紅蓮・勢 | 16

 

 

「決まったわ!」
鷹揚隊の兵舎の門の前、嬉しげにあなたがそう叫ぶ。
門の脇、焚かれた篝火に、その顔が紅く照り映える。

「大護軍」
そろそろ就寝の時刻かという亥の刻近く。
扉の外に気配を感じ寝台から身を起こす。
同時に禁軍の門衛士が仮の私室の扉を叩き、遠慮がちに呼びかける声を聞く。

「お寝みですか」
「何だ」
声を掛けると扉が静かに開き、衛士が隙間から顔を覗かせる。
「大護軍に、ご来客が」
「こんな時間にか」
「典医寺の医仙様です」
「・・・判った」

即座に部屋を出で門へと駆ける。
夜も深いこの刻、訪れたこともない鷹揚隊兵舎へあの方が来訪だと。
典医寺にいろとお伝えしたのもお忘れか。
守りにつけたトクマンは一体何をしている。

その心も知らぬげに鷹揚隊兵舎の門、両脇に焚かれた篝火の近く。
にこにこと笑い、駆け寄るこの姿に向かってあの方が手を振った。

鷹揚隊の門衛士の奴らが、その姿にしきりに目を走らせている。
トクマンがあの方の脇に立っている。
俺が睨むと奴は身の置き所がなさげに縮み上がり、頭を下げた。
「何をしている」
そこへ寄り低く問う声に
「いえ、医仙がどうしても、と」
その頭を押さえつけ、耳元で
「典医寺から出すなと言った。何度言えば判る」
そう唸ると奴は汗を浮かべて頷いた。

この方はそんな俺達に頓着する様子もなく、その小さな手でこの上衣の袖を、皺が寄る程に掴む。

「一緒に行ける、媽媽が許して下さったの」
「・・・もうお伝えしたのですか」
「もちろんよ、善は急げって言うでしょ。行っていいって、王様には媽媽からお話して下さるって!」
「イムジャ」

此度の階段だけは、途中で足を止める訳にはいかん。
この方のこの寸前での合流が、どう影響を与えるか。
そして双城総管府にイ・ソンゲがいる。
恐らく此度は共に戦場に立つ事になる。
その姿を見ればこの方がまた動揺するだろう。

それでも護りたい。傍にいたい。
離れられぬなら、誰より傍に。

「此度はあまりに突然過ぎる。次回は必ず」
置いて行きたくなどない。
素性の分からぬキム侍医がいる。既に輿の上、担がれるのを待つばかりの徳興君がいる。
護りたい。傍にいたい。離れられぬなら誰より傍に。
それでも己の気持ちだけで兵を失う事は二度と赦されん。

「・・・喜んでくれると思ったのに」
傍に居て護れるならば嬉しくないわけがない。
しかし此処で、アン・ジェの率いる鷹揚隊兵舎の前で、そんな話をする訳にはいかん。
俺の兵とは違う。蹴り飛ばし口を塞ぐわけにもいかん。

「イムジャ、そうでは」
「・・・もういい!」
「イムジャ、此処でそんな話を」
「ほんとは納得してくれてなかったんでしょ。また私が勝手なことしたって思ってたんでしょ」
「イムジャ」
「困らせたかったわけじゃない。でも私だって!」

この方の声はどんどん大きくなっていく。
「医仙、お静かに」
そのトクマンの制止の声に大きく首を振り、声は続く。

「私だって、あなたを護りたかったのに。あなたがしてくれる半分でも、何かしたかったのに!
どうして判ってくれないの?どうして自分だけ頑張るの?私が出来るのはあなたの邪魔することだけなの?
私は役立たず?あなたにとって何の意味もないってこと?一緒にもいられないってこと?大人しく待ってるだけ?」
「イムジャ、おやめください」
「医仙、もう帰りましょう」
俺達のその声を興奮したこの方が聞くわけもない。

「じゃあ何なの。言ってくれなきゃわかんない。ついて行けると思ったのに。一緒にいられるって、毎日あなたが帰って来るのを待ってられるって。
もしも怪我したら必ず私が助けてるって思ったのに。離れて心配するだけじゃなく力になれるって思ったのに!」

