紅蓮・勢 | 61

 

 

これ程に静かな帰京の風景も珍しい。
明けの双城総管府、初夏の花の咲き乱れる庭を見渡す。

率いて来た兵を半分以上残して行くことも理由だろう。
連れて戻る兵がこの間まで敵方だったせいもある。
翻意のなかった兵に縄を掛け直し、あの鼠の牢車を据えている。
そんな全てが重苦しい空気を醸している。

それでも進む。今この時選べる最良の途をひたすらに。
俺にはそれしかできぬ。

「くれぐれも気を緩めるな。開京との連絡は密に取れ」
残す鷹揚隊の指揮官となった部隊長へとそう告げる。
「畏まりました!」
「何かあれば護軍か俺へ即刻報せろ。飛んで来る」
「はい!」
部隊長が頷く。

アン・ジェが指揮官と話し込む間に
「捕縛した歩兵がいる。速度に気を配れ」
斜め横に控えるチュンソクへ伝えると、奴が庭の兵を見渡し
「は」
と頭を下げる。

元が大人しい今、なるべく早く事を納めねばならん。
国境から遠い双城総管府を、再び取り戻す旨みは薄い。
此処が軍事拠点として役に立った唯一つの理由は、開京からの利便の良さとその距離だ。
国交を断つと決めた今、取られる訳にはいかん。
しかしより利便がよくより距離の近い征東行省すら四年以上取り返しに来ない元。
今更総管府を再び取り返しに来るとは、どうしても思えん。

奇皇后、そしてトゴン・テムル。
その肚の内を読める情報が欲しい。
元の内情を知る手掛かりが欲しい。
その為にも総管府側だった奴らには、なるべく高麗側にて働いて欲しい。

総管府の兵長だったあの男。
そしてその横に佇み、 俺に頭を下げたあの兵。
奴らを判じ、信用なるならば力を借りたい。
また一からだとしても、何度でも始める。
百有余年の隷属を、一夜で断ち切る術などない。
繰り返し、繰り返し、戦いそして勝つ。
民が安心して畑に立ち、兵が憂いなく国を守り、そして王様がご心痛なく国を治めて行くために。

振り返れば、残るイ・ソンゲたちが後ろに控えている。
頷いた俺に、ソンゲとウヨルが、そしてイ・ジャチュン達が、静かにその頭を下げた。
この方を残したまま、ソンゲへと歩み寄る。
歩むその背に、この方の視線が当たっているのを感じる。

「大護軍」
ソンゲがそう言いにこりと笑んだ。
何かを言う間もなく、横からイ・ジャチュンが頭を下げて割り込む。
「大護軍。このたびはまたしても、大護軍と医仙様にお返ししきれぬ程のご恩を受けました」
その声に首を振ると
「王様が開京でお待ちだ」
そう伝えソンゲを真直ぐに見つめる。
「畏まりました」
ソンゲはそれだけ言って頷いた。
「この後元が攻めるとは考えづらいが、不穏な動きあらば開京へ早馬を飛ばせ」
「必ずやそう致します。私どもも出来る限り元の側の情報を手に入れるよう、尽力します」
ウヨルがこの目を見つめ頭を下げた。

「大護軍」
チュンソクが、ソンゲたちと向き合うこの背に声を掛ける。
「出立の刻です」
その声に、眸を上げる。
「開京にて会おう」
そう伝え、踵を返す。

「全兵、騎乗」
この声と共にトクマンが曳いた馬に、この方が乗る。
続いて兵たちが、それぞれ己の馬に跨った。
最後に振り返りソンゲたちの後、今や高麗に、王様の御手に戻った双城総管府の景色を見遣る。

この後此処はどうなるか。
増え行く兵の拠点となるか、内部が元に知れ渡る以上、捨て置かれて廃墟と化すか。
王様の御心次第だ。
背にしたそれらを振り切るようにテマンの牽く愛馬の鐙を踏み、俺はその背に跨った。

