2014-15 リクエスト | 輪廻・7

 

 

「ユ・ウンスが退職したってな」
「・・・ええ」

退院した彼女が休職期間を経て、正式に退職した。
それを彼女の母親からの連絡で知ったのは、あのCOEXでの対話から1か月ほど後の事だった。
既に知っているなんて相変わらず耳の早い人だ。そう思い苦笑する。
その早耳のユン先輩は、のんびりと言う。
「俺の周りは転職流行りだ。お前といい、ユ・ウンスといい」

俺自身の退職も、あとわずかまで迫っている。誘拐事件の全容は、全く以て見えて来ない。
容疑者の男は全く現れず、同類の事件も起こってはいない。
おそらくこのまま迷宮入りだろう。
被害者であるユ・ウンスが無事帰ってきただけで、善しとしなければならない。
それで良いのかもしれない。どんなに消化不良でも。

協力を強制することはできない。拒否に対する罰則もない。
被害者にはただ頭を下げ、依頼するしかない。
だがあんな風に泣くユ・ウンスはもう見たくない。

気になる。あの時のCOEXでの言葉も、泣き顔も。
会いに行ってみようか、そう考えながら立ち上がった。
「行くのか」
立ち上がった俺に、先輩が声を掛ける。
「被害者支援室もある、カウンセリングもな。 教えてやってくれ」
そう言って、部屋に用意してあるパンフレットを目で示す。
「・・・はい」

その視線で示された犯罪被害者支援案内のパンフレットを取りあげ、横に置いてある封筒へと入れて持つ。
退職まですれば、経済的支援も必要だろう。
当時入院した病院での診断には俺たちも立ち会った。
あの奉恩寺での常軌を逸した行動は俺が見ている。
給付金を受けるための証人も診断書も、揃えるのは難しくはない。
提案してみよう、そう思いながら駐車場へと急ぐ。

 

「こんにちは」
彼女の自宅を訪問すると、玄関を開けたのは母親だった。
「あら、刑事さん」
さすがに母娘だな、そう思いながら苦笑いで返す。
「ええ。キム・テウです」
「そうね、キムさん。ウンスは散歩に出てるの。すぐ帰って来ると思うから待っててくださいな」
「いえ、探しがてら歩いてみます」
「そう?じゃあ、お願いします」
「はい。それとこちらは犯罪被害者支援の資料です。
何でも言って下さい。自分に出来る事なら、何でもします。
最近、ウンスさんの様子はどうでしょうか」

持参した封筒を差し出しながら、母親へと尋ねてみる。
その問いに彼女の母親は少し首を傾げ、そして本当に心配そうに言った。
「とっても明るいわ。そしてよく笑うの。こっちが怖くなるほど」
そう言いながら俺を見て。
「刑事、いえキムさん、あの子ね」
その心配そうな声に俺は相槌を打つ。
「はい」
「どこか、壊れちゃったかもしれないわ。心が」

涙を湛えた目が、あの時の彼女に似ている。
それを見て俺はただ頷いた。そして一度頭を下げ、玄関を出た。

 

どこにいる、ユ・ウンス。

そう考えながら、足が勝手に動くのは何故だろう。
迷うことも止まることもなく、近場の公園を目指す。
理由はただ一つ。あそこはこの辺りで一番の高台で、空が良く見えるからだ。

長い階段を上り切った天辺のその公園のジャングルジムの一番上。
子供のように、彼女は空を見ている。吹く風に長い髪を揺らして。

「ユ・ウンスさん」
「あれ、キム・テウさん?」
突然の俺の声に、ジャングルジムの上の彼女が目を丸くする。
そんな風にぼおっと空を見てる場合なのか?
「退職したと」
「ああ、オンマが連絡したの?」
「ええ」
「うん、そうよ。仕事は辞めた」
「理由を聞いても良いですか」

俺の問いかけにジャングルジムの上の彼女はあはは、と笑った。
「駄目って言ったら放っといてくれる?」
そう言って地面から見上げる俺を見下ろす。
「放っておけないくせに」

