紅蓮・勢 | 60

 

 

双城総管府の最後の夜が、音もなく忍び寄る。
白い月が空を支配する刻の窓外、兵らも今宵は明日に備え早々に引き揚げたか。
広すぎる庭の見回りの歩哨たちの行きかう影と、その足音を稀に感じる程度だ。

開京を発つ前に誓った。
夕暮れを楽しめるようにと、そして夜に怯えさせぬと。
そうなるよう必ず護ると。
日暮れに帰る姿を見せると、そして夢でまた逢おうと。
今、それを守れているだろうか。
「イムジャ」

迎賓館の執務質の続きの間。
仮の寝所に宛がわれた大きな部屋、馬鹿でかい寝台に腰かけて呼ぶ。
寝台に横たわるこの方が、伏せていた顔を上げる。
「一つだけ覚えていてほしい」
「なあに?改まって」

乱れた髪を片手で白い額から上げ、もう片手で寝台へと肘を立て、掌で顎を支えて笑む瞳。
月の下で見るたび思う。
この世のものとは思えぬと。
背筋が冷たくなる程、透けて向うが見える程、余りに全てが白く、儚く、美しい。

天と言うのは、恐ろしい程に精巧にこの方を創ったと。
その美しさ故に、天が還して欲しがるのではないかと。
その想いを振り切るように首を振り、確りと眸をこの方へ合わせる。
「書状の事です」
「・・・うん」
「イムジャ宛です。イムジャがいらしてこそ有効だ」
「そうなのね」

この方はそう言って、こくりと頷いた。
「じゃあ死なない。頑張る」
イ・ソンゲが取られた言質を反故にするためだけにこの方を殺めるとまでは考えにくいが、どうなるかは判らん。
邪魔になれば味方を斬ると言い放った男だ。
「イ・ソンゲとは距離を」
「必要なければ、近寄るのなんて絶対ゴメンだわ」

この方はそう首を振る。それは本音だろう。
治療ですら、あれ程頑強に拒んだのだから。
「何かあれば、俺に必ず」
「うん、わかった」
「先を憂いて、隠し事などせず」
「約束する」
「イムジャが自分を犠牲にしても嬉しくない」
俺のその声に、この方が深く頷いた。
「それは、よぉく分かってる」
「それならば良いのです」

 

やっぱりね、そう言うと思ってた。
あなたには分かってる。 いざとなれば私が何をするつもりか。
「ねえ、ヨンア」
「はい」
「私、こうやって」

立て肘で顎を支えてたその腕を伸ばす。
寝台の上をごろんとあなたの方に転がって、そこに腰掛けてたあなたの背中から、腰に腕を回す。
「こうやって、ずっとあなたと一緒にいたいな」
そう言って、その藍色の上衣の背中に顔を埋める。

ずっと護りたい。あなたを残して行きたくない。
まして私がいなくなったら、あれがただの紙切れになっちゃうなら。
あのチェ・ヨン大将軍の祀堂の碑文。
三韓國大夫人文化柳氏祔左、先に亡くなったのは柳氏。

この人がこの後同じ名前のひとと結婚しない限り、その柳氏っていうのは私、柳 恩綏のはず。
それが判ってても、それでも最後まで頑張るから。
あなたの藍色の上衣に埋めた鼻の奥が痛い。
でも泣いたりしない。泣いたりしたらあなたが心配する。

先に逝くなら、しばらく離れ離れになるなら。生きてる間に、出来る限りの事をするから。
歴史を変えても、たとえ先の世界が歪んでも、あなたが大切。誰より何よりあなたが大切。
その時は、許してよね。ううん、許してくれなくてもいいから、理解して。
私はやっぱり、最後まで手のかかる女だったって。
あきらめて。警告したのに自分で選んだんだもの。

顔を上げずにその藍色の上衣に向かって呟くと、この人の大きな掌が頭に乗った。
何度も何度も、ただ優しく、この髪を撫でる掌。
心地よさに目を閉じた時、堪えてた涙が落ちた。

 

