2014-15 リクエスト | 輪廻・12

 

 

ウンスの研究所の前に車を停める。
ダッシュボードの時計は19:50を示し、緑色に発光している。

スーツの内ポケットに入れるには少し嵩張りすぎるリングケースをもう一度上から押さえて確かめる。

ウンスはすでに研究所の建物の前に立って、 近付く車に気付くと、にこにこしながら手を振った。
軽くホーンを鳴らし速度を落とすと、彼女が小走りに近寄る。
「夜会うの久々かも。どうしたの?明日お休みなの?」
そう言って寄ってきた彼女を見つめながら車を下りてその姿へと大きく歩を進め、そのまま抱き締めた。
「・・・っ苦しいよ?」
腕の中で、そう息を弾ませる小さな体を。
「うん、そうだろ。加減してないから」

その顔を胸にすっぽり隠し、周囲にさりげなく目を配る。
尾行の気配は今はない。昼間だけなのか?
それとも既に、得たかった確証を得たのか?
もしくは俺が気づいたと知ったのか?

第一、誘拐事件の純然たる被害者である彼女の、何を調べる必要がある。

今、俺が動くわけには行かない。
下手に動き、事情を知らない彼女を巻き込むわけには行かない。
事件関与の可能性があれば、個人的な接触を禁じられるはずだ。
その命令も書面も警告も一切届いていない。

今しかない、この一件が大きく動きだす前に。
「ウンスヤ、飯、行こう」
「うん!」
「何が食べたい?」
「中華も良いな、でもイタリアンも・・・ああ、でもお寿司も」
「ごま油か、オリーブオイルか、醤油かだけでも決めてくれ」
「じゃあごま油!」

そういってやって来た中華料理店で、包子を注文するウンス。
「ウンスヤ、それ饅頭だろ?ごま油は?」
尋ねる俺に、熱々の湯気を立てる卓上の蒸籠を回転卓の上でこちらへくるくる回しながら、彼女が笑う。
「食べたくなっちゃった。おいしいよ」

そう言ってにこにこ、大きい饅頭を手に取る美味そうな笑顔を見ているだけで、胸も腹もいっぱいだ。

でも今は、まずやらなければいけない事がある。
知っておかなければいけない事、言わなくてはならない事が。

デザートのマンゴーのプリンを食べながら、彼女は大きく息をつく。
「テウとご飯食べると美味しい」
「いつも美味そうだから、見てて楽しい」
「そうよ、まずは食欲。生きる源よ」
「その考え方も好きだ」
「・・・今日、なんか変だね。どうしたの?」
「ウンスヤ」

言われると思っていた。変だね。
明らかに普段と違う俺の態度に。

「この後、一緒に来てほしいところがあるんだ」
「いいわよ?どこ?」
そう言い、笑顔で頷く彼女を見ると思い出す。

あの土砂降りの日。掌を血だらけにして俺の腕を振り払い、絶叫していた彼女。
ヨンア、ヨンアと呼ぶ声を、まだ覚えている。

もしもまた、あれほど泣かせるとしたら。
あの時のことを、フラッシュバックさせてしまったら。

それでも俺が全て受け止めるから、だから。
どれ程時間がかかっても、必ずいつも傍にいるから。
その手を、絶対に離したりはしないと約束するから。

傍にいたい、もう愛する人間を失いたくない。
お前を愛してる、ユ・ウンス。
一生一緒にいたい。俺がお前を護りたい。
だけどそれを伝えるのは、この問題がクリアになってからだ。
そうでなければこの言葉は、お前から情報を聞きだすためのディールだと思われてしまうだろう。

「終わった?」
「うん、ご馳走さまでした」
「よし、じゃあ付き合ってくれ」
「勿論」
そう言って立ち上がる彼女に、心の中で頭を下げる。

 

傷つけるかもしれない、ウンス。
それでも俺は、此処にいるから。
お前が呼べば、いつだって答えるから。

走り始めて数分で見えて来た景色に、助手席のウンスの横顔のラインが堅くなる。
首を真直ぐ伸ばし、額に発汗。呼吸数、瞬きの増加。
夜の車内では見えないが恐らく立毛、瞳孔の拡散もあるだろう。
典型的なストレス反応だ。

「・・・テウ、どこに行くの」
「奉恩寺」
「どうして?」
捜査車両ではなく自家用車内に、盗聴器が仕掛けられているとは今のところは考えにくい。
それでも、念には念を入れる。

「お前と、初めて会った場所だから」
「だったら病院でいいじゃない。あそこは嫌」
頼む、ウンス。
全てはまだ言えない、だけど聞かなきゃいけない。
「一回だけ、俺のわがままを聞いてほしい。頼む」
ウンスは何も答えず、助手席から流れる窓の外の夜景をその目に映したまま、息を吐いた。

