2014-15 リクエスト | 輪廻・8

 

 

「テウさん、あれやろうあれ」
「何ですか」
「真実ゲーム」
「二人でですか?」
「そうよー、せっかく友達になれたんだから。お互いの事、もっと知らなきゃ。ね?」
「・・・はあ」
「黙秘権ありよ。ただし、でこピン」
「でこピンですか・・・」

その声に黙り込む。俺の方が有利だろう、それは。
テーブルの縁を指で弾いて見せると、彼女はぐっと息を呑み
「ほっぺにキスにしよっか」
そう言って、首を振った。

居酒屋で膝を突き合わせて飲む羽目になるとは思わなかった。
ユ・ウンス。この人の雰囲気なら狎鴎亭か江南のバーで静かに飲むと思っていたが、誘われたのは乙支路の居酒屋。
それもテーブルの上におでんのアルミ鍋が据え置かれるような。
喰った分だけ串をコップに挿して最後に会計するような、そんな店だ。
確かに俺には落ち着く雰囲気だが。

俺がじっと見ると、この人はその目で何?と問い返す。
「洒落た店が好きだと思っていたから、意外で」
正直にそう言うと、この人はにこにこ笑いながら
「そういうのは駄目よねー、イメージ先行。私はこういう店好きよ。気取ってなくていいじゃない。
あ、次は民俗居酒屋に行こうね。壁が黄土でできてるようなとこ」
「ああ、メニューがでかい杓文字に筆で書いてるようなところですね」
俺の言葉に、彼女が吹きだした。
「そうそう、そういうとこ」
「次って、今夜ですか?」
「ううん、次出掛ける時。今夜はここで飲み明かすからね」
「次の予約か。気が早いですね」
「いやだった?」
「いや、そうじゃなく」

俺は考えるともなく考える。こういうのが悪い癖だ。
言葉や行動の裏を読む、捜査上の心理トレーニングの一つでもある。

ユ・ウンスが急に俺に接近した理由。
何だろう。俺の眉の傷を見つけて以来、彼女のガードが明らかに落ちた。
COEX前で涙ぐむ姿まで見せた。あの気の強いユ・ウンスが。

「また考えてる」
その声に、顔を上げる。
「すいません」

ユ・ウンスはその声に膨れて見せる。次の瞬間頬を緩ませて
「興味があるな、その頭の中。テウさん頭良さそうだしね」
「ああ、俺、数値はいいんですよほんとに」
「自分で言うところが馬鹿っぽいけど」
「馬鹿っぽいですが結構本気です。8歳で家族でアメリカに移住したんですけど。俺と、両親と」

俺が話を始めると、ユ・ウンスはうんうんと聞いている。
「17になる年でステップで高校卒業して、大学に行きました。
はたちで大学卒業してロースクールにするか、韓国戻るかで考えて」
「あらら、ライス長官並ね」
「いや、さすがにそれはないですが」
その素っ頓狂な声に笑いながら首を振る。

「結局こっちに戻って来て祖父母と住んで。法科大学院の適性検査の後テスト勧められて。結果IQが155ですから」
「ああ、適性試験で類似問題が出たの?」
「ええ」
「異常数値ね。MENSAは?」
「いろいろ言われましたけど」
「で、そのまま弁護士?」
「資格だけです。並行して警察大学」
「そういうやり方もあるの?」
「ええ。そのまま捜査研修院に」
「超キャリアね」
「いや、アメリカでめちゃくちゃ人種差別にあいましたから。
どっちも欲しかったんですよ。法の番人も、執行者の権利も」
「いずれ戻るの?ご両親は?」
「両親はまだアメリカです。自営業ですし。戻るかどうかは決めていませんが」

ユ・ウンスは笑いながら頷いた。
何故だろう、目の前のその笑顔を見ると安心する。
「ユ・ウンスさんは」
「ちょっと待って」
「は」
急に目の前に出された掌で、俺の言葉は止められた。
「何で?」
「え?」
「何で私は、未だにユ・ウンスさんなの?」
「・・・あなたの御名前ですから」
「私はテウさんなのに?」

