紅蓮・勢 | 26

 

 

「王様」
既に戌の刻近く。
灯篭の揺れる康安殿の回廊、扉に向かいお声を掛ける。
「チェ・ヨン、参りました」
「入りなさい」
即座に返るお声に、内官が目の前の扉を開く。
「失礼致します」
王様は執務机の前の階を足早に下りつつ此方に頷いた。
「どうなった」
「準備万端整いました。明朝卯の刻に出立いたします」
「出立には寡人も立ち会う」
「は」

兵たちも鼓舞されよう。
己が王様の命で戦うと。 国を背負って戦場に立つと。
「聞いた」
「は」
「医仙が迂達赤の軍医も兼任されると」
「・・・はい」
王様が頷いて笑まれる。
「そなたの傍にいて頂けるのが、何より安心だ」
「ありがとうございます」
「王妃が申しておった。天界の姉君と自身と、あまりにそっくりで、と」
低く声を立てて笑う王様に
「畏れ多い事です」
それだけお伝えし頭を下げる。
「もう一息だ」
王様が静かにおっしゃった。

もう一息だ。元から自由になるまで。
国として、己の足で地を踏みしめるまで。
明日の陽を、自分たちの手で掴むまで。

「元へ勅旨が到達したことは確認が取れている」
「は」
「運んだ使者は、まだ戻っておらぬ」
「は」
「戻って来ぬかもしれん」
拘束され事情を問われるか、下手をすればその場で手打ちか。
黙ったままただ頷いた。
その犠牲を強いても、それでも成し遂げる。
顔すら知らぬ者の命をも背負い、道を進む。

「必ずや、戦勝のご報告を」
「勿論だ。待っておる」
王様は頷かれ、その御口を真一文字に結ばれた。

今、俺は力が欲しい。誰よりも大きな力が欲しい。
目の前の王様を、それぞれの家に憩う民を、この背を追う兵を、そして誰よりあの方を護るために。
先を見通せる眸が。違わぬ命を飛ばせる声が。
戦場を駆け続ける足が。剣を振り続ける腕が。

王様と向かい合った卓の下、膝上で深く握りこむ掌。
そこにあの時の震えは、最早ない。

 

******

 

「戻りました」
王様への拝謁を済ませ、戻った鷹揚隊の仮の私室。
そう声をかけて扉を開けると返答はない。部屋の灯も落ちている。

瞬間己の腰、鬼剣の鞘へ手を掛ける。
しかし次の瞬間に聞こえた微かで健やかな寝息に、鞘のその手が緩んで落ちた。
目塞ぎ代わりの衝立の奥、窓から差し込む白い月明かりの中、寝台の上でこの方はすうすうと、幸せそうに眠っていた。

枕に広がる長い髪、僅かに笑んだその口許。
それを確かめ音を立てぬよう、鬼剣を枕元の卓へ置く。
置いたその卓の椅子を引き、そこへ腰かけ息を吐く。

眠れるなら良い。寝かせてやりたい。明日は寝台では寝かせてやれぬ。
いや、明日だけなら未だしも、一旦双城総管府へ入ればどうなるかは予想もつかん。

腰かけた椅子に背を凭れ、眠るこの方を見つめる。
俺ならば、逆ならば、行くだろうか。
安寧も安定も捨て、ただ愛するという想いだけで。
そう思いながら、息だけで笑う。

行く。そして行った。今も変わらん。これからも。
ただ、そうした事をする方に見えなかった。
少なくともお連れしたあの最初の頃には。

運命と知らず、連れてきた。
答を見つけに、遠回りした。
答を見つけて、待ち続けた。

その全ての答がこの寝台の上、静かに眠っている。
長い睫毛を閉じ、白い月に照らされて。
椅子から立ち上がり月光の中、大きく伸びをする。
眠らねばならん。明日からはまた長い。

 

起きたのと驚いたのはどっちが先だろう。
目が開いた瞬間に見えた部屋の中は、全く見覚えがなくて。
驚いて、目だけで周囲を見回す。ああ、そうだ。ここは鷹揚隊の中だった。
やっと思い出して、ほっと息を吐く。

あの人の訓練を見た。その後は?
王様にお会いします、あなたはそう言った。部屋で待ってるね、そう言って送り出して。
部屋で待ってた。ううん、待とうとした。でも油灯の油が。
そうだ。油が切れてて、どこにあるかもわからなくて。
困ったなあ。そう思って、ベッドに腰かけた。
一番大きな窓があったのが、ベッドの横だった。そこから月明かりが差し込んでたから。
待とうって思った。ちょっとだけ横になって。そこから、全然記憶がない。

ベッドの窓から射す月は、その時とは逆向きに入ってくる。
ってことは相当寝ちゃったって事よね?

