一晩中この方の寝台に横たわり、腕を枕にまんじりもせず鎧戸の隙間、窓外を眺める。
この方が胸に寄せた鼻先で繰り返す、小さく静かな、規則的な寝息を聞きながら。
眠れるならば良い。寝かせてやりたい。
この後戦場に立てば、見せたくないものばかり見せる。
敵の血に塗れる俺の姿も。あの若く幼かった男の姿も。
せめて穏やかな夢の中、逢いに行きたい。
明日起きる時も。明後日眠る時も。
その次の朝も、その次の夜も。
目を閉じる時そして開く時、この方が腕の中にいれば。
一歩の距離で護ることが、許されるならば。
初夏の花の香りの夜がやがて東の空を紫に染め、新しい光に包まれるまで。
その光が空を縫い、木々の枝間を抜け、鎧戸の隙間から部屋の中、細い光の帯を伸ばすまで。
その光が閉じた目許に落とす、髪の一本の影すら見逃したくない。
息を詰めその髪を指先でつまみ、そっと額へと上げる。
「・・・・・・ん」
髪を掠めた指先に気づいてしまったか。
それとも横の俺の気配を感じているか。
胸の中でこの方が小さく声を上げる。
細い指先が何かを探すように彷徨う。
俺の胸に落ち上衣に触れると、ようやく落ち着いたよう撫でて握り締めた。
閉じた睫毛の先が光の中で震え、次に微かに開く。
この方が朝、目覚めるさまを眺めるのが好きだ。
毎朝その瞼が開いた瞬間に、瞳を覗き込むのが。
「・・・・・・ふわぁ」
口を丸く開く、その大きな欠伸を見ているのが。
「・・・おはよう、よく眠れた?」
夢から浮かび上がるような、掠れ声を聴くのが。
「おはようございます」
そう声を返し、一日を始めるのが。
「傍にいてくれて、ありがとう」
この方が胸に鼻先を擦り付ける。その声に心配したほどの動揺はもう感じられん。
杞憂であれば良い。
「俺が居たかった」
そう伝え首を振れば胸に顔を埋めたまま、寝乱れた長い髪の隙間から覗く口許が微笑んだ。
「ほんとはすっごく忙しいくせに」
「イムジャと比べるまでもない」
「今日も兵を鍛錬しろって、昨夜アン・ジェさんに言われてたじゃない」
「奴の戯言など」
「明日からも、ずっと一緒?」
「ええ」
「夢みたい」
「・・・はい」
キム侍医から離れる事が出来るのは幸いだ。少なくとも、あの男の肚の裡が読めるまで。
あとは担がれる輿の上の毒使いさえ片付けば。
そこまで計じ寝台の上、腕の枕を解く。そしてまだ眠たげな胸の中のこの方に
「申し訳ないが、行きます」
そう伝えると、小さな頭が胸から離れる。
離れた途端その重みを失った心許なさに、もう一度引き寄せてしまいたくなる。
きりがない。
寝台で勢いよく起き上がる。己が未練を断ち切るように。
「イムジャ」
寝台を下り扉に向かいながら、まだ半ば目を閉じているこの方へ呼びかける。
「ん?」
「後で迎えに参ります。何時に役目が退けますか」
「うーん、混み方次第だと思う。どうして?」
「明日の出立に備え、今宵は兵舎に。
鷹揚隊の衛隊長らにも、紹介させて頂きたいので」
「ああそっか。私もみんなのこと、全然知らないから・・・」
まだ相当眠いのか寝台の上、この方はころりころりと寝返りを打ちながら、何故かその手近の枕を抱き締めた。
そうしながらうふふと笑い
「緊張するなあ。こういうのはいつまでも慣れないわ」
そう言って抱き締めた枕に顔を埋める。
他の男に会うなど慣れる必要はない。こんな事態でなければ、誰が好んでするか。
苛つ胸を抑えつつ、平静を装い最後に告げる。
「申の刻で如何ですか」
「分かった。その頃ならきっと平気」
「では後ほど」
「うん、じゃあね」
明け方の寝台の上、枕を抱えたあなたが笑んで手を振った。
******
「では手配を頼む」
明け方の双城、庭の片隅の木陰。胸から出した薬包を目の前の男の手に握らせる。
「段取り、手抜かりはないな」
薬包を受け取りながら、兵長が頷いた。
「お任せください。明後日の夕飯と、酒に混ぜます」
「頼んだ。間違えて飲食しないよう気を付けてくれ」
「判りました。そうなっても眠りこけるだけですが」
「それでも、味方に眠られたくない。一人でも多く援軍を確保しておきたい」
兵長は私の声に
「分かりました。くれぐれも手を出さぬよう伝えます」
薬包を懐深く仕舞い込みながら小さく言った。
その顔を確かめて頷き返し、私は庭を後に歩き始める。白い朝日が、暗闇に慣れた目に痛い。
歩き出した私の後ろに、控えていたウヨルが付く。
「うまくいくと思うか」
前を向いたまま、振り向かずウヨルに尋ねる。
「時が来たなら」
ウヨルが静かにそう言った。
時が来たなら。
天があの若き虎に力をお与えになるその時が。
東の空、明るむそこへ目を当てる。あの黒い虎の目をした武士は、どうおっしゃるだろうか。
─── 大将だけを討てば良い。余分な戦いは不要だ。
そんな風におっしゃるのだろうか。今もまだ。
「ウヨル」
「はい」
「きっと変わる。李家も、国も」
あの方を待っている。時代が待っている、そんな気がする。
元の支配を離れ、祖国がひとつの国として己の足で立ち、己の手で道を掴むのを。
そうあらねばいけない。ひとつの国として。
その為には今までのように元の姫を娶る王ではならない。
己の国を他国と縁付かせる者が、王であってはならない。
そこから変わっていかねば。そしてその意見を通せる立場まで上がらねば。
あの黒い目の武士と共に、戦える立場まで上がらねば。
少なくとも此度、足を引っ張る立場にいてはならない。
「ソンゲ様」
背後のウヨルの呼び声に、意識が戻る。
「何だ」
「それほど強い方なのですか、チェ・ヨン殿という方は」
「・・・共に戦場に立つのは初めてだ」
そうだ、噂しか聞いたことはなかった。
剣の一振りで、敵を幾人も薙ぎ倒すと。百人を相手取り、戦っても負けないと。
あの頃あの方は私の話を笑い飛ばしたが、あの方なら成せる気がして仕方がないのだ。
共に戦場に立つのに、これ程興奮するとは思わなかった。
「弓を整えておきましょうか」
控えめなそのウヨルの声に
「良い、自分でやる」
そう答えると、背からひそやかな笑い声が返った。

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さらんさん、今日も素敵なお話をありがとうございます❤︎
無口なヨンの心の声が読めるのは、私たち読者の特権ですね。
もし、ウンスの耳に彼の想いの細部が届いたなら…と考えると、こちらまで赤くなります(^^;;
いや、目は口ほどに…と言いますから、すでにお互いの想いは充分に送り届いているのですね。
口に出さぬことのほうが尊いものであることも、多いですものね。
さらんさん、今日は朝から良いお天気ですね。
お互い、素敵な一日になりますように。
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>muuさん
こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
きっと通じ合っているはずです。だからこそ帰って来たと。
むしろヨン、ウンスの覚悟や、自分の為に此処にいると知っても
微妙な女心が読み取れなさそうですww
ヨンで頂き、ありがとうございました❤