2014-15 リクエスト | 輪廻・3

 

 

夜の病院の廊下で、ユン先輩は俺に聞いた。
「どういうことなんだ」
「分かりません」
「誘拐の精神的ショックか、フラッシュバックか何かか?」
「かもしれません」

車が奉恩寺の前に止まった瞬間、脱兎のごとく飛び出したユ・ウンス。
慌てて追いかけ、仏像の裏で座り込む姿を見つけた。
拳を血だらけにして、仏像を叩いていた。
興奮状態で暴れる彼女をようやく車に乗せ、病院へと逆戻りした。
そこからユン先輩に連絡し、緊急治療室で合流した。

「お待たせしました」
緊急治療室の医者が、そう言ってこちらに歩いて来た。
「極度の興奮状態のため、鎮静剤を投与しました。外傷は指関節の擦過と捻挫、出血です。
硬いものを相当強く叩きましたか」
「ええ」
その医者の声に、俺は頷いた。
「そうですか。骨折ではありませんが、全治3週間です。興奮状態も心配ですし、しばらく入院してもらえますか?」
「ご家族に連絡を取ってみます」
ユン先輩の声に、医者は頷いた。

「俺のせいです」
医者が去った後にそう言うと、先輩が振り返った。
「何を言ってるんだ」
「車から逃げた時、すぐ確保すれば」
「容疑者でもないのに手錠は掛けられん。車から逃げられれば追いかける手立てもないさ。自分を責めるな」
「いえ、ロックしておけば。少なくとも自分が付き添って、安全に降りられるところまで」
「今なら何とでも言える。良いか、容疑者じゃないんだ。行きたいところがある場合、警察にも止める権利はない」
「でも」
「テウ、どうしようもない。無事で良かった。だろう」
「・・・・・・」
「ご家族に連絡してくる」

先輩はそう言って廊下の隅、電話使用区域へと歩いて行く。

雨の中。
土砂降りの冷たい雨の中、腕の中でもがきながら、泣き叫んでいたユ・ウンス。

ヨンア、ヨンアと絶叫していた。

よくある誘拐事件とは、最初から少し違っていた。
まず、警察の包囲する目の前で起きた立て籠もり事件。

容疑者は指を触れる事もなく、COEXの全面ガラスを一枚残らずにぶち割った。
現場には首を鋭利な刃物で切られ、手術された被害者男性。
誘拐されたのは、江南の女性整形外科医。
怨恨の線を洗ったが、それらしき人間関係は一切なし。
自宅を捜索しても手掛かりはなかった。

防犯ビデオに残っていたのは、まるでTVの時代劇で見るような鎧を着けた容疑者が、長い刀を振り回す映像。
守衛室で守衛を殴り倒し、セールスフロアで被害者男性を斬りつける映像。

ユ・ウンスがその場で応急手術を行う様子。
マスコミに漏れれば、飛びつきそうなものばかりだ。
身代金の要求もなく、掻き消えた容疑者の男とユ・ウンス。
しかし誘拐された数時間後、ユ・ウンスが 一度だけ、勤務先の病院に単身で現れている。

そして1週間後の今日突然戻り、当時足取りの消えた奉恩寺で雨の中泣き叫んでいた彼女。
何が何だか、全く分からない。 1つだけわかっているのは。

緊急治療室の廊下に座り込み、カーテン越しに、室内のベッドで眠っているだろうユ・ウンスの姿をぼんやりと探す。

俺があの時目を離さなければ、彼女はあんな風に泣かずに済んだかもしれない。
怪我しなくても済んだかもしれない、 ただそれだけだ。
「テウ」
戻ってきた先輩が、座り込んだままの俺に声を掛けた。
「・・・はい」
「忘れろよ、良いな」
「・・・はい」
ユン先輩の声に頷き、廊下から腰を上げる。いつまでも考えて刑事など勤まらない。
「行こう、ユ・ウンスに何かあれば病院から連絡が来る」
「はい」

