を、あれが攻め落とそうとしております。

兄上、あなたの息子をお守りください。
ムン・チフ殿、あなたの弟子をお守りください。
国が、王様が、そして兵と民があれの肩に掛かっております。
国が、王様が、そして兵と民があれの戦勝を祈っております。

ああ、年を取るとは気鬱な事だ。時折涙脆くなって困る。
武閣氏の前で涙ぐむなど決してあってはならぬ。
両目頭を指で押さえて息を吐き、ようやく欄干から身を起こす。

キム侍医、私自身は何の恨みもないが、お主の過去しっかりと調べさせてもらう。
甥と嫁に万一の事あれば、兄上とムン・チフ殿にあの世でお会いした折、到底顔向けできぬ故な。

 

 

 

 

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8 件のコメント

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    やっぱり 謎多き人物 キム侍医
    いったい何者かしら? 見方だと思って
    いいのかしら?
    ヒドヒョンとテマン… 目的が一緒だし
    なかなか いい師弟コンビになるね~
    はやく ヨンとウンス 
    ゆっくりさせてあげたいですね~

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    このシリーズに入ってから、ずうっとうなってます。
    なんといっていいのか、わかりません。
    じっくり読ませてもらってます。

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    さらん様、はじめまして。
    初めてコメントさせていただきます。
    時系列に沿ってお話読ませていただいています。切ないまでも一途なヨンの愛に心が震えます。
    「都忘れ」のヨンに読んでいて心が苦しくなりました。
    究極の愛だと・・・
    はがゆくもなりますがそんな二人が好きです。
    リクエストのお話も、間違って全公開されたお話も読ませていただきました。そしてアメンバーの方だけが読むことができるお話がぜひとも読みたいです。読ませていただきたいです。
    もうアメンバー募集はされないのですか?
    是非ともアメンバーの一員に加えさせていただきたいです。私、「花男」も大好きなんです。私の二次小説デビューは花男だったんです。日本版ですが。韓国版花男の二次は探しても見つけられなかったので韓国版花男、ジュンピョとジャンディのお話し、ぜひ読ませていただきたいです。

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    >グリーンさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    ヨンで頂き、嬉しいばかりです❤
    そして、そうだったのですね!デビューが花男とは❤
    私は日本の花男は拝読したことが無く、ジュンピョ愛しさのあまり
    いきなり韓国版を書いています…w
    放送当初周囲がジフ派ばかりで、途中で視聴を挫折した過去を
    どうにか払拭しようと(爆
    アメンバー様申請受付も、時間が出来次第、
    期間限定で受けさせていただくつもりです❤
    その時にはまた是非お待ちしております❤

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    >いくよさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    唸っていらっしゃったのですねσ(^_^;)
    最後は気持ちよく終われていれば何よりなのですが・・・
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >ichigoさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    このあたりではまだボケボケな感じでした。
    そして最後は、あのように終了しました。
    毒を操る侍医、敵に回せば最悪、味方に回せば手技は最高。
    これからどう動いてくれるか、楽しみな奴ですw
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >くるくるしなもんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    最後に味方として得たキム侍医、そして続くヒドヒョン&テマンの調息鍛錬。
    これからどうなるか、ちょっと楽しみです❤
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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