鷹揚隊の門の中、駆ける足音と共にアン・ジェの声が響く。
「全員中へ入れ!」
その声に門横で所在無さげに惑っていた衛士らが、慌ただしく門中へ駈け込む音が入り混じる。
アン・ジェは門より外へは出ず、そこで大きく息を吐く。
「戦の前にやってくれるな。只でさえ目立つところで」
そう言って眉を顰め、俺とこの方を等分に見遣る。

「医仙ですか」
「・・・そうです。あなたは、ここの偉い人?」
その声にアン・ジェが苦笑した。
「偉いというか、責任者だが。アン・ジェと申します」
「騒いですみませんでした。もう行くからいいわ」
「いや、構いませんよ」

鷹揚隊兵舎の門柱に体を預け、アン・ジェが笑みを浮かべた。
「チェ・ヨンが女人に怒鳴られるなど、滅多に見られるものでなし。どんどんやって下さい。
こいつには、そもそもそうした人間味が足りんのだ」
そう言うと門柱に凭れたまま、次は指を折りながら
「戦は負けなし、兵には慕われる、頭は恐ろしく切れる、男っぷりは俺と同じほど良い、酒には滅法強い」

そこまでで片手の指を使い切り、
「まだ足りんか」
首を傾げ、白々しく拵えた真顔で此方へ問い掛ける声に
「ふざけるな」
奴を睨みそれだけ返す。

「そんなこいつが兵の前で女人に怒鳴りつけられるとは、良い土産話が出来た。
これで此度冥途に旅立っても一片の悔いもない」
そのアン・ジェの言葉に、この方が驚いたよう奴を見る。

「そうなのですよ、医仙。我らは毎回そういう覚悟で戦場に出て行くのです」
奴はその目を受け、笑んで頷いた。
門の脇の篝火が、その浮かぶ笑顔の半分を照らす。
残りの半分は、門柱の影、周囲の闇に溶けている。

「こいつは違うでしょうが、大半の兵はそうです。それでもこいつを信じ、共に戦うと願う奴らばかり。
ですから、奴らの前でどんどんこいつを怒鳴って下さい。そして我らを、とことん落胆させて下さい」
奴はそう言って、この方に目を当てた。
「そしてこいつの面子を潰し、兵を動揺させ士気を落とし、ご自分の仕事を増やせば良いではないですか」

半分篝火に照らされたその顔。
笑んでおるのではない。
アン・ジェ。
その口許こそ笑んではいるが、この男、憤っておるのだ。
今まで俺すら見たこともないほどに。
「・・・あの」
ようやくその憤怒を感じ取ったのだろう。この方が言葉に詰まる。

「遊びではないのです、医仙。こいつが駄目と言えば駄目なのです。理由がある。
我らはこの男をのみ信じ、命を懸けてついて行く。俺の兵の命がかかっている。
迂達赤は黙認するかもしれんが、こいつは既に迂達赤だけのものではない。
国を背負う男です。少なくとも俺の兵の前で、こいつの面目を傷つける振舞いはお控え頂けますか」

笑んだまま、そして怒ったままそう言い放つアン・ジェに、この方は呑まれるように頭を下げた。
「ごめんなさい、そんな事考えてなくて。でも」
「でも、何でしょうか」
「いえ、ただ一緒にって」
「一緒に行くために、こいつを怒鳴りつけたと。兵の前で気持ちの赴くまま叫んだと、そういう事ですか」

奴は門柱に凭れた体を起こして、門を挟んでこの方を見た。
夜の闇の中、篝火に半分照らされ、見える顔は笑っている。
だが闇に溶け込む残り半分の影は、肚の芯まで怒っている。

「少なくとも此度は、既に計画が立っております。
申し訳ないがこいつが何を言おうが言うまいが、共に兵を率いる立場の護軍としてお伝えする。
此度の戦、医仙はご同行、お考え直し下さい」

そう言って口許だけの笑みを深くし、頭を下げて踵を返すと奴は兵舎へと戻っていった。
「・・・ごめん、帰る」
この方がそう言って俺に首を振った。
トクマンが不安げに戻るアン・ジェの背と 此処に立つ俺、そしてこの方を順に見る。

アン・ジェの言い分も、この方の言い分も。
その何方も判る。そして何方にも頭が痛い。
「奴も悪気はない」
「言ってることわかる。今回は私が悪かったの」
「送ります」
「うん・・・」

この姿を見つけた時とは打って変わったこの方の萎れた声。
闇空に向け溜息を吐き、俺は歩き出した。

 

 

 

 

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