2014-15 リクエスト ｜ 邂逅・9

「チャン先生」

目の前の華侘に掛けられた声に、顔を上げる。
「はい」
「覚えておきなさい。人間の体は一つの固まりでなく、薄い膜の層で出来ている」
そう言いながら華侘は迷いなく一直線に、医仙の腹を開く。

まっすぐな刃物の跡にぷつりと湧き上がる赤い血の珠が重なり合い、小さな川になる。
その血の川を、立ち合いの薬員が拭う。

医仙から流れ出る赤、その色に眩暈を起こしそうになる。
こんな風にあなたの体を見る目、ましてや刻むこの手。
大護軍とは別の意味で、そんな私もまた業深い。

私の思惑などまるで気づかぬ様子で、華侘が静かに言葉を重ねる。
「表皮、真皮、皮下脂肪、この厚みは個体差がある。人によってまちまちだ。
的確に見極めて開く事。浅すぎれば当然傷には届かず、深すぎれば不要な部分を傷つける。
その下に内臓。場所によっては勿論骨がある。今回は･･･ほらここだ。出血が見えますか」

華侘はそう言いながら、開いた医仙の腹を覗く。
そして開いた傷口を開ける箆を、私が両手で押さえているのを見て
「先生、縫ってみなさい」
そうおっしゃると私の抑える箆にご自身の手を伸ばし、交代するよう私の手から持ち替える。

「華侘、私は」
そこまでの勇気を振るうには心の準備を要する。私は微かに首を振る。
この方の腹の中を覗き、臓腑に手を触れる。
医官にはあるまじきことだろう。それでも平然とそうする自信はない。
その心の揺れで一歩間違え何か起これば、私とて正気ではいられない。

「いつも私がいるとは限らない。そしてウンスがこんな風になる事もある。
あなた一人でも、基本的な事ができるようにしておきなさい。
開いて見たことは少なくとも、人体構造は熟知しているはずだ」

その言葉に私は華侘の手へと箆の押さえを託し、糸を通した針をこの手で持つ。
そうだ。躊躇は許されない。何かあれば私が護る、少なくともあなたのお体は。

「腸は襞が多い上に蠕動する。丁寧に、傷の動きを考えて」
華侘は説明を加えつつ箆を開けて抑え、油灯や蝋燭の灯りをありったけ、傷口が見やすいように寄せる。

灯の許に開いた傷口、揺れる焔の中に晒された臓腑。

「表面部分にはリンパ節と血管。動脈を絶対に傷つけてはいけない。
その下は漿膜、筋層、続いて粘膜下層、そして粘膜。その下にようやく腸内部。
言った通りでしょう。全て膜で出来ている」

華侘は内部を指していく。
「何処まで傷ついているか、深さを判断して的確に縫う。
深くても浅くても、広くても狭くても負担がかかる。
まず傷の中央を。次に左右対称に。多く縫えば良いわけでもない。
最低限の縫目で、最適な幅で」

手が震えぬよう息を止め、医仙の手つきを思い出す。
隊長の腹を開き、臓腑を縫ったあの手捌き。
たい、かっと。一針ずつ、そう仰りながら。

私の額には、いつの間にか汗が浮かんでいたのだろう。
あの時の、医仙のように。薬員がそれを拭ってくれる。

目を見開き、全ての神経を傷と針先に注いだまま、一針ずつ縫い合わせて行く。
一針ずつ、この方の命を此処に呼び戻す為に。

戻って来なさい、医仙。

******

ここを知ってる。ここであなたに逢ったことがある。
あの時だ。あの静かで、きらきらして、温かい場所。

なのに、なぜ今はこんなに寒いの？なぜこんなに暗いの？

あの時のあの場所に、あなたが立ってる。
大きな背を丸めるように俯いて。肩を落として。

ふとあなたが目を上げる。
私を見て、大きく目を開く。私は急いでそこへ走る。

「･･･夢か」
私はあなたの声に、大きく首を振る。
「夢なんかじゃない。私はここよ。あなたは大丈夫？怪我は？どこも痛くない？辛いところは？」

あなたの口がもの言いたげに動く。でも洩れるのは、大きな息だけ。
そしてその目だけが、赤くなる。目の縁がみるみる赤く腫れて潤む。
私はあなたの頬を包む。そして両方の親指であなたの目の下を撫でる。
そのまま瞼を、睫毛を、鼻を、唇を、眉を。

あなたの息が切れる。何かを我慢するみたいに。
私の目を見たまま、あなたの瞳から落ちた一滴の温かい滴。
頬を包んだ私の手に、筋を引いて静かに滑り落ちて行く。

雨みたいに降り注がないからこそ、一滴は熱い。
口をつければきっと、心を掴まれるくらい塩辛い。

「痛い」
ただそう言って。
「辛い」
あなたは黒い瞳を閉じる。
「お前がいない」

わたしはここにいる。いつもいっしょ。

「頼むウンスヤ。もう此処で二度と会えずとも良い。だから戻って来てくれ」
分かった、きっと戻るから待っててね。
そう言ったはずなのに、上手く口が回らない気がする。
私は笑って頷いた。伝わったみたい。

「必ず戻って来い」

そう言って、あなたの声が遠くなる。
最後にあなたは、どうにか微笑んだ。

真っ赤な目で、強がってる子供みたいな笑顔で。

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