そうだ、放っておけない。
それでもそう言われて、素直にはいとは言えない。
「それは」
「分かってる、あなたのことは」
「ユ・ウンスさん」
「ねえ」

突然そう呼びかけられて、声が途切れる。
「・・・はい」
「何で、こんなに時間がかかったの」
「・・・はい?」

問いかけの意味が分からない。
ユ・ウンスはジャングルジムの上からとてつもなく優しい目で俺を見つめ、静かにそう聞いた。
今まで会いに行くたび、きつい眼差しで、きつい声で拒否され続けたのが、まるで嘘のようだ。

「どうして会いに来るまで、こんなに時間がかかったの?」
「・・・意味もなく、来るわけにも」
「意味って?」
「もう話したくないでしょう。不起訴で終わっていますから」
「事件の関係者じゃないから、逢いにくる必要もなくなったの?」
「それは」
「私に、逢いたくなかったの?」

空を背景に、影のように切り取られた小さな姿。
見上げた姿は逆光で、表情が伺えない。
笑っているのか泣いているのか。声の震えだけでは判断できない。

「逢いたかったくせに」

何なんだ。
そう言われれば、本当にずっとずっと長い間、会いたかったような気がしてくるじゃないか。
気が遠くなるほど長い間逢いたかったような気が、それ以外考えられなかったような気がする。

「ユさんは、精神科医ではないですよね」
確か整形外科医、それ以前は胸部外科を専攻していたはずだ。
「違うわよ」
そう言って首を振る彼女。
「何で?」
「・・・いえ」
「私に言われると、そんな気がするんでしょ」
「まあ」
「それはね」

俺を見降ろしていた目をまた空に投げ上げて、ユ・ウンスは息を吐く。
「あなたを、知ってるからよ」

何なんだ。
そう言われれば、本当にずっとずっと長い間、知っているような気がしてくるじゃないか。
気が遠くなるほどお互いを知っているような気が、誰よりも深く知っているような気がする。

「だからもういいの。知ってるから」
そう呟く小さな声に、俺は頷くことも否定することも出来ないまま、ただ空を背景にした彼女を見上げていた。

「下りよっかな」
そう言って彼女がジャングルジムの上から手を伸ばす。
その手に自然と吸い寄せられて、俺は手を握り返す。

小さな手を強く握って、ゆっくりした足取りを確かめて。
落ちるなよ、とだけ思いながら、その危なっかしいハイヒールがジャングルジムの枠に掛かるのを注視する。

この人なら足を滑らせてもおかしくない。
何も知らないのに、ただそう思う。

その瞬間、枠に掛け損ねたヒールで揺れた体を抱き留める。
「絶対こうなると」
そう言った俺に、腕の中から彼女は笑いながら聞いた。
「何でわかるの」
この腕の中に、この人がこんなに自然にいるのは何故だ。
他の何も、他の誰の事も考えられない程この人に吸い寄せられるのは、一体何故なんだ。

「キム・テウさん」
「・・・はい」
至近距離の腕の中でユ・ウンスが俺を見つめる。 そして笑って囁いた。

「友達になろう、事件とか関係なく。なってくれる?
そして私の事を知ってくれる?被害者じゃなく」

そのユ・ウンスの提案に、俺は頷いた。
「良いですね、まずは飲みにでも行きましょう。
休職中の元医者と、もうすぐ退職する刑事で。どうですか?」

そう言って笑うと、俺の新しい友達は大きく笑った。
まるで花が咲いたような笑顔で。
「私、強いわよ。でも仕事ないから、テウさんのおごりね」

 

 

 

 

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12 件のコメント

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    さらん 様
    こんばんは。
    毎回思うのですが、これだけのお話を書かれて、下調べも完璧にやって、いつ寝てるのでしょうか(^_^;)
    二人が急接近しましたが、ここからまだ時間が必要なんですね。
    お互いが寄り添って乗り越えるのか、別々に辛い出来事を忘れる努力をするのか。
    続きが気になります。
    まだ、ウンスの心の傷が痛すぎて頑張って。
    とは、言えないけど………
    今、そこにいることにきっと意味があると思いたい。
    そうそう。
    リク話はそれぞれ独立した@さらん設定。
    という事が頭から抜けておりました
    !Σ(×_×;)!
    勘違いコメごめんなさいっ
    もう一つ(’-’*)♪
    キム・テウさんのイメージですが、三人から絞れず………
    ん~~でも、キム・ナムギルさんにして読もうかな♪

