紅蓮・勢 | 18

 

 

「申し訳なかった」
目の前の夜中の突然の訪問者は、そう言って頭を下げた。

横に立つあなたを見ると肩を竦めたまま首を振って、黒い深い目で私をじっと見返した。
周りの暗闇より、ずっと優しい黒い瞳で。

*****

鷹揚隊の兵舎からあの人に送られて戻って来た典医寺。
あの人が気にしてくれてるのは判ってる。だけどここで引き留めちゃいけない事も判る。
半分意地を張って、扉の前で無理に帰したけど。

「私だって、考えてないわけじゃないのよ」
部屋の中、ベッドの横、立てたパーテーションの陰。
そう呟きながら着ている服をどんどん脱いでいく。
部屋着を乱暴に羽織って、胸紐を締めて整える。
襟に入り込んだ髪を両手で掬って肩に流して、我慢できずに床に座り込んで、髪をぐしゃぐしゃ掻きむしる。

「失敗、失敗よ。今回は失敗!」
大失敗。あの人が忙しいのは分かってたのに。
顔を見せに来る暇もないくらい、私に家に帰るなって言うくらい、切羽詰まった状況って知ってたのに。

判ってたはず、なのにどうして思い出せないの。
どうしてあの人に断られたくらいで、あんなに動揺したの。もっと考えなきゃダメなのに。
あの責任者って人も言ってたじゃない。

「こいつが駄目と言えば駄目なのです。理由がある」

動揺した理由は判ってる。国史の授業で習ったからよ。
あの人はどこに行くのかも、何するかも言わない。
それでも、あの頃、授業で習ったから。

今、王様が即位されてそろそろ5年。もうすぐ元から独立するために、いろんな戦が始まる。
1392年の高麗の終焉まであと何年?あの1388年の威化島回軍までは・・・?

あなたが成し遂げる倭寇の征伐。双城総管府の奪還。あとは何だった?
紅巾族の乱もある。一度は開京が奪われる。明が出てくるのもきっともうすぐ。

知ってるから苦しい。うまく息が出来なくて、時々叫び出したいくらいに。
時間はある、まだまだある、その間に何か変えられるかも。
そんな蜘蛛の糸みたいな、細くて弱い希望に縋るくらいに。
あなたのことも、媽媽のことも、王様のことも。知ってるのに大人しくなんて絶対にできない。

ねえヨンア。あなただって逆なら、そうするはず。
助けられるって判ってるなら、尚更。
きっと私を1人にしたりしない。絶対に血相変えて自分1人で走り回る。

部屋をうろうろ歩き回った挙句、最後にベッドに腰掛けて大きく大きく深呼吸してみる。
鎧戸の隙間から窓の外を見ると、扉の側にじっと立ってるトクマンさんのが影が見える。
ああやってあの人の命令を聞いて、夜中も立ってくれてる。

「こいつの面目を傷つける振舞いはお控えいただけますか」
鷹揚隊の責任者って人に言われた言葉。
あの人の生きてるのは、そういう世界。
授業で、そこまでは教えられなかった。
理解しなきゃいけない。あの人を護りたいなら覚えなきゃいけない。

そう思いながらふとおかしくなる。
あれしなきゃいけない、これしなきゃいけない。
あなたの口に出すのは義務ばっかり。したいことをすればいいのに。
そうあなたに言ったのは私だった。

「私がしたいんだもの」
ベッドにごろんと横になって、天井に向かって口にする。
義務なんかじゃない。私がしたい。あなたを護りたいんだもの。
あなたの邪魔にならないようにしたい。
あなたを支える周りみんなを守りたい。
守るために、この世界のルールを覚えたい。
一緒に戦地に行くみんな、1人も死なずに帰って欲しい。
あなたに悲しんで欲しくない。悲しい顔は絶対見たくない。
笑ってて欲しい。いつだって笑わせてあげたい。
だから、私のできる事を全部したい。

「そうよ」
ベッドに仰向けのまま、両手で拳を作って
「ウンス、ファイティン!」
拳を握ったまま天井に腕を伸ばして、ベッドの上で笑ってみる。

そう、いつだって笑う。笑ってれば大丈夫。
今回は行けなくても、次には一緒に行ける。
馬に乗りたいな。久しぶりに乗りたい。
あの人は忙しいからきっと一緒には無理だろうけど、練習したい。
もう落っこちるのは勘弁だもの。うまく乗れるよね?
きっと大丈夫、だってあの人と巴巽村まで行った時も
「あ!」
そうだ、あの針。女鍛冶さんに作ってもらった針。
次にあの人と一緒に戦地に行く時、必ず役に立つ。

あの巴巽村への旅を思い出す。
出会った優しそうな村長さん、鍛冶屋の女頭領さん、門を守ってた大きな髭の男の人、そして若い領主さん。
みんなあの人のために一所懸命、命を懸けて自分の場所、自分の役目を、しっかり守ってくれてた。

ねえ、ヨンア。
あなたが私の世界でお父様の金言まで知られるような、戦艦に名前が残るような立派な大将軍になったのか。
今はなんとなく分かる気がするの。
みんなあなたを信じてる。あなたの傍で戦ってくれる。
それはあなたの立派な戦歴や、地位には関係ない。

きっと、あなたがあなただから。
チェ・ヨンって男が真っ直ぐに不器用に、何も言わずにただ命を懸けて皆を守るから。
私が護ろうとしてるのはそんな人。
探して、旅して、やっと会えた私のベターハーフ。
私はそんなあなたに何ができる?
私には21世紀の医学の知恵がある。そしてチャン先生に、劉先生に教わった医術が。

「大丈夫」
きっと大丈夫、できる。そう信じる。私は信じる。
そうよ、きっと今のこの世界で、人体構造に一番詳しいのは私。
手術に一番精通してるのは私。そうじゃなきゃ困る。
そうじゃなきゃ何のために未来から来たの?
何のために何度も、あの天門をくぐったの?
何のために遠回りしてここへ戻って来たの?
一緒にいるため。一生、一緒にいたいからだもの。

「よし!」
気合を入れて、ベッドからえいっと起き上がる。
「針よ、針」
あの時作ってもらった針を確かめておこう。
口に出しながら、ベッドから床に足を下ろしたその時。

とんとん。

部屋のドアを叩く、小さな音がする。
「イムジャ」
さっきも聞いた、あの大好きな声が。
「・・・え、ヨンア?」
「遅くに済まん。少し良いですか」
「ちょ、ちょっと待って」

その声に部屋着のの上に慌てて上着を引っ掛けて扉に走る。
「どうし」
たの、の言葉が、喉の奥で止まる。

開けた扉の隙間からの灯に映る目の前の顔。
扉に半分隠れた大きなあなたの影、そして正面にはさっき私に怒った鷹揚隊の責任者さん。

何?なんでまた? もしかして、言い足りなかった、とか?
思わず、じっとその顔を見てしまう。
「医仙」
鷹揚隊の責任者さんが、静かに私を呼んだ。
「は、はい」
「申し訳なかった」

目の前の夜中の突然の訪問者は、そう言って頭を下げた。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です