紅蓮・勢 | 24

 

 

「ウンスヤ」
申の刻。初夏の陽は西へと傾き、それでも金紅の空はまだ十分に明るい。
約束通り典医寺の診察室の扉から声を掛けた俺に、部屋の中あの方は振り向いた。

「お疲れさま」
笑んで近付き俺の頬に手を当て、眸を覗き込むと頸に、手首に当てたその指で脈を探りつつ
「ちょっと疲れてる?」
「・・・いえ」

静かに首を振ればそれ以上は問わず、頷いて。
「じゃあ、キム先生」
手首を握ったままこの方は診察室の中、少し離れ薬湯の入る薬缶のかかる火鉢へ向かうキム侍医へと声を掛けた。
「行ってくるわね。あとはよろしくお願いします」
「判りました。お気をつけて」

この方の視線の先、そこに立つキム侍医を真っ直ぐに見る。
奴は動揺する様子もないままいつもの通り穏やかに微笑み、俺に向かい静かに頭を下げた。
「ご武運を、チェ・ヨン殿。ウンス殿をくれぐれも」
お前に言われずとも。
「護る」
それだけ言い、室内で踵を返す。

この方が診察室の扉横、台上に置いた昨夜の荷を解き、纏めていた診察道具を荷の上に置き最後に包み直す。
その将校呢色、黒茶の布を結ぶ指はあまりに白く儚く見える。そして結びながら俺を見上げて
「双城総管府までは、どれくらいかかるの?」
首を傾げて問うた時。

がしゃりと突然響いた大きな音に、目の前のこの方が飛び上がる。

瞬時に音へと目を遣ればキム侍医の足許、先程まで火鉢にかかっていた薬缶は床へ落ち、木端微塵に割れていた。
手でも滑ったか、そう思い奴の顔を見た瞬間にその考えは間違いだったと悟る。
あの時の目だ。
─── だから私は毒を学んだのです
あの隠しきれぬ烈しい目。

「キム先生!」
この方が慌てたように奴へ駆け寄る。
「大丈夫なの?かからなかった?熱傷は」
確認するこの方の問いには一切答えぬ。
奴の烈しい目は真直ぐ俺だけを見ている。
「・・・・・・大護軍」
咽喉に粘つくようなその声が、ようやく呼びかける。
「何だ」
「此度進軍するのは双城総管府なのですか」
「そうだ」

典医寺の侍医のこの男が、戦に興味があるとも思えぬ。
ましてや此度のこの計画、何処から漏れぬとも限らん。
皇宮内ですら、箝口令を敷いてきたのには意味がある。
全ての階段を、一息に上がるため。
「それがどうした」

俺と奴との間の空気にこの方が戸惑うよう顔を上げ、侍医を訝しげに眺めた。
「キム先生?」
相変わらずこの方には目もくれぬまま、キム侍医は瞬きさえ忘れたようこの眸だけを凝視して
「チェ・ヨン殿。少しだけお時間を頂けませんか」
それだけ告げ奥へと続く戸へ進んでから振り返る。
「どうか」

その声に部屋の中、奴の許へと大股で進む。
横を通り過ぎる折この方の白い手が、上衣の腕へ掛かる。
それを逆手でそっと抑え、静かに解く。

「ヨンア?」
何を計じておるのか、俺にも判らん。
「すぐ戻ります」
頷いて伝え、奴の後に続き俺は部屋を抜けた。

 

*****

 

戸を抜けすぐの廊下の影、奴は無言で立っている。
廊下の障子から差し込む、金紅の陽の名残の中で。
「何だ」
もう一度そう問う声に、この男は小さく囁いた。
「徳興君が、出てくるのでは」

今、何を言ったこの男。

「・・・何だと」
「元にいる徳興君が、出てくるのでは」
その瞬間この右手が伸び、目前の男の胸倉を掴み上げる。
「お前、誰だ」
キム侍医は胸倉を掴まれたまま、俺から眸を外さずに
「チェ・ヨン殿、それどころではない」
そう言って首を振る。
「ウンス殿をお守りください。あの男は毒を使います」
「キム侍医」
「絶対に傍へ寄せてはなりません」
「侍医!」
「チェ・ヨン殿、私はあの男を知っている。お信じ下さい」

