2016 再開祭 | 冬薔薇・前篇

 

 

【 冬薔薇 】

 

 

 

木枯らしの中で首を上げ凛と咲く冬薔薇。
墨絵の色の庭の片隅、頑なな程鮮やかに。

色も姿も思い出させる。乞うるあの方を。

 

*****

 

冬の朝を報せる法螺の音が、暗い迂達赤兵舎に響く。
火の気のない部屋、朝闇を震わせる音に寝台上で眸を開ける。

今朝は殊の外寒いらしい。欠伸をすれば口元に立つ息が白い。
けれど動いている間は忘れていられる。
役目に没頭していれば考える事もない。

明けの陽が射すまで、まだ優に一刻はある。
暗い窓に降りた霜を確かめ体を包む毛織の掛布を一息に剥ぎ、その勢いで寝台を降りる。
降りた足裏まで張り付くほど冷え切った床。

考える必要など無い。寒さに弱いあの方が無事でいるかなど。
朝陽を待つ窓の向う、典医寺の部屋で温かくしているかなど。

考えて判らん事に刻など割くだけ無駄だ。
典医寺であれば病に倒れても侍医が居る。

ましてや俺の杞憂など鬱陶しいだけだろう。
攫った男が何を言える。言える事など無い。

朝未だきの凍る部屋内、寝台脇に据えた小卓の上の天界の薬瓶。
たとえ例え何があろうとこの花だけは守りたい。
閉じ込めていれば色を失い、いつの日か枯れると判っていても。

それでも胸の中、今も鮮やかに揺れている。
瓶を握ると唇を近づけ、一度だけ白い息を吐きかける。

白く曇った硝子の向こう、枯れる事なく揺れる花。

こんな明け方が悩ませる。陽さえ上がれば考える暇もないものを。

 

「お早うございます、隊長」
階を降り切った吹抜で振り向けば、チュンソクの眼が待っている。
「朝の鍛錬の件ですが」

振り向いた拍子に目に飛び込んで来る天窓の下の生木の階。
そうだ、あの時足を剥き出し天界の女人が飛び込んで来た。

隠した腹の傷。己の失態を悔やむ心。
二つの痛みに眸を閉じる俺に青い革の包を投げつけ、大粒の涙を落とした。

刺して救った挙句には隠した傷を迂達赤の面前で暴露して。
この女人はこうして騒ぎ立てて、何もかもをぶち壊す気か。

腹立たしい思いでその泣きじゃくる女人を、部屋隅の柱前まで追い詰めた。
最後に誓いを破った女人に刺された傷で死ぬなら仕方ない。
そう思った掌に渡された、あの天界の薬瓶。

生きろと言われたその声に、何処かに小さな焔が点いた。

「・・・隊長」
訝し気なチュンソクの声に我に返る。
その視線に背を向けて吹抜を出しなに
「任せる」
残した声に後ろから
「・・・はあ」

どうして良いのか悩んだようなチュンソクの返答が届く。

 

*****

 

「隊長、お早うございます」
「お早うございます!」
「お早うございます、隊長!」

擦れ違う奴らが次々足を止め、笑顔で姿勢を正し頭を下げる。
兵舎を出て迂達赤の門へとまだ薄明の庭を歩く俺に掛かる声。

何故この足は行先を知るかのように真直ぐ俺を門へ運ぶのか。
俺自身にすら何処へ向かうべきかが判らないのに。
姿を見つけたテマンが駆け寄り、この脇を守るように添う。
「て、隊長」

添った途端に横から顔を覗き込むテマンが驚いた声を上げる。
「なにか、あったんですか」
「・・・何故」

尋ね返す俺を再びその目で真直ぐに見て首を傾げ
「顔が。目が」

奴は薄明の空の下、自身も答を探すように後の言葉を詰まらせた。

 

「あ、お早うございます、隊長!」

東屋の横を通り過ぎる俺に、歩哨明けのトルベが大槍を担ぎ直して駆けて来る。

東の空は明るさを増し、吹く風は咽喉を詰まらせる程冷たい。
大きく白い息を吐くトルベが俺の前で頭を下げた。
「早くからお出掛けですか」
「・・・・・・ああ」

出掛けるのだろうか。何処へ。ただ足が向かう方へ歩くなど。
そんな勝手が許される訳が無いのに、この歩みは止まらない。
「昨夜の歩哨は」
「何も問題ありません。静かでした」

トルベの声にその背に従う奴らも銘々に頷いた。
「そうか」
「はい・・・あ」

トルベは思い出したよう最後に呟くと、俺の顔を改めて見た。
「何だ」
「昨夕早くに、王妃媽媽の坤成殿に医仙がいらっしゃいました」
「・・・理由は」
「俺達は判りません。武閣氏が知っているかと」
「典医寺へ戻っただろうな」
「はい、恐らく・・・」

声の終わらぬトルベを置き去りに石畳の径を駆け出す俺の背へ
「あ、て、隊長!」

トルベの大きな声だけが、離れた処から追って来た。

「テマナ」
「は、はい隊長」
「典医寺へ向かえ。医仙を探して見張っていろ」
「はい!」

皇庭の東の森の稜線を白く染める朝陽の中、並走するテマンが頷くと石畳の途を逸れて行く。

息をするたび胸の奥までが潰れるように痛い。
己の白く乱れた息で、目前の冬景色が霞む。

何なんだ。夕に王妃媽媽を訪れる理由など。
御拝診ならば昼の内に済ませている筈だ。
昨夜変わりが無いと歩哨のトルベが言うなら、王妃媽媽の御体調の急変ではない。

医仙がそれ以外の理由で坤成殿を訪う事などあるのか。
荒れる息を整えるのも忘れ坤成殿への回廊を駆け抜ける。
正面から回廊を来る尚宮や禁軍の兵が、突き飛ばされぬよう慌てて隅へと身を躱す。

血の匂いが薄れると黄色い花をくれたあの方。
そんなあの方の前で慶昌君媽媽の血に濡れた俺。

怒りを湛えた瞳で俺を睨み、この脛を蹴り上げたあの方。
嘘を吐かせる事でしかあの方を取り戻す事が出来なかった俺。

全く笑わなくなったあの方。
もう笑わぬのかと訊いた俺。

「・・・叔母上!!」

目指す坤成殿の回廊の隅、角を曲がり消えて行く武閣氏の衣の裾。
探し当てたその背に声を抑えるのも忘れ、俺は叫んだ。

一旦は角を曲がった探し人が眼を見開き、柱影から顔を突き出した。

 

 

 

 

リクエストはヨンがウンスを好きだと確信した時の話をお願いします。

(2007eciffoさま)

 

 

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