後ろから体に回る長い腕が、動いた私を抱きしめ直す。
腕の中、ゆっくりと回ってあなたに向き合う。
珍しい、ぐっすり寝てる。鼻が触れあう至近距離、あなたの顔をじっと見つめる。

月に照らされる寝顔。こんな風に見るなんて滅多にない。
いつも目を開けると、見つめられてるのは私だったから。
ねえ、疲れてるの?忙しいよね。昨日と今日、見てるだけでもよく判る。
ゆっくり寝てね。無理はしないで。
あなたをゆっくり寝かせるのも、主治医の私の責任の1つ。
いつもあんな風に起きてて、体にも心にもいいわけない。

体だけじゃない、心も護って。私自身がそう言った。
あなたを護るって決めた今、同じことをしたい。あなたの、心も護りたい。

おでこにそっとキスして、あなたを抱きしめる。
いつだってここにいる。変わらない。ここだけが私のいたい場所。
あなたの心が痛くないように。寝太郎に戻らないように。
その為にも、私は死なない。あなたを置いてはいかない。
大丈夫よ。きっと大丈夫。

あなたの睫毛が、かすかに動く。まだ起きちゃ駄目。
あなたに回した腕、指先で、ゆっくり背中を撫でる。
あなたの呼吸に、自分の息を合わせる。
その息がまた深くなってくのを感じて、にっこり笑う。

夜明けまで、まだもう少し。

おやすみ、ヨンア。

 

 

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6 件のコメント

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    戦い前の ほんのわずかな時間
    世界でたった一つ
    チェ・ヨンを 癒し 眠りを誘う
    リアル抱き枕…
    何も考えず ただただ ウンスとの
    幸せだけ…
    あ~ 毎日こうさせてあげたい。 (´□`。)

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    さらんさん、この物語が終わるまではコメントはしないとなぜか決めていたのですが。今日の後半の二人のシーンが情感溢れ、心に染み入り一言かかずにはいられませんでした。
    崇高な愛です。無私の愛です。心の声と情景が見事に溶け合っていきます。。
    毎日、毎日ここを訪ね物語の世界の中にそっと自分をおくことができる幸せを感じています。
    さらんさん、お身体を大切になさりながら執筆をお続けくださいますように。

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    さらんさん、いつもながら素晴らしいお話をありがとうございます。
    戦を目前に、互いを護り合うヨンとウンスの静かなひととき…。
    それでも、互いの肩には多くの命がかかっているのですよね。
    傷の無い、血の流れぬ戦いは無いのでしょうが、この二人には無事に穏やかな未来が待っているように…と、つい感情移入してしまいます。
    さらんさん、曇り空の日曜日、いかがお過ごしですか?

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    >muuさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    軍人=武人という特殊性について考える事があります。
    今は、選んでその職に就く国もあるわけで、
    そうなれば敵=人間を殺す可能性があるのが前提で。
    でもその抑止力がなければ、周辺国とのパワーバランスが崩れるのか、とか
    なんだかもう、いろいろと。
    少なくとも、何処かで気を抜かないと、本当に大変。
    そんなヨンには、たまにはゆっくり眠ってほしいものです・・・
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >my starさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    ただ静かに、二人で同じ寝台に横たわる、で
    1話使うと、74話にまで膨れ上がるという
    恐ろしい見本のような回でした…(゚_゚i)
    でも、mystarさまの心のどこかに残る場面になっていれば嬉しいです。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >くるくるしなもんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    戦に出れば、さすがにこれは無理な状況も多々あります…
    【珠の匣】で、毎晩一緒に寝ると約束した二人。
    頑固一徹なヨンとしては守りたいでしょうw
    きっとリアル抱き枕の効果は絶大なはず、と信じたいですw
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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