紅蓮・勢 | 67

 

 

「王様がおいでだ。獄を開けろ」
あの頃俺が繋がれ、そして奇轍も、徳興君自身も繋がれた地下牢の最奥の房前。
扉を守る禁軍の衛士に声を掛ける。
「はい!」
衛士が扉の閂の錠に鍵を差し込み戸を開く。

その奥の鉄格子の向こう。
天窓からの光の差し込む独房にあの男は一人立ち尽くしていた。
「王様、御久し振りです」
臆面もなく平然と王様へそう声をかけ、頭を下げる。

「桶に湯を持て」
「は、はい」
徳興君を全く無視した脈絡のない突然の俺の要求の声。
一瞬面喰らったような顔をした衛士の一人が、慌ててその場を駈け出して行った。

「お懐かしい。お元気でしたか」
格子の向こう、あの鼠の空々しい声は続く。
聞くに堪えぬと言った風情で王様が唇を歪ませる。
「ご存じだろうか。あなたは謀反の大逆人として此処に閉じ込められている。
王として尋問に来た。全て正直に告白してもらう」

その声にようやく徳興君が煩い口を閉じる。
「分かったならこちらの聞く事にのみ答えるよう。
世間話や無駄口など、交わしたくもない」
「王様、それは積もる誤解というものが」
「誤解」

余りに苦しい言い訳に、王様ははっきりと御声を上げてはは、と短く嗤われた。
「征東行省で、寡人を目の前に謀反を宣言しておきながら誤解などとは。
よくもぬけぬけと言えるものだ」
「大護軍」
湯桶を抱えて戻った兵が呼び掛ける。
「これでよろしいですか」
「ああ」

徳興君の新しい衣服を腕に掛け桶と手拭いを受け取り、鉄格子の扉を顎で差し示し
「開けろ」
それだけ言うと別の衛士が閂の鍵を開けた。
最後の扉が開く。
格子の中へ踏み込む俺に、王様とキム侍医が続く。

物言わず桶を床に置き、その縁へ手拭いを掛ける。
「ナウリ」
置いた桶を見詰める、目の前の鼠へ呼びかける。
「捕縛して以来そのままでしたから。手水をお使いの上、着替えをして頂きます」
「ここで身を清め、着替えろと」
「ええ」
「ふざけるな、私は王族だ。肌を晒す訳など」
「して頂きます」

続けて怒鳴りそうな紅潮した顔に向かい、
「叔父上」
王様の冷たい御声が上がる。
「誤解されるな。あなたは王族である前に謀反の逆賊。
王族としての扱いなど、今後一切期待せぬように」

そして格子の向こうで固唾を呑んで事の成り行きを見つめる禁軍の兵を振り返られる。
「卓と椅子を持て」
奴らの内の数名が、慌てて外の回廊へと飛び出した。
それを視界の隅に捉えつつ鬼剣を腰に構え、俺は目前の徳興君を凝視し続ける。

もしも着物の中に毒を隠し持っていればこれで防げる。
奴が少しでも怪しい素振を見せれば、そこで終いだ。
俺なら何処に仕込む。最も身近に持ち運ぶ毒を何処に。
自害も覚悟なら口の中に含んでいるだろう。
この男に限っては、それは絶対にあり得ん。
万一にでも己に害の及ぶ処には隠さぬはずだ。

着物の中でないならば手の中か。
手鎖を解く時に充分確認してからになる。
不用意に近寄るわけにはいかん。
しかし手中に隠せば、誤って自分を刺す事もある。

もっと別の処、そして怪しまれぬ処。

「持って参りました!」
禁軍の兵の声で思考が途切れる。
「運び込め」
この声に禁軍の兵らが用意した小さな卓と椅子を格子の入り口から牢内へと、どうにか運び込む。

「こんな状況故贅沢なものは用意できませぬ。
この後ナウリの終の住いが決まれば、先に用意してから檻を組みましょう」
薄く笑みながら言うと、奴が悔し気に顔を歪める。

運び込んだ卓の上、床に置いた桶を拾い音高く据え直す。
桶の中の湯が卓の上に盛大に跳ね散った。
「どうぞ、お使いください」
卓を挟んだ向う、奴は怒りに燃えた目で此方を睨む。
「手足の鎖を外します。くれぐれもおかしな真似をされぬよう」
その目を睨み返し、
「少しでも不審な素振があれば斬ります」

そう告げて懐から出した鍵で、奴の手足の鎖を解き放つ。
自由になったその手足で手水を使い、乱暴な手つきで身に着けた衣を脱いでいく。
その様子に怪しい素振はない。

という事は手の中に毒を隠している可能性は薄い。
肌に直に触れる下衣に毒を忍ばせる勇気はなかろう。
隠したとしても取り出すまでに時間がかかりすぎる。

何処だ、俺なら何処に仕込む。
直ぐに手にでき、相手を攻撃できる武器に代わるもの。
そんな姑息な真似、想像すらできん。

思いを巡らせる俺の前で奴の脱ぎ捨てた衣服と下衣。
ポソン、そして沓。
牢の床に次々に打ち捨てられて小さな山を作っていく。
全ての着替えを終えた奴は結局怪しい動きのないまま、据えた椅子にどかりと腰かけた。
このままで終わるのか。反撃もなく。
そんな事があり得るか。このどこまでも汚い鼠に限って。

