2016 再開祭 | 桃李成蹊・3

 

 

撮影のカメラの真横でようやく私の手を離したこの人は、小さく膝を折って私と視線を合わせた。
「此処に」
「・・・うん」
「すぐ終わります」
「わ、かった」

でもあなたの人並み外れて鋭い勘もレーダーも、たまに鈍る時がある。
今私が背中から部屋中の全員に見られてどれだけ恥ずかしくて気まずいか、多分気付いてないでしょ。

再開された撮影、シャッター音に紛れてアンナさんがようやく私の横に辿り着く。
そしてフラッシュの中のあの人を見ながら、その目が興味深げに光る。
「ねえ、オンニ?」
「なに?」
「面白いわねえ」

意味ありげな声に横を見ると、目はあの人の背中を見たままのアンナさんが横顔で笑う。

「背中だけなのに判る。オンニが近寄っただけで、漂う色っぽさ100倍アップだわ」
「・・・気のせいでしょ?」
「あらー、失礼ね。私が何年スタジオに出入りしてると思ってるの?」
「そりゃそうだけど・・・」
「もっと興味深いのはねえ」

アンナさんが視線だけで横の私をちらっと見た。
「背中だけであれ程凄い色気を見せられるヨンくんよ。ねえ、秘密にするから正直に言って?」
業界人の言う秘密なんて、信じられるもんですか。
言うもんかとお腹の中で舌を出しながら、アンナさんに聞き返す。
「何を?」

秘密にするって言葉は私が考えてたより本気なのかも。
アンナさんは周りに声が聞こえないように小さい掠れ声で囁いた。

「オンニ、彼を一体どっから連れて来たの?」

 

*****

 

「ねえ、どうしても駄目なの?」

撮影が終わった後のすたじおほど、落差の烈しい場所もそうは無い。

全てのらいとが消えれば、部屋内の寒々しい細部までが見渡せる。
埃の溜まる部屋の片隅。乱雑に積まれた小道具。
用済みとばかり集められた、らいと 、や、れふ板の林立する一角。

こんぴゅーたの蒼い光が、殺風景な白い部屋に浮かび上がる。
撮ったばかりの画をその光の中に次々並べて確かめつつ、かめらまんの男が俺へ声を掛ける。

「俺はヨン君の画像、自分のポートフォリオに載せてるんだけどさ。顔も出してないのに反響がすごいよ?
どこのモデルだとか、ぜひ会わせてくれとか。顔出したら今どころの騒ぎじゃないよ。
ギャラも冗談抜きで桁が変わるよ。考えるだけでも考えてみたら?信用できる事務所、紹介するから」
「いや」

真剣な声に首を振り、あの方を眸で確かめる。
続いてあの男が、其処へ近づいては来ぬかと。

先刻の男はあの方からは離れ此方を真直ぐに見たまま、この視線に気付くと丁寧に頭を下げた。
帰るでも無く、かと言ってあの方へ寄るでも無い。俺だけを待っているというわけか。

とにかく気詰まりな役目を終えれば、あとはあの方と共に居られる。
飯を食い酒を呑む日銭の実入りがあり、眠る屋根も寝台もある。
これ以上のぎゃらなど要らん。そもそも此処に長居する気が無い。
あの方も己も帰れるまでのほんの繋ぎの役なら、わざわざ面を晒して厄介に巻き込みたくはない。

「でね、立て続けで申し訳ないんだけど、もし空いてたら、あさって撮影いいかな?CMなんだけどさ。
俳優の体が全然ダメなんだよね。プロなら鍛えろって感じでさあ。絶対あいつ、今までもボディダブル使ってたと思う。
CGばっか良くなってるから、PCがやってくれる」
かめらまんの男は延々と何やら愚痴を吐き散らし、両手を合わせてこの顔を拝んだ。

「あら、あのビールのCM?いいじゃない。あの子のボディダブルにヨン君じゃもったいないけどねー。
でもヘアはどうするの?ヨン君よりちょっと長いわよ、サイドも襟足も」

横から嘴を突込んだあんなという男がこの髪を見て、弄りたそうに指を伸ばす。
軽く手を上げて此方への指先を阻むと、その男は嬉し気に身を捩り叫んだ
「いやーん、ヨン君に触られちゃったぁ!もう手ぇ洗わなーい!」

かめらまんの男はそんな騒ぎなど日常茶飯事の如く、何の反応もせずさらりと言った。
「髪は現場でエクステつけてよ、アンナ」
「あらいいの?呼んでくれるの?あんなおっきい仕事」
「うん。エクステと、背中にもボディペイント・・・いるかなあ。素で十分行けそうなんだよね、肌もきれいだし。
とにかくヨン君だったらイメージぴったりなんだ。あ、上半身脱ぐけどいいかな?
クライアントには話通してある。ギャラは弾む。絶対に約束する。ウンスちゃんにも俺が話そうか?」
「・・・いや」

ウンスちゃんだと。寝言は寝て言えと眉を顰めて首を振る。
かめらまんに足止めを喰らう俺に向け、痺れを切らしたらしき小さな高い沓音が硬いすたじおの白い床に響く。

「お疲れさまです。ありがとうございました。どうしたの?ヨンア」
「いえ」
話は終えた。この方は夕餉に何が喰いたいのだろうと顔を見る。
天界の良い処。
この方が饅頭だけでなく、クッパ以外に肉でも魚でもジョンでも菜でも、そしてすてーきでもはんばあがあでもぱすたでも、ぴざでもすしでも何でも選べる処。

そうして並ぶ俺達の顔を比べ見て、かめらまんが息を吐く。
「ねえ、ヨン君さあ」
その声にまだ立ち呆ける男を横目で眇め見れば、男は何故か心から無念そうに言う。
「ウンスちゃん見てるその目で、一度でいいから俺のレンズ見てよ。保証する。絶対売れるよ。
そこらのアイドルなんて目じゃないって。本当に一度でいいから。ダメかな、ウンスちゃん?横顔だけでも」
「ああ、ええと・・・」

構わん。顔を晒そうが隠そうが、かめらの前で哂おうが怒ろうが、えくすてを付けられようが外されようが。
但しこの方を困らせる問いだけは、決して聞き逃す事は無い。

答に窮し額に落ちた亜麻色の髪を指先で搔き上げるあなたの肩を強引に抱き、其処から歩き出す。
「帰りましょう」
「あ、ヨン君!」
「ヨンア」

腕の中のこの方が困ったように背後のかめらまん達を振り返る。
こうしていながらその瞳が振り返ってまで、他の男を追うなど。

一日も早く帰りたい。苛る事ばかりだ、この天界は。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です