紅蓮・勢 | 19

 

 

横に立つあなたを見る。あなたは肩を竦めたまま首を振って、黒い目で私をじっと見返した。
周りの暗闇よりずっと優しい黒い瞳で。
「知らなかったとはいえ無礼だった。 医仙の事情も、こいつの気持ちも斟酌せず」
続く彼の謝罪の声に、私は慌てて首を振る。
「それはいいんです。全然気にしてない。鷹揚隊さんが言った事は正しいわ。私が考えが足りなかった。
事情って何を聞いたかはわからないけど、この人の事だから今まで鷹揚隊さんに何も言わなかったでしょ?」
「・・・鷹揚隊さん・・・」

あなたがそう繰り返して、小さく喉の奥で音を立てる。
ねえヨンア。今、噴き出さないように我慢したでしょ。
「アン・ジェです、イムジャ」
「ごめん、アン・ジェさん」
「はい」

私はアン・ジェさんに一歩近づいて、その手を握った。
握手みたいにその片手を自分の両手で握って、そしてその目を見てから深く頭を下げた。
「ありがとう」
アン・ジェさんがそしてあなたが、驚いたみたいに私が握った手を見てる。

「この人を守ってくれて、面目を保ってくれてありがとう。
怒らせたのに、こうやってお礼を言う機会をくれてありがとう。
何も知らなくて、兵のみんなを動揺させてごめんなさい」
「お詫びするのはこちらの方だ。我らはこの男が戦場で全力で戦うためならば何でもします。故に」

アン・ジェさんが静かに自分の手を握る私の手を解きながら、改めて私に向けて頭を下げた。
「虫の良いお願いですが、もし医仙が良ければ、此度より軍医として我らにお供頂けませんか」
「・・・え?」
「医仙がいらっしゃらぬとこの男、どうにもこうにも役目が手に着かなそうなので」
「アン・ジェさん」
「はい」

その声もさっきとは違う。笑っても怒ってもいない。
私がまっすぐ見詰めたその顔は穏やかで、ただ静かに私の答えを待ってくれてる。
「いいんですか」
「医仙が遅れぬように、誰かが必ずお助けします。こいつが戦場にいる時には、代わって必ずお守りします。
ですから、こいつの傍にいて下さいませんか」

アン・ジェさんのその言葉に、横のあなたを見上げる。
あなたが優しい黒い目で、私を静かに見下ろしている。
「どうしますか」
「・・・いいの?」
「イムジャ次第です」
「行く。行きたい」
「悔いはないですか」

また聞くの?答えは判ってるくせに。そう目で問いかけると、あなたの目許が緩む。
「ないわ。どうして後悔するの?」
何度聞かれたって変わらない。知ってるくせに。

「決まりだ」
あなたがそう言ってアン・ジェさんを見た。アン・ジェさんが静かに頷いた。
「それでは俺はこれで。夜分に失礼しました」
そう言って頭を下げ、アン・ジェさんが歩き出す。
「イムジャ、明日時間が空き次第伺います」

歩き出したアン・ジェさんを追いながら言ったあなたに、アン・ジェさんが肩越しに振り向き、眉を寄せて小声で尋ねた。
「チェ・ヨン」
「何だ」
「何故、お前まで来るんだ」
「・・・お前、何を言ってる」
「面倒な男だな。良いか」

アン・ジェさんはそう言って、体ごとあなたに向き直る。
「出征は、明後日だな」
「ああ」
「医仙は、出征されるのは初めてだろう」
「ああ」
「何を用意するか、お前が教えて差し上げずにどうする」
「・・・・・・」

呆気にとられたように無言になるあなたに向かって、アン・ジェさんが首を振る。
「治療道具以外の荷を差配して差し上げろ。終えるまで兵舎には戻って来るなよ」
「アン・ジェ」
「それで今宵眠れずとも、明日の兵の鍛錬はつけてもらう。嫌なら此方で寝てから戻れ」

その声にあなたが呆れたように息を吐く。
「アン・ジェ、妙な気を」
「妙な気だと。何処が妙だ。俺は至って真面目だ」
「俺たちは別に」
「別になんだ」
「何だと言われても」
「俺は純粋に医仙を心配している。初めての出征に持っていく物がお分かりにならないのではと。
その心遣いは妙なのか」
「いい加減に」
「明後日まで時間がないな」
「ああ、もう良い」

あなたは根負けしたみたいに頭を振った。
「この方の荷造りとやらを終え次第、兵舎へ戻る」
「素直にそう言えば良い、最初から」
からかうように言って、アン・ジェさんが私にもう一度頭を下げた。
「今宵はチェ・ヨンを、よろしくお願いします」
「おやすみなさい、気を付けて」

アン・ジェさんの足音が遠ざかるのを聞きながら、私の横であなたが困ったみたいに私を見つめた。
高いところから降ってくる優しい目。そして呟くみたいに落とす低い小さな声。
「そうやって」
「え?」
「結局は誰も彼も、ご自身の援軍につける」
「それは違うわ」

窓越しの光を受ける黒い優しい目の中、首を振る私が見える。
「みんな、あなたが大切。あなたを信じてる。あなたと一緒に命を懸けて戦って、支えてくれる。
だから結局、私に負けてくれるのよ。それしかないから」
「しかし」

そう言ったあなたが溜息をついて、横の私の手を握った。
「奴の手まで、握る必要がありましたか」
「だ、って嬉しかったのよ。出来ればあなたを信じて支えて守ってくれる1人1人にそうしたいわ」
「・・・勘弁して下さい」
「でも本心だもの」
「此方は気が気ではありません」
「だって」

 

「だって」
この方の唇が不服げに尖る。
その唇からこの耳に、心に痛い言葉が出なくなったのは一体いつ頃からだったろう。
この方が泣くのも怒るのも、ただ俺の為。
俺の為、想像できぬ困難な道を戻られて、今また再び俺の為、困難な道を選ばれて。

俺がひとつ何かをすると、この方はこうして十も二十も返してくるから困るのだ。
いつまで経ってもこの方の気持ちに追いつけぬようで。

此度とてそうだ。女人の身で戦場にやってくるなど。
ただ俺と、俺の周りの者を支え護るためだけに。
これからも胸が潰れ、肝が冷えるほどの無茶をする。
全て俺の為だけに。
その度に俺はきっとこの肚裡で繰り返す。

己の力の全てで護れ。必ず無事であの方の許へ戻れ。

俺だけで充分だと思っていた。
思っていたのに気付けば周囲が、いつの間にか手を貸してくれている。
不器用に、不愛想に、言葉少なに、苦笑いしながら。
王様が、王妃媽媽が、迂達赤が、手裏房が、叔母上が、武閣氏が。
マンボや師叔が、ヒドが、巴巽の面々が、今はアン・ジェまでが。
それに気づくたびにこの胸裡で繰り返す。

皆を全て安全に、大切な者の許へ戻せ。
もう一度、愛しき者と笑い合えるよう。
王様を守れ。国を守れ。
此処にいるこの方を、そしてこの方を守る皆を護れ。
二度と誤るな、生きる事が全てだと。

この方が、握ったままの手を小さく引く。
手を引かれながら、部屋の中へ誘われる。
この背で扉が閉まった瞬間、胸に小さな頭が凭れる。
胸にその頭を受け留め、つないだままの掌を眸の高さまで上げる。

小さな掌を開き唇を落とすと、この方は面映ゆげに笑んだ。

 

 

 

 

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