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    さらんさん、今夜も夢中で読ませて頂きました。
    お忙しい中を、毎回、コメントへの素敵なお返事もありがとうございます❤
    ウンスは、はっきりと気付いたのですね?
    けれど、お母さんが心配しているように、彼女の心は大丈夫なのでしょうか。
    笑顔の裏に、大きな暗闇を隠してはいないでしょうか。
    でも、さらんさん。
    現実には、きっと誰もが心の中に何かしらの闇を抱えて生きているのでしょうね。
    その闇に飲みこまれないように、ほんの少しでも前に足を進めているから、どうにか自分を保っていられるのかもしれません。
    ああ…次回のお話が待ち遠しい(>_<)!
    さらんさん、週末まであと二日。
    お互い、頑張りましょうね❤

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    ウンス諦めたのかな。もうどうしようもない、自分が死なない限り会えないって想いを断ち切ったのかな。
    お母さんはさすがにわかるのですね。毎日見つめるお母さんも辛いでしょう。
    そしてキムさん、もう遺伝子のなかに組み込まれているかのようですね。
    彼の腕のなかにウンスがいることが自然に思えてしまう不自然さ。
    まったく納得ができないけれど見つめてしまう想いをかけてしまう自身の心。
    どうなるのかとても気になります。
    続きをお待ちしています。

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    さらんさんこんにちは♪
    今回のリク話しは切なすぎて
    なかなかコメが書けませんでした。
    ここへきて少し希望が持てたような
    気がします。
    ウンスには頑張ってほしいです。
    いつもお話ありがとうございます。

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    テウの中にウンスはヨンを見つけたのかな。
    それがこれからの生きる希望に変わってくれたらいいなと思います。
    テウさんも何やら不思議な感覚を感じてる様ですね。
    これからの二人どんな関係になっていくのかしら?気になります。

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    >くるくるしなもんさん
    おはようございます❤コメありがとうございます
    記憶はないですね、この様子では・・・
    うう、残念。
    でも良いんです、いちから出逢って、二人で積み重ねるものも大切( ´艸`)
    という事に、しておきます❤

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    >mamachanさん
    おはようございます❤コメありがとうございます
    ふふふー、キム・ナムギル氏ですか!
    デコが若干心配ではありますが(失礼!)私も好きです❤
    ナムギル氏で、ぜひお楽しみください( ´艸`)

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    >muuさん
    おはようございます❤コメありがとうございます
    いよいよ金曜の朝、muuさまもあと一日ですね❤
    今はまだ、バランスが悪いですね…
    そしてどうなっていくのかも見えず。
    辛い時期は誰にでもあるし、無理は駄目かなと。
    ウンスの歩く速度に合わせます。テウもそうしてるみたいですし( ´艸`)

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    >あみいさん
    おはようございます❤コメありがとうございます
    何となく怖いのは、二人の自然な時間が
    書きながら、積み重なっていくことです。
    うーん。書き手側のみの怖さかもしれませんが・・・
    しかしヨン不在のまま、もう少しだけお付き合い頂けると嬉しいです(*v.v)。

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    >愛知のひとみさん
    おはようございます❤コメありがとうございます
    私も書きながら号泣した(!)3話までを過ぎ、
    今はヨンの不在と共に、二人の時間が自然に積み上げられていくことに
    ちょっとばかりの恐怖を感じます。
    もう少しだけ、お付き合い頂けれと嬉しいですm(_ _ )m

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    PASS:
    >ままちゃんさん
    おはようございます❤コメありがとうございます
    ウンスは感じましたが、当のテウはそれはなく。
    人間は退化していくのかなあ、と思ったりします。
    それでも二人の時間は積み重なります。
    ヨン不在ですが、もう少しだけお付き合い頂けると嬉しいです・・・(*v.v)。

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