何処だ、何処に隠している。着衣の中でないなら。
身に着けて不自然でなく、直ぐに手にできるもの。
相手を攻撃する武器代わりになるもの。

着替えを待ち控えていた侍医が俺の横へと進み出る。
「御体を拝診します」
そう言いながら袖に入れていた鍼を刺した布を卓上に出し、続いて小さな硝子瓶の蓋を取り、其処へ並べる。
その横に道具匣を置くと、静かな手つきで匣の蓋を開ける。

時間がない。何処だ。

横の侍医、前の徳興君へ、交互に視線を走らせる。
毒を操る二人の男。
徳興君は恐らくこの俺を。 侍医は目の前の徳興君を。
それぞれの男が動くとすれば、俺が此処から動く瞬間。

何処だ。何処にある。

侍医がその先を確かめるよう地下牢の油灯に鍼を翳す。
そして消毒でもするよう硝子瓶の液に鍼先を浸した。

その瞬間徳興君の手が着替えで乱れた髪を整えるよう、結った髷を留めた幘の簪を右腕を伸ばして抜いた。
抜いた簪の先が針のように尖っている。先刻横の侍医が油灯に翳した鍼のように。
次の瞬間目の前の卓を蹴り倒すと、侍医の足元へ道具匣が落ちる。
同時にこの腕を伸ばし、簪を握った奴の右腕を力一杯抑えつけた。

道具匣の中から転げ出た医療道具や卓上の硝子の小瓶が喧しい音を立て、牢の床に散らばり落ちて割れる。
腕を抑え込んだまま身を反転し徳興君の背後に回り込む。
その尖った簪の先はこの腕を振り払おうと反射的に動いた奴の左手の甲へ、ぐさりと音を立て深く刺さる。
背後から押さえつけた徳興君は信じられぬものを見るよう、簪の刺さった己の手の甲をまじまじと眺める。

次の瞬間に目の前の侍医が動く。
此方に向かい来る侍医の胸を、抑えつけた徳興君の体を挟んだ正面から、思い切りこの足で蹴り飛ばす。
侍医は勢いをつけて飛び、離れた牢の床へ倒れ込む。
あそこまで離れていれば、侍医の瓶から床に散った毒には恐らく触れずに済むはずだ。
「王様を牢の外へ!」
この怒鳴り声に慌てたよう禁軍の兵が格子扉をくぐり、王様をお支えして格子外へとお連れする。

徳興君の絶叫が地下牢の房に響き渡る。
その後ろから奴の耳元に向けて怒鳴る。
「何の毒だ!」
徳興君は答えない。手の甲に簪を刺したまま声を限りに叫ぶ。

「答えろ、何の毒だ!!」
「倭国の、倭国の」
歯の根が合わぬ程震える奴の声が、ようやく告げる。
「倭国の何だ!!」
「へ、蛇だ。倭国の蛇毒だ」
「侍医!!」

その怒鳴り声に、離れた床から侍医が身を起こす。
「倭国の蛇毒だ。解毒は!!」
「毒はすぐに回ります。呼吸が止まり、傷口の肉が腐り落ち、体の内外から出血して死にましょう」
「症状ではない、解毒方法は!!」
「蛇毒は血に乗って体中を巡ります。血を止めて患部を切り落とすしかありません」

その瞬間床に落ちている手拭を爪先で蹴りあげ、宙に浮いた処を手で奪い奴の左脇を縛る。
そのまま格子の向こうの王様を見る。
「王様、お許しを」
「許す、急げ」

鉄格子越しの目の前の光景に、御顔を強張らせ王様は頷かれた。
俺はそのまま鬼剣を振り抜きその手の甲に刺さった簪ごと、徳興君の肘から下を斬り落とした。

烈しく散った血飛沫が昏い牢の中に飛んだ。
その血飛沫の中、奴の左肘から下が重い音を立て床へ落ちた。

 

 

 

 

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5 件のコメント

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    さらんさん、今宵も拝読させていただき、ありがとうございます。
    ああ、すごいです。
    目の前にリアルに浮かぶ衝撃的場面!
    でも、実際に映像化してほしいシーンだと、心から思いました。
    危機一髪というか、眼と耳を研ぎ澄ましたヨンの瞬間的な判断によって、徳のうす汚い毒の攻撃を避け、徳を痛めつけ、侍医を護ることになるのですね。
    ふう…心臓ばくばくです(。-_-。)

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    さらんさん、こんばんは
    今回のお話の展開に息をするのも忘れるくらい入り込んでしまいました。
    まさか己の毒に己がやられようとは・・・あ奴も思いもしなかったことでしょう。
    左腕の肘から先がなくなり、今頃は失神してるのでは??
    それにしても一瞬にしてあれだけのことをやってのけるヨンはやっぱり流石です^^
    特に侍医が蹴り飛ばされたシーンには惚れ惚れしてしまいました。
    そしてキム侍医のこの先が気になります。
    胸に抱いている恨は相当なものでしょうし・・・
    さらんさん、今回も素敵なお話をありがとうございました。
    そしてくれぐれもお体お大切になさってください。。。

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