 

車を停めて降り、夜の奉恩寺の境内を二人で歩く。

「あの日、お前は車から飛び降りた。俺が追いついた時、雨の中仏像の所で叫んでた」
ウンスは何も言わない。ただ俺を見上げて頷いた。
「ヨンア、そう言っていた。間違いないよな?」
その言葉が俺の口から出た瞬間、とても悲しそうに目を閉じて、彼女の足が止まった。

人気のない境内、白い街灯が石畳を照らす。
その街灯の反射か、それとも違うのか。
彼女の顔色は、透き通るように蒼白い。

「間違いない」
「誰か、聞いても良いか?」
睫毛が震え、彼女は唇を真っ直ぐ噛み締めた。
閉じたその目から、涙が頬に筋を引いて落ちた。

それを見て、胸が詰まるほど後悔する。
お前にこんな顔をさせているのは俺だ。
俺が悪い。ここまでしなくても良いのに。
他に何か護る道はあるかもしれないのに。
でも時間がない。全容を把握しておかなければ護りたい時に思うように動けない。
ごめんな、ウンス。本当にごめん。

「私の、愛する人。誰よりも何よりも大切な人」
「・・・そうか」
ウンスの答も予想はしていた。それでこそ符合する。
今俺は4年前のパズルのばらばらだったピースを、こうして1つずつシートに埋め込んで行く。

彼女は気付いているだろうか、その言葉が現在形である事に。
愛して「いた」ではなく、愛して「いる」と言ったことに。

「何故、仏像の前で叫んでいた」
向かい合ったままそう尋ねる俺に、ウンスは静かに言った。
「そこがあの人へ続く扉だから」

意味が分からず、俺は首を捻る。
宗教関係者を表す、 抽象概念的な比喩表現か。
いや、そんな遠回しな話し方をする人ではない。
良くも悪くも数学的頭脳を持っている。表現はいつでも比較的端的であり即物的でもある。

「扉?」
「テウ」
涙を頬に落としたまま、ウンスは目を開けた。
「信じてもらえない。それでもあなたを大切に思うこの気持ちは嘘じゃない。だから」
俺は頷く。
「言ってくれ。言わなきゃわからない」

ウンスは息を吸って、そして止めて、静かに吐く。
冷静にそうしている。嘘をつくような動揺は見られない。
視線の不自然な変動も、瞬きの増加も、身体反応も動作も。

俺がさりげなくその手を握っても、嫌がる素振りも拒否反応もなくただいつも通り、指を握り返してくる。
発汗も震えもない。そしてこちらを真直ぐいつもの瞳で見て、彼女は言った。

「あの人は、過去の人」
「ウンスヤ、俺に気を使ってるなら」
それに首を振り、彼女は続ける。
「違う。チェ・ヨン。あの人は高麗時代の、恭愍王の側近」
「・・・・・・ウンスヤ」

その反応に全く嘘の兆候がない。
ないからこそ、今度は彼女の精神状態が気に掛かる。
俺が抱き締めると彼女はいつものように、反射的にこの背に細い腕を回してくる。
「そしてテウ、あなたは、多分あの人の生まれ変わり」

腕の中の声に、俺の息が止まる。
「・・・・・・ウンスヤ」
彼女が今行くべきは、奉恩寺ではなく心療内科なのではないか。一瞬本気でそう思う。
こうして4年一緒にいても気づいてやれない部分が、静かに病んで行ったのではないかと。

「私は正常よ、テウ。そう思うのはよく判るけど」
何も言えないこの腕の中で、背に回した手をそっと上下させ、ウンスが静かに息をしている。
俺の胸に鼻を寄せ、懐かしそうに深く深く。
あのおでん屋の時から変わらない。

手にしたパズルのピースの複雑さに、俺の指が止まる。
置き所を間違えればこのパズルの絵柄さえ変わりそうだ。その緊張感で、掌に汗をかく。

「チェ・ヨン・・・」
俺の脳はそのキーワードを引き摺りだそうと高速回転を始める。

高麗時代。10世紀初頭に建国され、1391年までの約500年近く、李氏朝鮮が建国されるまでの統一国家。
恭愍王。高麗末期の王。即位期間途中で辛旽に政治を任せる。
そしてチェ・ヨン。崔 瑩といえば。
「崔 瑩といえば、今の韓国軍に駆逐艦があるな」
「そうね」
「1388年の威化島回軍で、李 成桂に処刑される」

