紅蓮・勢 | 20

 

 

「じゃあ、持ってく荷物を教えて?」
部屋の中、俺に身を預けたままこの方が問う。
「・・・あるわけがない」
俺の心底呆れた声にこの方が首から振り向いた。
「え?」
下らぬ手を使いおって。
アン・ジェ、その肚など見通していると、小さい舌打ちが出る。

「最低限の下衣をお持ちください。後はせいぜい、懐に収まる櫛くらいです。
他に必要な物あらば、現地でお伝えください。兵站部にて用意させます」
「じゃあ、アン・ジェさんは何で」

その問いの返答に詰まる。
詫びのつもりか、だから気を回し過ぎだと言うのだ。
この方の前、却って気まずいばかりではないか。

「俺とイムジャが既に・・・そうした間柄と、勘違いを」
「・・・そうよね、それが普通よね、許嫁だもの」
「故に戦に出る前に、ゆるりと過ごせと言いたかったのでしょう」
その返答にこの方が楽し気に横顔で笑む。
「じゃあせっかくだから今晩はゆっくりしよう。待ってて、すぐ荷物だけ纏めちゃう」

そう言って小さな体がこの胸から離れる。
「はい」
頷いて室内の卓の前、俺は椅子に腰掛けた。
この方は部屋の奥、寝台の方へと歩み寄る。
がたがたと物音を立て抽斗を引くような音や衣摺れの音をさせた後、纏めた荷を持ち此方へ戻ると
「これくらい。大丈夫?」
そう言って、桃色の包みを掲げて見せた。

「あとは治療器具だけ。明日の診察が終わったら纏めるね」
「判りました。俺が負います」
「ピン、あ、桃色の包みをあなたが?」
「・・・火急の事態故、桃色だろうが緋色だろうが。
次回からは予め、イムジャの荷は兵站部に用意させておきます」

桃色の荷を背負って悪いか。笑いたい奴は、笑えば良い。
俺が言うと目の前のこの方は荷を抱えたまま、黙って一旦部屋奥へと戻る。
そしてすぐに地味な将校呢色の包みを持って来て
「みんなの荷物と紛れたらいけないと思って桃色にしたけど、他の人が荷物がないならこれでもいいよね?
この方が少しはましでしょ?」

これだから困ってしまうのだ。
首を振りその黒茶の布に包み直した荷に目を当てる。
そしてそんな思い遣りを見詰めつつ、息をつく。
言わなければならん。
荷から目を上げ、この方を見詰め。
「イムジャ」
その声に、無言で小首を傾げるこの方へ。

どれほど思い出させたくない事だとしても。
この重い口を開き、少ない言葉を捻り出し。
「イ・ソンゲが、おります」

深夜の部屋、揺れる蝋燭の灯の中。
その目が大きく見開かれようと、その声が喉元で凍りつこうと。
「奴と、奴の父イ・ジャチュンが高麗の内通者として、此度の戦の手引きを」

その細い肩がどれほど震えようと。
漏れる叫びを抑える小さな拳が、紅い唇に強く押し付けられようと。

此処で再び歯車が噛み合う、それが運命なら抗うつもりはない。

「・・・双城総管府に、行くのね」
この方がようやく小声で言った。
「あの時言ってた。あの子・・・イ・ソンゲが。
本貫は全州、今は双城総管府にいますって。
王様もおっしゃった。父親は双城総管府の高官だって。
息子が自分の膝元で命を失ったら、顔向けできなかったって」
「ウンスヤ」
「ヨンア」

この方の上げたその瞳は、光を失ってはいない。
「あなたは勝つ。大丈夫よ。イ・ソンゲに何の手引きを頼むのかは知らないけど、でも大丈夫なの。大丈夫なの」
言葉尻の震えを隠すよう、この方が深く息を吸う。
「ウンスヤ」
「判ってる。こんなこと、あなたにしか言わない。だけど大丈夫なの。絶対大丈夫。今じゃない。私が保証する」