「隊列を乱すな。騎馬兵は徒歩の者を守れ」
「はい」
「牢車の中の者を死守しろ。絶対に逃がすな」
「はい」

新たな味方となった兵、そして翻意なく引かれる兵。
それらの兵を前に、俺は頭を上げ、鎧の背を伸ばす。
どれほど困難であっても、また一からであっても、俺は立ち止まらん。
惑わん。先の事は考えん。今選べる最良の途を、ただ進む。
「出立!」

そう告げて、馬の脇腹を踵で押す。
残る鷹揚隊の兵たちが、そしてソンゲたちが深く頭を下げる姿を後に残し、兵の隊列が動き出す。
歩き出した馬の鞍上、双城総管府の東の正門を出る。
双城総管府はこの背の後ろで霞み、小さくなる。
やがて振り返っても何も見えぬようになり、遠景の中に溶けた。

 

******

 

「大護軍のご一行が戻られると伺った」
坤成殿のお部屋の中、媽媽のその御声に私は頭を下げた。
「そのようでございます」
「王様ご念願の双城総管府の奪還。無事に成し得て何より」
媽媽は嬉し気に、そうおっしゃった。

確かにあの甥がここまで大きくなるとは思いもせなんだ。
叔母としては喜ばしい限り。
そして皇宮に身を置き媽媽に仕える筆頭尚宮としてはその戦勝の報せ、寿ぐばかり。

あの因縁の徳興君の捕縛さえなくばな。
その事だけに頭が痛む。
王様は徳興君を弑すなと王命を出されたと聞く。
それであればヨンは絶対に手を出さず、連れて戻ってくる。
煮えくり返る腸を、どうにか宥め賺し。

戻ってきたところで、あの男に恨を持つ人間が多すぎる。
お世継ぎを亡くされたばかりか、謀反を起こされた王様。
あの男の姦計にて、その御心も御体も傷ついた王妃媽媽。
そして許嫁の女人に毒を盛られ、無残に殺されたキム御医。

あの徳興君を処分する名分は、揃いすぎるほど揃っている。
謀反だけでも大罪だ。
たとえ王族とはいえ凌遅刑は免れても打ち首か、賜薬の処分は免れぬ。

それを敢えてヨンに手を下させぬ王命を出されたなら、王様は徳興君を己の駒としてお使いになるつもりだろう。
元におっては王様の御立場を危うくする。
元が徳興君を担ぎ出し、王様を追い落とそうとするのは火を見るよりも明らかだ。
しかし徳興君がいつでも殺されるような立場に黙って甘んじているとは、到底思えぬ。
その身柄が皇宮へ戻れば、何が起きるか。

徳興君の反撃が早いか、若しくは王様か、ヨンか、キム侍医が動くか。
王妃媽媽への守りも、気を緩めることはできぬ。
奇轍亡き後、徳興君に手を貸すような度胸のある人間が皇宮の中にいるとは考えにくいが。
それでも伏魔殿であることに変わりはない。
どこにどんな奸計を持つ輩が潜んでいても不思議はない。

再び毒でも盛られれば終いだ。
次は医仙へ遅効性の毒を使い、媽媽を眠らせるだけでは済むまい。
もしも何かを仕掛けるならば、即殺すつもりで来るだろう。
謀反などと生易しいものではない。

ヨン、どうする。此度落した双城総管府よりも、余程読むのが難いぞ。
一体どんな手を使うつもりだ。どのようにあの毒遣いを屈服させるつもりなのだ。

「チェ尚宮」
媽媽の御声にはっとし、下げたままの顔を上げる。
「どうした、何をそれ程浮かぬ顔をする」
「いえ、何でもございませぬ」

媽媽は僅かにその眉を寄せ、不審げなお顔でこちらを見遣る。
「チェ尚宮」
「はい」
「妾には、言えぬ事か」
「そのような事はございませぬ」

そうお伝えすると、媽媽の真直ぐなお目が向く。
「チェ尚宮」
「はい」
「知らなんだ。そなた、嘘が下手だったのだな」

何ともお答えの返しようがなく、私は黙って深く頭を下げた。

 

 


 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です