ああ、呼び方が堅苦しいってわけか。
「じゃあ」
俺が言うと、彼女がこくこく頷く。
「ユさん」
「わざとでしょ、それ」
笑って頷くと、彼女は首を振る。

「ウンスよ」
ウンス、口の中でその音を転がしてみる。
「ウンス」
「そうそう、別に他の呼び方でもいいわよー?クリスタルでも、エリザベスでも」

テーブルの上のトンドン酒を杓子で掬い、茶碗へ注ぎながら彼女がこっちを見て笑う。
この人は酒と飯さえあれば幸せなタイプらしい。
良い事だ。生命力の根源だからな、食欲は。
「ウンスさんは、美味そうに飲みますね」
「まだ気に入らないけど、今日は許すわ。ただせめて敬語は止めてよ」
「はあ」
「急に言われても無理ね。そのうち」
「そのうちですね」
「だから、敬語は」
「ああ、分かりました。そのうち」

俺の相槌に彼女は笑って、テーブルのおでん鍋から長いおでん串を一本取り出し先を噛んだ。
「ん」
「美味いですか?」
「熱いけど」
差し出されたおでんに、俺は躊躇いなく齧りついた。
初めて食事を共にしたとは思えないほど、ごく自然に。
まるで彼女の食べるものを毒見しなければと思うように。
「ウンスさんは」
「うん?」
「高校から、そのまま医大ですか?」
「そうよ、テウ程賢くなかったから、結構大変だったのよ」

彼女はそう言って、自分の目の周りに丸くした指を当てて
「こーんなメガネかけたガリ勉だった。髪も三つ編みでね。勉強以外何にもしなかったし、何も知らなかった」
「それは普通でしょう、医大なら」
「テウに言われると、納得できないけど」
「じゃあ、学生時代も彼氏はなしですか?」
何の気なしに訊くと、彼女は黙って俺を見た。
そして次に、自分のほっぺたを指さした。

「何ですか」
「思い出したくない過去に触れられたから、黙秘権」
そう言って
「ほっぺにキスでいいわよ」
その声に噴きだして、俺は首を振る。
「1回目なので、見逃します」

恋愛関係に触れられたくないのか。
そう思いながら、目の前の彼女を見つめる。
表情にも挙動にも、特に大きな変化はない。
茶碗を持ち、酒を口に運んでいるだけだ。

いや、違う。茶碗を持つ手がかすかに揺れている。

過去の恋愛を洗い直す必要があるか。考えながら息を吐く。
そこまでする必要があるのか、もうすぐ退職する立場で。
もういい加減、忘れさせてやった方がいいんじゃないか。

鎧の男。防犯カメラの向こうで刀を振るう慣れた様子。
ガラスから離れていながら、窓ガラスを割ったあの姿。

思い出させない方が良いのだろうか。
それは俺の義務に反することはないのか。

分からない。

 

「はー、美味しかった!」
「・・・良かったですね」
道の端から車道へはみ出しそうにふらふら歩く彼女の腕を軽く支えながら、ゆっくり歩調を合わせる。
「ただ、歩道を歩きましょう。危ないんで」
「歩行者優先でしょう!」
「いや、それはあくまで歩道のことで、車道は歩くこと自体」
「ああああ、聞きたくなーい!刑事さんのそういう講釈」
「ユ・ウンスさん」

俺がその腕を少し強く引き歩道の中央へ寄ると、彼女はまたふらふらと車道側へと寄って行く。

「そうやって、いつまでもフルネームで呼ぶし!」
「分かった、分かりましたウンスさん。まずは歩道に」

結構な交通量だ。
繁華街の中の細い道路で、走行車両はスピードこそそれほど出していないが、車の往来は絶え間なく続く。
今も前方から一台の車が接近している。
彼女の目にも、それは十分視認できるはずだ。

「轢死体って嫌よね?」
突然言われ、俺は彼女を見下ろす。
「は?」
「やっぱり、綺麗なのがいいよね」
「・・・ユ・ウンスさん」

この人は何も変わっちゃいない。今の一言でよく分かった。

その腕を強く引き、無理に小さい体を歩道へ寄せた。
もう深夜近い。
閉店した路面の雑貨屋の店先の入り口の階段に、引き寄せた勢いのまま、ふらふら歩いた彼女は腰を下ろした。

