紅蓮・勢 | 11

 

 

「大護軍!」

典医寺に向かう道すがら。典医寺より駆け戻るテマンに呼ばれて足を止める。
「おう」
「典医寺に、行くんですか」
「ああ」
「お元気そうでした」
「そうか」
「喜びます、大護軍が行けば」
「しばらくは鷹揚隊兵舎に留まる。お前もそちらへ戻れ」
「はい!」
その返答を聞き、典医寺への道を行く。

典医寺の薬園へ踏み込めば春の草花がこんなに咲いていたかと、此度はそれに目を送るゆとりがある。
その花々の中、あの笑い声が聞こえた。
足を止め其処を見ればあの方がトギと共に籠を持ち、しきりに何か話しつつ薬草を摘む姿が見える。

その光景を見て、苦笑が浮かぶ。
あの頃も典医寺の扉の陰、木の幹の奥に隠れ、あなたを見詰めた。
幾度も、幾度も、側にすら寄れずに。

今この庭で笑う姿を見れば、時が急にあの頃に戻ったようで。

「・・・イムジャ」
名を呼べば顔を上げ、真直ぐ俺に駆けてくる。春の陽の中、紅い髪が透け空に舞う。
「どうしたの?」
その瞳で俺を見つめ、頬に手をやり。
「体調が悪いの?大丈夫?どこか辛いの?忙しくないの?どうしてここに」

矢継ぎ早のその問いのどれから答えて良いものか。
「体調は至って良く、痛みは全くなく。確かに忙しい。顔が見たくて来た」
そう答えれば安心したように、この頬に触れた手がそっと頸へ移る。
手首を握り血脈を探る指。俺は手首を返し、邪魔をせぬよう自由にさせる。

「うん、大丈夫。良かった。ねえ、少しだけ話せる?」
「どうしました」
「あのね、大切な話があるの」
その難しげな声の響きに眉根が寄る。何だ。
「如何したのですか」
「ここではちょっと・・・一緒に部屋まで来てくれる?」

周囲を気にするこの方に頷いて並び、典医寺の薬園を歩く。
敵の肚を読むよう、今この方の肚を読めればどれほど楽か。
問題はただ一つ。
此処までどれほどその肚を読んでも、当てられた験しが一度としてない事だ。
この方の肚の中は、到底考えつかぬような突拍子もないことをいつも考えている。

単に天界の慣わしか。将又この方の考え、それ自体の問題か。
若しくは考えたくもないが、惚れた弱みという奴か。
そのせいで冷徹に読む事が出来ぬのか。

初夏の庭、横に添って歩きつつ、空を見上げて息を吐く。

 

*****

 

典医寺のこの方の部屋、向かい合い腰を下ろす。
薬園の木々には若葉が茂り、外からの無遠慮な視線を遮るように優しい影を作る。
木々の根元に咲いた春の花々が惜しげもなくその香を振り撒き、風に揺れている。

「あなたに前に言ったのを覚えてる?心が決まれば相談する。その時は怒らず聞いてって」
どの花よりも花の香のするこの方が俺を見て問うた。
「・・・はい」
この方の目を見て頷き返す。
あれはあなたが血虚で倒れ、宅に二人でいた時だ。
「だから怒らずに、まず聞いてほしいの」
「判りました」
「私。私ね・・・」
舌先で紅い唇を湿らせ、この方は小さな声でこの眸を見て呟いた。

「迂達赤の、軍医になりたい」
「・・・イムジャ」

これだ。
卓に肘をつき、片掌でこの眸を覆う。

まさかこんな事をその小さな肚の中で考えるなど、一体何処の誰が考えられるというのだ。
鍛え上げた大の男ですら生き残ることで精一杯の戦場。
たとえ前線に立たぬとはいえ、女人の身で軍医として就きたいなど。

「正気とは思えん」
そうだ、正気とは思えん。
命を懸ける戦場に俺のこの方が、わざわざ選んでついてくるなど。

「怒らないで、まず聞いて。これまでは言えなかった。自分の医術に自信がなかった。
だけどもうこんなの嫌。離れてあなたを心配してたって、何の役にも立たない。
自分だけ安全な場所で、あなたやみんなに護られてるだけじゃ嫌。お願い、そばにいさせて」
「イムジャ」

日暮れを待ち、夜の夢を楽しんでほしい。
傾いていく陽に怯え、夢の中で夜襲に備えるような、そんな思いを絶対にさせたくはない。

その己の半分で、また声がする。
あなたが共にいれば、常に一歩の距離で護れれば。
毒使いからも紅巾族からも、そして全ての敵への盾になれれば。

あの毒使いが何処かに潜んでいる。
王様が断交の勅旨を発すれば即座に担ぎ出される。
そうすれば、あなたを絶対に一人にはできぬ。

兵の護衛の問題ではない。毒から護るのは至難の業だ。
あの毒使いの薄汚さはあの頃とことん味わった。
腸の焼けるような痛みに似た、目も眩むほどの怒りを。
肚の奥がびしびしと音を立て、凍てつくほどの恐怖を。

それでも生け捕れと王命が下った。少なくとも今は奴の命を取ることは叶わぬ。

紅巾族との対峙の前に俺は思った。帰れば相談だと。
あの時、迷いの中で確かにそう思ったはずだ。
昼の月を見て。あなたの声できっと晴れると。

俺こそあなたを必要としている。傍に置いて護りたい。
一歩が足りず、あなたが二度とこの指の間をすり抜けぬように。

しかしそれでも、最後の一歩で何かが邪魔をする。
人を斬る己を見られたくはない。何より命を大切に思うこの方に。
血に染まる手を見られ、その後その手で触れるのは怖い。

そうだ、未だに怖い。
己の道と信じても、それをこの方に見られるのが。
人を弑して己が残る。
そんな世に生きておろうと、あの時のような目で見られるのが。

あの慶昌君媽媽の時のような目で。

「俺は、戦に出れば」
「分かってる」
この方が卓の向こうで椅子を立つ。
卓を回り込み、座る俺の前で床に膝を折り、真直ぐこの眸を覗き込み。
「分かってるから、大丈夫だから。側にいさせて」
「・・・・・・」

何が正しいのかなど判らん。判るのは己の肚のみ。
護りたい。傍にいてくれ。俺に力をくれ。
聴こえるのは、ただそう繰り返す声のみ。
俺は黙って椅子を立つ。
窓の外の若葉が落とす優しい影を幸いに、小さな手を引き床から起こす。

どの花よりも花の香のする体をこの腕で寄せ、暫しの間この胸にきつく抱き締め閉じ込める。
瞳を閉じ腕の中、静かな息をつくこの方を感じ、眸を開きその髪に鼻先を埋め、虚空を睨む。

其処に浮かぶ、あの毒使いの幻を見る。
此度こそあの鼠から護りきってみせる。

例え共に戦場に立とうと、あなたの目に映る西の空がいつも明るいよう。
戦場の空の下でもこの腕の中で見る夢で、毎晩毎夜もう一度逢えるよう。

徳興君。二度とお前には手出しはさせぬ。
指一本でも不用意にこの方に向けてみろ。
向けた指から迷わず、真先に斬り落とす。

 

 

 

 

 

 

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