隠しているつもりだろう。
だから何も言わずにおく。
「明日は早いです」
平静を装う俺の声に、背から腕を回し顔を埋めたままこの方は声だけで呟いた。
「・・・うん」
「明後日夕には、開京です」
「そうね」
「少しはゆっくり出来ましょう」
「ヨンアは、帰ってからも忙しそう?」
「恐らく暫しは。徳興君の詮議があります」
「・・・そうね」
「休んで下さい」
「ヨンアは?」
「最後に外を見廻って参ります」
「じゃあ待ってる。早く戻って来て」

それでも髪を撫でる手を離さぬ俺に、この方がようやく隠していた顔を上げた。
「行かないの?」
「イムジャが眠るまで」
「じゃあ、ずっと寝ない」
幼子のような駄々に薄く笑う。
「根競べですか」
「負けないわよ」
この方が腕をつき、勝気な顔で寝台の上に身を起こす。

次は俺が無言で寝台に横たわる。
そして起きてしまわれたこの方の腕を軽く引く。
支えを失い胸に落ちた小さな体を抱え込み、この腕を枕代わりに小さな頭を乗せる。
その細い両肩を抱きあやすように揺らすと、腕の中でこの方がばたばたと暴れ出す。
「そういうのはズルいわ!」
胸を押し返そうとする小さな掌を、両掌で包み込む。

「策です」
「策って!」
「策なくば勝ちなしです」
「言おうと思ってた!ヨンア、だいたいこないだから」

そう言う口を塞ぐのにいろいろな方法を知っている。

一番甘い方法で黙らせる。
ようやく静かになったこの方の吐息が間近から、俺の睫毛を震わせた。

 

 

 

 

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6 件のコメント

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    せーら様、
    やっぱり甘い二人で締めに近くなってくれなきゃ!
    ウンスなりに辛くても頑張った~、御褒美ねー。
    そういえば、リアルミンホが日本に来るんですよね?さらん様はお会いに行かれるのでしょうか?
    無理だとは思うけど、ヨンの髪形のウィッグとかで、来て欲しい~(* ̄∇ ̄*)って。

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    全て語らなくても 
    互いに 何を考えているか
    わかるようになってきた?
    まあ これはいつものことで
    相手のことを思っての 行動で…
    自分が耐えれば… ってね
    特に先を知る ウンスの思いは
    ヨンにとっては 嬉しくもあるけど
    セツナイね~…
    余計に かわいい 離したくないわね~
    はやく開京に帰ろう!
    はやく婚儀!
    のんびりする時間 あげたいね~。

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    さらんさん、梅雨のジメジメを吹き飛ばすような、爽やかでドキドキのお話をありがとうございます❤︎
    ヨンとウンスの距離感、本当に素敵です。
    歴史上での二人の運命をどこかで変えることができたら…と思いますが、世の中の全てには表裏や陰陽がありますからね…。
    どんな運命が待っていようと、どう生きたか、どう過ごせたかが重要なのかもしれませんね。
    さらんさん、お互い、午後からも頑張りましょうね。

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    疲れた頭にすごく嬉しいプレゼントでした。最後なんてもう、本当ウンス羨ましくなりました。
    今、前の記事を読み返していて戦いの中だったのでよりしみます、

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    いつもハラハラ、ドキドキしながら読んでおります。一人一人の言葉、文字から重みと
    慈しみが溢れ、まるで傍らにいるかの様に時に涙しながら。
    これが、さらんワールドなのでしょうね。
    出来る事なら、婚儀や家族が増えるのを期待するのはワガママでしょうか。
    これから高麗も不安定ですが、楽しみにしています。
    そして、アメンバーになり、他の作品も読んでみたいと思いました。
    宜しくお願い致します。60歳に近いお婆さんより

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    前にもコメしましたが、ウンスには長生きしてもらわないとね。
    この努力が無駄になってしまう(>_<)
    史実では柳夫人が先に亡くなるのかもしれないけど、この強い想いで歴史を変えて欲しいです。
    それに、ウンスが亡くなってしまうと、ヨンは生への執着が無くなってしまいそうです。
    ウンスと出逢う前のヨンというより、早くそばに行きたい、又巡り逢いたい・・・という感じかな。
    でも、もしウンスが先に・・・なんて事になったら、イ・ソンゲ宛に遺言でも残しそうですね。
    とにかくイ・ソンゲに処刑されるなんて事になって欲しくないです!

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