2016 再開祭 | 桃李成蹊・19

 

 

「鳥肌がたったよ」

今日の撮影分を送ってもらった画像を確認している俺と社長の耳に、ウェブカム越しのチーフマネの声がする。
ホテルの部屋だろう。落としたライトの中で顔はよく見えない。

「お前はすごくいい役者だ。俺はお前と仕事ができて最高に嬉しい。だけどあの人は・・・」
「判ってる」
「優劣じゃないんだ、そういうんじゃなくて」
「もう良いわ。ありがとうございました」

それ以上の声を遮るように、社長が強引に話に割り込む。
「撮影スタッフや他の出演者の反応は?怪しまれたり」
「全くないです。うちのスタッフたちですら。ただメイクさんや衣装の女の子たちに、ずっと黙ってるけど何かあったんですかって聞かれて。
腹が減ってるんだ、ゴメン、って本人が答えて笑ってました」
「最高ね。ミンホらしい」

社長の笑顔が強張ってるのは、カメラ越しじゃ判らないかもしれない。
横にいるから判るのか、弟だから判るのか。
「何かあれば定時以外でも、すぐに連絡をお願いします」
「はい社長」
「お休み、気を付けて。2人によろしく」
「お前もゆっくり休めよ。腕、大切にな」
「うん」
「もうちょっとだからな」
「・・・うん。じゃあ」

念の為ウェブカムのカメラアングル範囲からすら外れてる俺の声に、チーフマネが向こうから手を振る。
社長はそのままカメラをオフにして息を吐いた。
「ねえミンホ」
「うん」
「悔しいね」
「・・・うん」

こうやってリビングで2人きりになるのは久し振りだ。
たまにはいいか、と行儀悪くカウチの上に素足の両足を載せて、体育座りみたいに両膝を自由な右手だけで抱え込む。

悔しい。悔しいから絶対に忘れない。二度と馬鹿なことはしない。
絶対に忘れられない。俺の顔で、あんな目をしたあの人のことを。

あの目が超えられなければ、俺は俺に負ける事になる。
あのシーンはきっとドラマの目玉になるはずだ。

番宣、ティーザー、ハイライト、あのシーンがバンバン流れる。

入れ替わって戻ってあれ以上の演技が出来なかったら必ず言われる。
偶然だ、調子が良かっただけだ、結局実力はこんなものだ。

だから今の悔しさをこの頭に、心に刻み付ける。

「ねえ社長」
「なに?」
「俺、今どんな表情してる?」
両膝を抱えたままの俺を黙ってじっと見つめて、この髪を撫でると社長は笑って優しく言った。
社長じゃなく、姉さんの声で。

「今まで見たことないくらい、男の顔してる」
「そっか」
「思うんだけどね」

頭を撫でてくれたまま、姉さんの声が続く。
「あんたは役を生きてる。ドラマが変わるたびにその中で違う役を生きる。でもあの人は」
「うん」
「人生自体が、ドラマな気がする」
「うん」
「それってすごく疲れると思うわ。あの人も、ウンスさんも」
「・・・うん」

その観察眼、さすが社長。

抱えた両膝に顎を乗せ笑う俺に、姉さんも困ったように笑い返した。

 

*****

 

部屋の大きな窓を開け放つ事は疎か、せめて外を見たいと覆う布を寄せる事も許されない。
ぱぱらっちがいるからと訳の判らぬ理由を伝えた後に、付き添ったちーふまねという男は交換条件を出した。

「窓さえ開けなきゃ自由です。隣はコネクティングルームですからあのドアから好きに行き来できますよ、ウンスさんと」
「開けん」
即答する俺に笑うと奴は頷き
「明日はスチール撮影があるので、8時に迎えに来ます」

そう言って俺達に頭を下げ、静かに部屋の扉を出て行った。

共に過ごす南国の夜の寝台。
たとえ布で覆い外を遮ろうと、窓の隙間から忍び込む気配が違う。

波の音、花の香、高麗とは違う夜の空、月の色。
ただその景色を並んで見られぬのだけが残念だ。

横たわるこの方が白く柔らかそうな枕に顔を埋め声を殺し、両足を暴れさせる。
掬った軟膏を広げた掌を裸の肩へ滑らせれば、枕の中に小さな悲鳴が漏れる。
「辛抱を」
「やめて、もうダメ」
「晒すからです」
「だって着てたら暑いもの!」
「明日から薄物を」

言わぬ事では無い。
強い陽に一日晒された細い肩は、見るも無残に火膨れている。

戻った旅籠の湯屋で、冷たい水を掛けて冷やせというのも聞かず。
無理に閉じ込め衣の上から水の雨を降らせれば、冷たいと悲鳴を上げて逃げ惑い。
どうにか冷やし終え寝台に寝かせ軟膏を塗れば、痛いと文句を言い。

他人の事はあれ程心を傾けるものを、何故己の事は顧みぬのか。
駄々を捏ね続けるのも聞かず赤い肩に冷たい軟膏を塗り終えれば、小さな頭が枕から上がる。

小さな鼻の頭に最後に指先で軟膏を塗ると、ようやくその顔に笑みが浮かんだ。
「ありがとう」
「いえ」
「あなたはさすがに、全然灼けてないわね」
「・・・はい」

あれ程に大きな傘、意味も判らず幾度も弄られ何かを塗られる顔。
首廻りから鎖骨の下まで念入りに塗り込まれ吹きつけられる何か。
この肌に、髪に触れ、衣を着せ掛ける手。
それが揃いも揃って得体の知れぬ女人の手というのが、心から気に喰わん。

無言でそれを振り払いたい衝動を、今日だけで幾度堪えたか。
この方を思い、奴への誓いを思い、奥歯を喰い縛ったものを。

それでも無理だ。俺には出来ん。これ程難儀とは思わなかった。
「イムジャ」

寝台の上で笑っていたこの方が、呼び声にふと表情を改める。
「出来ません」
「・・・え?」

響きで本気と判ったか、それ以上の言葉が浮かばぬのか。
ただ黙ったまま此方を見る瞳に首を振る。

 

 

 

 

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