紅蓮・勢 | 69

 

 

「どういう事だ」
「媽媽」
御目を見開き御言葉を切った媽媽に私は頭を下げた。

「徳興君が開京に戻されていたとは」
「はい」
「双城総管府に潜んでいたのだな」
「はい」
「大護軍が連れ帰って下さったのか」
「おっしゃる通りです」
「王様のご命令にて、無傷のままで」
「はい」
媽媽はそこでふと御口を噤まれた。

「総管府に徳興君がいると、王様は知っておられたか」
「畏れながら偶然のようです。総管やイ・ジャチュン殿は王様には伏せていらしたのでしょう」
私の声に王妃媽媽が悔し気に御息を吐く。
「ここまで取り立てても王様を裏切るなどと」
「畏れ入ります」

すっかり暮れた坤成殿の窓の外、梔子の花が闇に浮かぶ。
その甘やかな香りが風に乗り、開いた窓から流れ込む。
これ程穏やかな初夏の宵、何と血腥い事が起きたものか。

「徳興君は今何処だ」
「典医寺でございます」
その返答に媽媽が僅かに御首を傾げ、私の顔を見上げられた。
「何故牢でなく典医寺に」
「牢内で誤って自分に毒を打ち、大護軍がその腕を斬り落としたとの由にございます」
「毒」
媽媽は固い御声で繰り返された。
「はい、媽媽」
「誰を狙ったのだ」
「そこまでは分かりかねます。その場には王様と大護軍、そしてキム侍医が同席していたとのことですが」
「皆、御無事なのだな」
「はい」
「重畳」
媽媽はそうおっしゃり深く息を吐かれた。
「それで医仙が治療して下さっているのか」
「おっしゃる通りです」
「・・・妾だ」

そこまでおっしゃり媽媽が御目を、窓外に幻のように浮かぶ白い花へと投げられた。

「王様がご自身に弓引いた徳興君を生かす理由も。
大護軍が憎い徳興君を無傷でお連れ頂いた理由も。
医仙がご自分の敵である徳興君を治療する理由も」
震えた声を抑えるようにその御口を引き結ばれ、暫し乱れた息を整えられた後に媽媽の御声が続く。

「妾にお世継ぎさえあれば」
「王妃媽媽」
「慰めなど要らぬ。本当の事だ」
気丈に顎を上げて背を伸ばし、王妃媽媽がおっしゃった。
この勝気なそしてどなたより王様を想われる王妃媽媽は、凛とした姿勢をお崩しにならぬままその御心の中で、今もまだ血を流し泣いていらっしゃるのだろうか。
御自身を狙い仕掛けられた罠で、喪われた御子を思い出されて。

こうなっても徳興君を死なせるわけにはいかぬ。死ねば元への切り札を失う。生きていてこその札だ。
どれほど悔しかろうと憤ろうと救うしかない。
しかしこのまま典医寺にて徳興君を診るとなれば、あそこにはまだキム御医がいる。
一方の毒遣いが腕を失った以上、もう一人の毒遣いには又とない絶好の復讐の機会だろう。

一刻も早くキム御医の過去をヨンに伝えねばならぬ。
「大護軍と話してまいります。宜しいですか」
私が頭を下げて伺うと、王妃媽媽が頷かれた。

 

******

 

見事なクリーンカットね。傷口を見て、そんな場合じゃないのに驚く。
あの人の剣の腕をこうして見るのは初めてだけど、すごい。
下手な外科レジデントよりよっぽどきれいだわ。

一切挫滅がない。人体模型の断面図みたい。これなら血管吻合も楽。
筋形成術で骨断面を覆って縫合して、神経束をできるだけ中枢で結合して。
創前部が残ってるのもちょうどいいわ。縫合線を肘側に出来る。
この時代だもの。切断肢の保管や接合は諦める。怖いのは感染症。

「今、どれくらいたった?」
血管吻合が全て終わった時点の声掛けに
「始まってから、およそ三刻ほどかと」
医官が答える。

三刻、約6時間。麻佛散ってどれくらい効くの?どれくらいが適量?
でも丁寧に吻合しないと、血腫で感染が起きたらもっと面倒。
「まだ麻佛散、使えそう?麻酔ショ・・・えーと、意識が戻らないとか、息が止まるとか、そういうのはないの?」
確認すると、自信ありげに
「大丈夫です」
そう頷かれてしまう。

信用するしかないわよね。アナフィラキシーが起きるかはもう体質や運しかない。
この時代じゃ仕方ない。急がなきゃ。

 

「中はどうなっている」
戻った典医寺の診察棟の部屋の外。
閉じた扉前に立つテマンへ声を掛ける。
「ま、まだずっと。誰も出てきません」
テマンが困ったように首を振り、窓を指す。
「そうか」

閉め切った窓。
鎧戸の隙間から微かに漏れる灯。
この中で今あの方が戦っている。
殺すためでなく、生かすために。
あの男ではなく俺のために、そして王様の、王妃媽媽の御為に。

俺が必ず傍にいる。あの方がそうして下さるように。
疲れた時には何時でも、寄りかかる肩を貸すために。

 

「今、どれくらい?」
皮膚縫合を残すだけになったところで、もう一度聞く。
「四刻半程です」
9時間。縫合分の皮膚は残ってる。あとはテンションよね。
強すぎず、緩すぎず。離開も壊死も起きないように。
「もう一息よ。頑張ろう」
その声に、寝台の周囲を囲んだみんなの目が頷いた。

 

典医寺の庭の闇に沈む梔子の花の香り。その香りを胸に吸い込み、大きく息を吐く。
チェ・ヨン殿に蹴り飛ばされた胸が痛い。打撲かもしくは肋骨にひびでも入ったか。
見捨てた事に後悔などない。
今もう一度あの男の傷を見ても、私は笑ってその傷口を泥のついた沓で踏みつけるだろう。

ウンス殿、チェ・ヨン殿。あなた方は御存知ない。
見捨てようと助けようと、あの男は一生私の心に残る。
憎悪の的として生涯背負って行くと、定められている。
ただこの手で殺せなかった、それが無念すぎるだけだ。
そうして初めて、彼女に逢いに行けるのに。
瞳を見詰めて、逢いたかったと言えるのに。
抱き締めて、二度と離れないと言えるのに。
「・・・すまない」

闇の中に呟いた声は届くことはない。
そしてあの甘い声が返ることもない。
「すまない」

殺せずに済まない。敵を討てずに済まない。
きっとこの後用済みまでの間は、チェ・ヨン殿や兵たちが徳興君の監視に付くだろう。
水も漏らさぬ厳重な体制になる事は容易に想像できる。
王様の御前で毒針を仕込んだ簪を振り翳した男、その腕を切断しても生かそうとしている程だ。
あの時一息に殺せなかった、それだけが胸に痛い。
「本当に、済まない」

その声は初夏の温かい闇に消えて行く。
届けたいその人は、もう此処にいない。

 

 


 

 

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