先輩に背を叩かれ、立ち去る瞬間に一度だけ、肩越しに緊急治療室の中を覗き込む。
ユ・ウンスの姿はカーテンの向こう、その気配すら感じることはできなかった。

 

お見舞いは、たくさん来た。
マスコミのニュースで知ったと言った人がいた。
美人整形外科医だって言われてた、良かったじゃない。
そんな風に、無理やり私を笑わせようとした。
部屋に溢れる花、飲み物、お見舞いの品々。

朝になり、夜が来て、また朝になり、夜が来て。

ヨンア、あなただけがいない。

病院の冷たいベッドの上、空しか見えない窓。
そこに向かって手を伸ばす。

「そこに、いる?」

此処におります。
ねえ、そう聞かせて。あの声で、私を呼んでよ。

朝になり、夜が来て。
「ウンスヤ、お願いだから食べて」
病室のベッドの横、差し出されたスプーンに首を振る。
ごめんねオンマ、食べたくないの。

朝になり、夜が来て。
「外に出ない?外出許可取るわよ」
病室の入り口ドアの脇、お見舞いの女友達に首を振る。
ごめんね、どこにも行きたくない。

朝になり、夜が来て。
「少しだけでも、捜査にご協力を」
病室の入り口の前、佇んだ二人の刑事さんに首を振る。
すみません、話すことありません。

怪我は治っているはず。何故ここから出られないの?
「精神的なショックが大きかったみたい。もう少し心が元気になるまで、入院しなさいって」
そんな時間ないのよ、やらなきゃいけない事があるの。
「それなら、パソコン持ってくるわ。もうキーボード操作も問題なさそうじゃない。
手はほとんど治ったんでしょ?」

そうだ、パソコン。それを見れば分かるかもしれない。
あの時がいつだったのか、私はどこにいたのか、いつ天門は開いたのか、完全じゃなくても。
ああ、何故考えなかったの、そこまで呆けてたなんて私らしくない。全然ダメ。
分かることをどんどん調べて、そしてあの人のところに戻る手がかりをどうにか手に入れなきゃ。

そうよ。ウォルフ黒点相対数、高麗時代あんなに頭を痛めたけど今ならパソコンで簡単に割り出せるじゃない!
逢えないならせめて、帰る手立てを。そして天門が開くまで待つ。
たとえ何年でも、何十年でも。
待たせてごめんね、ヨンア。お願いだから、待ってて。
そこにいてくれるよね?必ず待っててくれるよね?

急に元気になった私を見て、オンマはようやく笑って
「すぐに持ってくるわ」
そう言って、部屋を出て行った。

ヨンア、ねえヨンア。 帰れるかもしれない。
もうすぐ会えるかもしれない。 お願い、待ってて。待っててね。

パソコンをネットに接続して、打ち込んだ検索キーワード。
「최영」

現代の科学は、0.03秒であなたの消息を届けてくれる。

「チェ・ヨン(崔 瑩) 崔瑩(チェ ヨン、- 1356年没)は高麗末期の重鎮、名将」

─── え?

背筋を、冷たい何かが駆けあがる。そんなはずない、絶対にそんなはずはない。
だってあなたはあの李 成桂が1388年に威化島回軍の一件で。

待って、私キーワード入れ間違えた?

Choe Yeong チェ・ヨン、崔瑩、どれを読んでも全部同じ。
恭愍王、高麗、紅巾の乱、倭寇。 どのキーワードで探しても、全部同じ。

お父さまの遺した金言まで書かれている。
「黄金を石ころのように思う人間となれ」
なのにあなたが。

私は、パソコンを回線から引き抜いた。
頭の上に降りあげて、床に向かって思いきり叩きつけた。
腕に刺さってた点滴のチューブを千切るみたいに抜いた。
点滴のスタンドが引っ張った勢いで、すごい音で倒れた。
そのままベッドを飛び出した。

病室のドアを駆け抜ける時、誰かにぶつかった。

「ユ・ウンスさん!」

その声を後ろに、病室の近くのエレベータ脇、非常階段を駆け上る。

 

 

 

 

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