2016 再開祭 | 桃李成蹊・18

 

 

「・・・カット!OK、チェック入ります!」

監督さんの大きな声が、ロケ現場中に響く。

声と同時にカメラ前に立ってた俳優さん達に向けて、それぞれのスタッフの人が大きな傘を持ってダッシュで駆け寄る。

すごい。駆け寄る方も慣れてるんだろうけど。
もっとすごいのは人が傘を差しかけて当然って顔で、次に近寄ったメイクさんが汗を浮かべながらメイク直しをするのを、平然とした顔で受ける俳優さんたち。
こういう言い方は嫌いだけど、本当に一流の俳優さんたちって・・・いろんな意味で人種が違うのね。

ただ申し訳ないけど元江南整形外科医としては、見ちゃうわけよ。
もちろん職業倫理があるし絶対口にはしないけど、あららーお金かけたわねーって、医者なら分かる俳優さんたちがいるわけで。

どの俳優さんもスタイルは抜群、手足は長いしバランスは最高。だけど私は私ですっごく妙な気分。

そしてそんな中にいるあの人に どうしたって目が吸い寄せられる。

天然美形って怖い。
TVの画面ではライティングやこの後のエフェクトでどうにかなるんだろうけど、太陽光の下のロケ現場では一目瞭然。
1人でそんな天然オーラを放つあの人に向けて、監督さんが声をかける。

「ミノ」
その声にビクンとするのは、私とチーフマネージャーさん。
周囲の傘を持つスタッフさんやメイクさんはごく自然な顔。

あなただけが素知らぬ顔で、その声に小さく頷く。

「ちょっとチェックして」

監督さんが差し出す小さなビデオカメラ。
チーフマネージャーさんとこの人が、額を突き合わせるみたいに覗き込む。
「NGってほどじゃない。セリフも読み合わせ通りだ。だけど」
「だけど」

ビデオ画面を見てたあなたの瞳が、言葉を切った監督さんに向く。
「アップにすると分かる。目の感情が」
「感情」
「指示したとおり見てるしどこが悪いわけでもないし、表情の作りも完璧だし。
ただこの後心から愛する女性を、初めて見るシーンなんだ。上滑りな感じがする、アップにすると」
「愛する・・・」

その声にあなたは小さく首を傾げた。
監督さんはかぶってたキャップを取ると困ったみたいに髪を上げて、もう一度それを深くかぶり直す。

「目のアップだけもう一回撮らせて。全体はOKだから」
「はい」

それ以上余計なことはグダグダ言わないのがこの人らしい。
監督さんにビデオをを返しながら、あなたは黙って頷いた。

 

*****

 

眸。感情。心から愛する女人を初めて見る眸。

俺はあの時どんな眸をしたろう。

男の手へとびでおを返し己の心に問うてみる。

お前はあの時、どんな眸をした。

驚いた。見つけたと思った。眸が離れなかった。
あの方は光の中、下から俺の眸を見つめ返した。

初めて見つけた時。心から愛するという先すら知らずに。

あの時すたじおで、かめらまんの男が言った。
ウンスちゃん見てるその目で、一度でいいから俺のレンズ見てよ。

あの方を見る眸、初めて愛する女人を見つけた眸。

どうやらかめらのれんずというのは思った以上に恐ろしいらしい。
如何に計算し上手く真似ようと見抜かれるという事か。

「・・・ああ、ミ、ノ、出来そう?」
ちーふまねという男が遠慮がちに痞えながら俺へ問う。
下らぬ事でこれ以上の足止めを喰らうのは御免だ。

青い空、碧の海、白い浜。
あの方が先刻から照りつける陽の下で、白い肩を赤く腫らして立っている。
これ以上立っていれば火膨れる。一晩火照る肌に苦しむ事になる。
さっさと終えて旅籠へ戻り、冷たい水を浴びて頂かねば困る。

「じゃあ撮っちゃおう!」

監督という男の声、ちーふまねという男の声の双方に顎で頷き、俺は鬱陶しく頭上に差し掛けられた馬鹿げた大きさの傘下を抜けた。

 

「ミノさん入りました!」
「立ち位置OKです」

奴の振りが通じない。どれ程その動きを真似、口調を真似ても。
露見すれば水泡に帰す。あの方もあの男も、関わる全ての者が。

「一発長回しで!よーい、3」

ウンスちゃん見てるその目で、一度でいいから俺のレンズ見てよ。

そう言って三本立った男の指が折れていく。二本に、一本に、そしてその指が俺に向け、振り下ろされた瞬間。

近づいたかめらの向こう、あの方を見る。

今すぐ其処で不安げに小さな左手を右手で隠すよう握り締める方。

あの頃の髪は今より紅く、居並ぶ大勢の聴衆を従え光る絵の前で得意げに顔を上げていた。

此処にいた。

その姿に息が詰まった。先に心が勝手に跳ねた。
それは王命を完遂出来た安堵とあの時は思った。

逢えた。掴まえた。そんな声が確かに過った。

其処から始まるのが一体何か考える事も無いままに。

連れて帰れば一安心だ。そして戻せば総てが終わる。
誓いは果たせず残ったのは俺の腹とあなたの心の傷。

最後に共に過ごした慶昌君媽媽との日々。あなたの笑顔。
髪から落ち、内緒で瓶に詰めた黄色い花。

昏い夜の奇轍との小競り合い。立ちはだかった小さな体。
手に巻かれた白い布、その頬に流れた涙。

生きて。 あなたの声がこの耳元で繰り返す。

幾度も己を騙し損ね、戸惑い遠廻りをした。答はいつでも眸の前にあったのに。

そうだ、俺はあなたを探していた。
王命だからではない。あなたを探していた。

這って探せ。その手で掴め。 あの日伝えた声を繰り返す。

そんなものだ。欲しくば手を伸ばせ。
汚れる事を恐れずに、傷つく事を厭わずに。

遠回りの向こう、あの瞳が待っている。
伸ばす指先は必ず暖かい指へ辿り着く。

仮に金の輪を外そうとこの心の臓は繋がっている。
こうして伝え続ける。愛していると鼓動のたびに。

この瞼は今、何故熱い。

青い空、碧の海、あの方の姿が滲んで揺れる。

冗談ではない。衆人環視のこんな処で、一滴たりとも零せるか。

慌てて一度瞬きをした時、男の声が波音の合間に静かに響いた。

「・・・カット」

つい先刻まであれ程騒がしかった白い浜に、それ以外の声は無い。

滲む眸を誤魔化して大きく空へ息を吐き漸く周囲を見渡せば、其処にある総ての眼が俺だけを見ていた。

「最高だ」

監督が呟いた刹那。

人々は夢から醒めたよう、再び慌ただしく動き始めた。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です