蝋燭の灯を映すこの方の目の縁が、見る間に赤く潤む。
溜まる涙が零れ落ちぬよう必死に瞠る鳶色の瞳の中、己の姿が映る。
「大丈夫だから、ヨンア、私は大丈夫だから。あなたさえ無事だって知ってれば、大丈夫だから」
どうにか笑おうとしてしくじって、瞳から堪え切れぬ滴がほろほろ落ちる。

どう言えば判ってもらえるだろう。俺は死なぬと。
これ程生きたいと思わせるあなたの傍で、あなたを一人残し死んだりせぬと。
生に執着することが武人らしからぬと言うならば、武人でなくて構わない。
今、俺は生きたい。生きて必ずあなたを護りたい。

イ・ソンゲであろうと他の者であろうと、殺される訳になどいかぬのだ。
これほど強がりなこの方を残して。
そんな事になれば、この方は一人問わねばならん。
そこに、いる?
小さな震え声、声が返らぬ闇に向かって。それを考えるだけで。
「ウンスヤ」

立ち上がりこの方を見つめ、その横に寄り手を引き、この方を椅子から立たせ。
涙を零す瞳を覗き込み、どうにかそれを伝えようと、幾度も深く息をしようと。
「ウンスヤ」

結局それ以上の言葉など出ては来ん。
腕の中の体が軋むほどに抱き締め、温かさで己の存在を伝えるしかない。
傷つけるなど考えるだけで恐ろしいものを、腕の力を緩める事も出来ず。

叫べば楽になるのか。口にすれば叶うのか。そんな容易い事ならとうにしている。
浅薄な言葉など重ねるだけ空しさが募る。俺を見ていろ。見ていれば必ず分かる。
絶対にあなたを残し死んだりはせぬ事を。どれ程無様でも生きたいと足掻く事を。

あなたの鳶色の瞳で見るものだけが真実だ。

「愛している」

教えて下さった天界の言の葉。そこから伝わる想いだけが真実だ。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

4 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、前号に続けて拝読させて頂きました。
    甘い…というより、切ない夜ですね、この二人。
    人は、先の未来のことなど、知らぬほうが良いのかもしれない…と、つくづく思います。
    知らぬからこそ、生きていけるのだろうとも。
    こんな時でも、ストイックで禁欲的なヨン…なのでしょうか。
    そろそろ、名実ともに許嫁として行動に移しても良いのではないかという思いもありますが、一度決めたことなので、きっとヨンは守り抜くのでしょうね。
    さらんさんのみぞ知る(*^。^*)で、次号を楽しみにしております。
    さらんさん、少しは食欲も出てきましたか?

  • SECRET: 0
    PASS:
    いつもハラハラドキドキ読ませて頂いてます。朝番の更新が楽しみで、スマホが離せません~!ですが、最近の私の余計なお世話事ですが…ウンスさんの歳を考えると、婚儀を延ばすのはちょっとどうなの…って、ハラハラしてます。医者だから、高齢出産のリスクとか考えると、内心焦っていないのかなぁ~などと、ヨンさん、信念もケジメもいいけど、女性の体の負担とか考えて欲しいかな~と、勝手に物語に入り込んでます~。ウンスさんの爪の伸び方とか、彷徨ってる間の二人のタイムラグを考えると、ウンスさんは高麗では4年で一歳歳を取るのかも…とか、ああ、もうサランさんの世界にどっぷり浸かってしまってます。すみません、取り留めのない私のお節介事でした~。今後も楽しみにしています!!

  • SECRET: 0
    PASS:
    >xiaoliさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    確かに、それもありますね…
    現代(2013年度)女性の東京都の初産の平均年齢が32.2歳、
    男性の全国平均は32.5歳だそうです。
    そう考えるとそれ程遅くないのか…
    まあ少なくとも高麗の平均を考えれば、恐ろしく遅いですが。
    しかしご配慮いただいて、きっとウンスもヨンも喜ぶかとw
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    >muuさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    ヨンに関しては、とことん続きます(済まぬヨン!)
    まあこればかりは、何ともww
    婚儀を挙げるお話は必ずありますが(すでにタイトルも上がっていますが)
    その後の閨での出来事は、どうかなと。
    いや、実際一話は書きますが、それもうーん、で。
    そんな七面倒な事考える?ええええ?的なww
    その時にはまた、お楽しみいただければと思います。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です