紅蓮・勢 | 65

 

 

地下牢の壁、油灯に照らされながら水滴が落ちる。
灯に光る水の流れ途は蛞蝓の這い跡のように、てらてらと壁に線を引いている。

ぴたん、ぴたんと音が響く。
その音を耳に、手段を講じる。

どうにかして抜け出さねばならぬ。
何があろうと元に戻らねばならぬ。
しかし相手は憎き大護軍チェ・ヨン。
どう考えようと、武功で歯のたつ相手ではない。
武功では。

「そこな者」
牢の入口を守る兵へと声を掛ける。
「厠を使いたい。この手鎖を解け」
「出来ません」
兵は僅かにこちらを目で振り向き、それだけを短く告げてまた正面を向き直った。
「無礼であろう、早く解かぬか!」
その声は、兵らによって見事に黙殺された。

怒鳴り声が地下牢の壁に響き、その向こうの闇へと吸い込まれていく。
すっかり吸い込まれた後には、また水音だけが響く。

武功では敵わん。武功では。

重い手鎖を巻かれたままどうにか手首を上げる。
結うた髷の幘、それを留めるため刺した簪を指先で確かめる。

武功では、敵わん。のうチェ・ヨン。

 

*****

 

「王様、まずは某が」
「共に行くと申しておる」
「毒を持たぬと確かめられれば、お入りください」
「確かめてから連れ戻ってきたのであろう」
「しかし何処に隠し持っているか」
「裸に剥いて尋問するわけにはいかぬ」

宣任殿を出で回廊を地下牢へと急ぎながら、王様は背後の俺に振り向く事もなく御声を上げる。

「御史大夫に伝えた事は、はったりなどではありません。
罪人を目の前に絶対に安全な尋問などないのです、王様。
ましてや毒遣いです。手足を拘束していれば未だしも」
「成らぬと申したであろう、チェ・ヨン」

いよいよ苛立ちをお隠しにもならず、王様はその場にびたりとその足を止められた。
そして勢い良く此方を振り向き、この眸を真直ぐに見た。

「良いか、全て形式通りに行うのは万一にもこの後で元から横槍が入った際の為。
此方の詮議に落ち度がないと伝えるための逃げ道だ。そなたと、そして寡人のな。
此方は形式通りに詮議を行い、あの徳興君が自白した。
尋問に立ち会った全ての者が、そう言わねばならぬ。
それが嘘であってはならぬ。
あの男が全て吐くまで、どれだけかかろうと尋問は続ける。
何日は疎か、何年かかろうとな。
そして王として、王族である徳興君に見合う懲罰を課す」

王様は僅かに血走った目で、じっとこの眸を覗き込む。
「簡単になど吐くものか。時間がかかればかかる程良い。
その間に寡人は必ず、王妃との間に再び世継ぎを授かる。
天地を返しても、必ずそうして見せる」
その王様の御言葉にも、確かに一理ある。

「ではせめて徳興君の着衣を、全て新しいものに。それであれば、礼節を重んじる事にもなります。
双城総管府で着のみ着のまま捕らえた逆賊であっても、王族である徳興君”媽媽”に、清潔な衣服を用意したと。如何ですか」
「それであれば良かろう」

ようやく縦に首を振られた王様のご了承を聞き
「迂達赤!」
回廊へ僅かに眸を流し呼ぶと、東西の回廊の守りの歩哨が素早く駆けつけ目の前を囲んだ。

「新しい衣服、そして下衣、ポソンと沓を一揃え。
全て清潔なものを。針一本残る事は許さぬ。
十分に確認したものを繍房に用意させ、即刻地下牢へ届けろ。
但し俺が着くまで着替えさせるな」
「は!」

回廊を散り駆けて行く奴らを背に、王様が再び歩を進める。
「チェ・ヨン」
「は」
「そなたなら、どうする」
「・・・どうするとは」
「医仙を攫い、その腹のまだ見ぬ吾子を弑した男」
「・・・王様」
「殺すか」
「はい」
「たとえその男の存在が、そなたの兵たちの安全を守る諸刃の剣でもか」

何も答える事は出来ん。
俺のあの方。まだ見ぬ吾子。そして俺の兵。

弑すか。生かすか。

「生かす事はありません」
「では」
「弑す事も、ありません」
「どうすると言うのだ」
「生き長らえさせます。
二度と陽の目を見せず、この眸の届くところで」

それしかない。そうお答えするしか。
王様はその答えに、肩越しの横顔の御口の端を微かに歪めた。
「生かさず殺さずか」
「は」
「一度権力を知った後の身には、死ぬより辛い」
「は」
「それこそが寡人の求める答えだ、大護軍」
「・・・は」

やはりそうだった。
王様は最も残酷な方法で、あの男を生き長らえさせる。
生かさずに殺さずに、全ての自由を奪い。
自害する勇気など持ち合わせぬ鼠を相応しい場所、暗い物陰で飼い殺すのだ。
用が終わるその日まで。

助けも望めず死ぬことも出来ず、王族としても生きられず。
そうまで考え、ふと笑みが浮かぶ。
皮肉なものだな。
お前は奇轍に担ぎ出されねば、一生そうして生きていたはずだ。
その生活に暫し戻るだけだ。良かったではないか。

「王様」
「なんだ」
「ただし用済み後、某ならば必ず斬り捨てます」
「用済み後にな」
「は」

王様は肩越しに此方を覗き、静かに頷いた。

「寡人がそう判じた時にはチェ・ヨン、そなたの好きにせよ」

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    キム先生は危ない目に遭ってしまいそうだし、ヨンの心の憎しみもとても深そうだし、ウンスの明るさ、救いが皆に必要そうです。私にも!

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    さらんさん、休日出勤のヘトヘトな私に、今日も幸せな時間をありがとうございます。
    捕らえたは良いけれど、なんだかとても不安ですね。
    卑怯者の徳の奴と、仇討ちを狙う侍医と、自ら対面しようという王と…。
    恐ろしい展開が待っているのでしょうか。
    さらんさんのお話は、容易に映像を浮かべることができるだけに、あの薄暗い牢につながれた徳の奴の、不気味なまなこが脳裏に迫ります。
    ああ、気になる~(。-_-。)

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