その瞬間、腕の中のウンスの体が離れた。
正確には彼女が背に回していた手を戻し、俺の胸を強く突いた。
「何言ってるの、テウ。IQ155のくせに」
「・・・どうした」
「あの人は死ぬのよ。死んじゃうの。1355年、ああ、分からないけど1356年?とにかくそのあたりに」
「ウンスヤ」

急に激昂したその様子に、驚いて目の前の小さな姿を見つめた。
「落ち着け。どうした」
「いい加減な事を言うから驚いたのよ、あなたみたいな賢い男が!」
「ウンスヤ、俺は確かに歴史学者じゃない。ミリタリーオタクでも。
だから正確とは言い切れない、だけどいい加減な事は言ってない」

ウンスの叫び声に静かに返すと、彼女は首を振った。
「私調べた、ここに戻って来て、すぐに調べた!!!
あの人の没年が、ネットに書いてあったのよ!!!
それもいい加減な記事じゃないわ、幾つもキーワード入れて調べた。
調べたんだもの、そこに書いてあったんだもの!!!」
「ウンス、落ち着け」

俺が回そうとした手を振り払い、彼女は絶叫した。
まるで初めて逢った日のようにこの手を振り払い、髪を乱して。
「調べたもの、帰りたくて、気が狂うほど逢いたくて!!!なのに、そう書いてあったんだもの!!!」
「良いか、ウンスヤ。論より証拠だ」

俺はポケットからスマホを引き抜き、検索サイトに接続するとキーワードを素早く入力した。
そして表示された検索結果ページを彼女へと示す。
「好きなだけ見てくれ」

彼女の指が画面を次々フリックし、スワイプしていく。
「・・・どういう事、どういう事なの」
「俺は、嘘は言っていないはずだ。そうだろう?」
「言ってない。あなたの言う通り。そして私の知る歴史通り・・・」

ウンスは呆然としながら、スマホの検索結果画面をその目と指で追い続ける。

「じゃあなんで、何であの時だけ。何があったの、私が夢でも見てた?」

分からない俺には、何も答えてやりようがない。
次の瞬間ウンスは俺にスマホを握らせると、そのままそこから無言で走りだした。
「ウンスヤ!!!」
それを追いかけすぐにその腕を掴んで止めると、 ああまただ。
あの日のように腕の中で身を捩り、必死でそこから抜け出そうとする。

「テウ、お願い、離してお願い」
「分かった。分かったから落ち着け。まずは話そう、良いか。
衝動的に動かないでくれ、言わなきゃいけない事がまだあるんだ」
「いや、やめて!離してお願いだから。見に行かせて、確認させて、それだけで良いから」
「分かった、行こう、一緒に」

これ以上の説得は逆効果だ。
俺は捕まえた彼女の腕を半ば引き摺るよう、先に立って境内の石畳の上、仏像へと歩き始めた。

白い石の仏像が聳えるその下で、ウンスが満足するまで歩き回る間。
俺は少し離れてその姿を目で追った。
周囲には人影も、尾行の気配も、ウンスが探しているであろう何かの兆候も、まるで感じる事はない。

ようやく納得したのか、それとも諦めたのか。
しばらくしてからウンスは俺の元へと歩いて戻って来た。
「どうだった」
「うん・・・・・・」
項垂れていた彼女の視線が先に上がり、続いて顔が上がり、そして俺を見た目がとても悲しそうに細められた。

「駄目だった」
「そうか」
「もうどうしていいか分からない」
「ゆっくり考えよう、まずはうちに来い」
「それは駄目」
「何故」
「あの人は生きてる。今もどこかにいる。それなら、私行かなきゃ。どうにかして戻る方法を見つけなきゃ」
「・・・俺を利用しろ、ウンスヤ。この頭脳と行動力、情報網」

俺はさっき彼女と揉み合って、スーツのポケットから飛び出しそうになっていた小さな箱を深くしまい込んだ。

心理学でポケットに手を入れるのは、嘘をついている時だ。
まして懐手で、内ポケットに手を入れるなんて怪し過ぎる。
そんな事をふと思い出して、俺は口の端を上げた。
それでも良い。今ここで彼女に伝えるのは卑怯だ。

「お前を信じる。常識では到底信じられないけど。俺はお前をよく知ってる。だから信じるよ」
「・・・テウ」
「ああ、だからうちに来い」
「だって」

俺は数歩先に歩き、振り向いて言った。
「単純な物理的理由だ。うちの方が、ここから近い」
その声に苦笑いすると、ウンスが後から歩きだした。

石畳を削る、そのハイヒールの音がさっきまでより遠い。
心の距離分の音の遠さか。

思いついた俺らしからぬ抒情的な一節に自嘲の笑みを浮かべ、先に立ち歩き続ける。

 

 

 

 

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