話の軸がずれている。
「奴が毒を使うのは知っている」
「チェ・ヨン殿」
「お前は何を知っている」
「あの男こそ、私が探し続けた者です」

奴の胸倉を掴む拳が力を失い、そのまま落ちる。
「お前、何を言ってる」

─── 証拠を残さず痕跡を知られず、殺めたい者が昔おりました

「探し続けようやく最後の足取りを捉えた時、あの男は既に元へと逃げた後でした」

こんな事を話している時間はない。全ての階段を一息に駆け上がるため。
背後の扉の向こうに、あの方が待っている。
徳興君の名など、耳に入れる訳にはいかぬ。

「侍医」
「元にいるのは王様への対抗馬としての利用価値故。双城総管府を陥落させれば、必ず」
「黙れ」
低い唸り声にその声が止む。

「良いか、よく聴け」
ようやく静まった男に向かい
「徳興君の事は知っている。毒を遣う事。此度徳興君が出てくることは策の内。
王様に続く王族とて、高麗では反逆者。出てくれば捕らえろとの王命もある」
「征東行省での謀反の件でですか」
「お前、そこまで知っているのか」
「言ったでしょう。調べたのです」
「殺めたい者とは、奴のことか」
「そうです」

即座に返るその声を何処まで信じる。
「・・・刻がない。一つだけ教える」
「何ですか」
「その言葉真実ならば、俺達にとって奴は共通の敵だ」
「共通、の」
鸚鵡返しに呟く奴に、最後に目を見て告げる。

「あの男は五年前、ウンスに二度毒を盛った」

その声に奴が息を呑む。初耳という事か。
「チェ・ヨン殿」
「細かい事を話す暇はない」

俺はそうだけ吐き捨て踵を返す。
「信じようが信じまいが、俺が奴を殺す。忘れるな」
「チェ・ヨン殿」

そう呟く侍医を廊下の影へ残し、診察室と廊下を隔てる扉に肩ごとぶつかりながら押し開く。
二度と振り向く事なく、そこで待つこの方へ歩み寄りながら浮かぶ疑問符だらけの頭を振る。

今は考えるな。乱されるな。寸分の狂いも許されん。

 

 

 

 

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8 件のコメント

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    あらら びっくり展開!
    うわ~ 侍医の事情がしりたい~
    早く知りたい~
    とりあえず 侍医の狙いが ウンスでないことは
    はっきりしたので… 
    でも まだ 謎だらけ。
    こんな時に~
    あ~ にっくったらしい!
    あら 久しぶりに 例のノート 広げちゃうかな?
    仕返しノート=ですのーと… ( ̄_ ̄ i)

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    部屋にさしこむ陽の加減や、粘つくようなやっとでた一言。手に取るように伝えたい雰囲気が感じられて魅せられました。
    この臨場感でまた出兵したら彼等の男気にやられそうですごく楽しみです!
    いえ、決して戦争が好きなわけではありません。彼等の生き方が好きなんです。
    こんな楽しみをいつもありがとうございます。本当に大切な自分時間です。

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    キム侍医の過去,かなり辛い事があったんでしょうね。
    徳興君を毒で殺めたいと思う程だから,大切な人を失ったのかも。
    ヨンはウンスを又毒の脅威に晒す訳にはいかない。
    会えばすぐにでも殺したいけど,王命は生捕りでしたよね。
    今後の展開楽しみにしています♪

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    さらんさん、ドキドキのお話をありがとうございます!
    なんと!
    訳ありも訳あり、相当気になる過去があるようですね(-。-;
    私なら、詳細に話を聞きたいところですが、ヨンはウンスの耳に入れたくないでしょうし、何を聞いても気持ちは変わらないですからね…。
    ああ、二人の明日に、何が起こるのか?
    目が離せません!
    さらんさん、週末をゆるりとお過ごしですか?

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    >muuさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    このあたりではすでに完全に骨子が出来上がり、
    ああやばいな、これ何話までいくんだと、不安になっている頃でしたw
    最終的にはああなりましたが…
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >すんすんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    まさにまさに、おっしゃる通りです。
    そして此度の戦で得たのは双城総管府陥落という
    祖国の宿願の達成、そしてキム侍医という、生死も、体の自由も
    自由に操る事の出来る、最強の味方。
    ある意味この時代では、ウンス以上に心強いかもしれません。
    今後これが、どうヨンに影響するか。
    また楽しんで頂ければ嬉しいです。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >kotomisa884さん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    私は何故か、陽の加減やらその陽が落とす影の色やら、
    そんなものを書くのが、異常に好きなようです。
    そんな事をしていると、あっという間に20話の予定が74話にw
    でもそれを臨場感と言って頂ければ嬉しい限りです。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >くるくるしなもんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    出たDeath Note!頂きました、久々にw
    ほんとにもう、憎ったらしいのも出たので、
    今回のお話は、最後のオチが決まった時点で
    軽く小躍りしました←実話
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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