その前に立ち、腰を下ろした彼女を睨み付ける。

「何を考えてる」
「何も考えてない、ただの酔っ払いだもーん」
「嘘をつけ」
「ほんとよ」

そう言って彼女は顔を上げた。
走る車のヘッドライトで夜の中、俺を見上げる彼女の目が光る。
「何?私が自殺でも考えてそうだった?」
「ふざけるなよ?」
俺は彼女に向かって吐き捨てた。
「冗談でも言うな、気分が悪い。知ってるはずだ。医者なんだろ?
生きたくても生きられない人間がいる事、よく知ってるだろ?」
「あなた刑事なんでしょ?ある日突然愛する人間と無理矢理に引き離された人間がどれほど辛いか、よく判ってるでしょ?」

堂々巡りだ。埒が開かない。

「だったら言えよ、聞くしかできないけど。何が辛いか言えよ、そうでなければ何もできない」
彼女は頑なに首を振る。
「言えばどうにかなるの?あなたに何か出来るの?」

傷はまだ癒えていない。まだ出血している。
ようやく瘡蓋ができたかと思うとそれを引っ掻くような、剥がすような出来事がまた起きる。
それともわざとか?わざと忘れないように、その瘡蓋を自分の指で引っ掻いているのか?
自責の念か。それなら理由は何だ。
楽しい時間も幸せな笑いも、予めその後の涙のために用意しているように見える。

「恋人がいたんです」

気が付くと、俺は言っていた。

「俺の行き過ぎた捜査のせいで、容疑者に刺されて死にました」

言いながら、彼女の隣に腰を下ろした。

「薄暗い路地裏で、強い雨の夜、一人きりで。
雨の夜に犯行に及んだのは、恐らく目撃者を極力少なくするため。
出血や指紋の証拠隠滅を図るため、犯行時の物音が雨音に紛れるからです。
そこまで分かるのに、救えなかった。
信じてもらうことも、手を引かせることも出来なかった」

彼女は何も言わず、横に腰掛けた俺を見た。

「結局そんなもんです。犯行に及ぶ行動パターンも心理状態も判っても、防げなかった。
愛する人間と無理矢理引き離される痛みは分かります。俺自身がそうでしたから」

こちらを見つめるユ・ウンスの目へと視線を移す。

「言ってもどうにもなりません。何も出来ない。言う通りです、あなたが乗り越えるしかない」

それでも、何かしたいと思う。
この気持ちはどこから生まれているんだ。

「出過ぎました」
小さく頭を下げて、店先の階段から腰を上げる。
「送ります、行きましょう」
「テウさん」
立ち上がった俺に、座ったままの彼女が呼びかけた。

「はい」
「あなたは強いわ。あの人より、もしかしたら」
その声に俺は眉を顰めた。
あの人とは誰だ。

「問題を正面から見てる。逃げたりしてない。寝太郎になったりしなかった?」
「・・・は?」
「ううん、何でもない。良かったと思っただけ。今回は辛い経験を乗り越えてるんだなって、安心したの。
寝て逃げたり、心を閉ざしたりしてないんだなって」
「何の事ですか」

彼女の言う事が本当に判らない時がある。
心理学、特に犯罪に係る人間心理についてはそれなりに勉強したつもりだったが、全く読めない。

「あなたには分からないかもね」
「ええ、正直言って、全く」
座ったまま見上げている彼女の目が、三日月形に笑んだ。
「いいのよ、それで。今回は乗り越えてくれただけで」
そう言って立ち上がった彼女の腕が、俺の胴に回る。
回って抱き締め、その両手の輪が狭まった。

「ありがとう」

夜の歩道、俺は酔っ払いの彼女に抱き締められた。
抱き締めた俺の胸に頬を当て、彼女は大きく息をついた。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。ご協力頂けると嬉しいです❤

今日もクリックありがとうございます。
にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です