2016 再開祭 | 気魂合競・伍拾壱

 

 

「じゃああなたが怒ったのは、私が賞品になったからじゃなくて」
釣られたのは己だ。それに怒るなど筋違い。
俺が黙って頷くと、鳶色の瞳が丸くなる。

「私が角力大会で治療したから?!」
「はい」
「じゃあ、武閣氏とか、女性の大会だったら」
「在り得ません」
「もしもよ、もしもあったらの話!それなら怒らないの?」
「はい」

賞品として担ぎ出され、物扱いされるのは腹立たしい。
それでも怒って当たり散らす事はなかっただろう。本当にその患者が全員女人なら。

「大人しく待っていて下されば良かった」
「待ってたじゃない!ただあそこでボケーっとしてるのは時間のムダだし、参加者はみんなどんどんケガするし」
「参加者は怪我など覚悟の上で」
「そっちは覚悟してるかもしれないけど、目の前でケガされたらこっちは放っておくわけにいかないでしょう?
そもそも大会に出た理由の半分はそれよ。女性の参加が許されないんだから、ドク・・・医者が参加するには、賞品になるしかなかったじゃない。
あなたがケガしないように、もしもしたらすぐ治療できるように」

そういう肚積もりだったわけだ。それは今まで知らなかった。
確かにいつもの如く忍び出られるくらいなら、目の前に居ると判っていた方が気は楽だったが。

「しかし、もしも他の者が優勝すれば」
「そんなのあり得ないわ。あなたが誰より強いって知ってる」
「勝負は時の運と」

俺の言葉を遮るように首を振り、あなたは暢気に笑って言った。
「信じてるもの」

この方の出来ぬ何かが出来る者が、もしも今眸の前に居ても。
誰から見てもその者の方が、理想の女人だと思ったとしても。
それでも俺は他の者を選ぶ事はない。死ぬまで、そして死んでも。
あなただけだ。俺が求め続ける声を変わらずに掛け続けて下さる。

信じている。

雨の夜も、晴れの朝も。
連戦連勝を続ける時も、朋を喪ったどん底でも。
振り返ればこの瞳があり、その唇が紡いでくれる。

信じている。

だから進める。迷いなく。何が歩みを邪魔しようとも、止まる事なく。
そしてあなたへの道を塞ぐもの総てを斬り捨てて。

例え相手が誰であろうと、どれ程困難な途であろうと、その先にあなたが待っている。
泣いているかも知れぬと思えば胸が軋む。
笑って待っているだろうと思えば心が弾む。
そして幾度でもこうして駆け付ける羽目になる。

それで良い。悲しい涙を見るくらいなら。
そして結局抱き締めて機嫌を取って、うんと甘やかす事になる。

「イムジャ」
呼び声を待ち兼ねていたよう、あなたは立ち上がると俺の横へ廻り、膝横に行儀良く座り直す。
視線で膝を示してみるが、その首は無情にも横に振られる。
「ダメ。あぐらはともかく、私が乗ったら足首に負担がか」

声の途中で強引に抱き上げて、いつものように膝に収める。
「ダメだってば!」
身を捩って其処から逃げようとするこの方に一言
「暴れると踝が」

それは霊験灼然たる呪符のように、この方の無駄な動きを止める。
素晴らしい。暫くはこの手が使えそうだ。

踝に触れぬよう膝の中で手足を丸めて縮まるこの方を揺らしつつ、いよいよ聞かねばならぬ一言を尋ねてみる。
「イムジャ」
「なぁに?」
声が響くような大怪我でもあるまいに、その声までが縮んでいる。
「頼みが」

欲しかった賞品がようやく手に入った。
二日間堪えたのだから、もう良かろう。
それでも申し訳なさで正視できず細い肩に額を預けた尋ね声に、あなたは横顔で振り向いた。
「うん。なあに?」

 

*****

 

「・・・チェ・ヨン」
「は」
昨日の烈しい雨脚は弱まり、今は霧雨が窓外の若葉を煙らせる。
濡れた緑の香を胸に吸い込み、肚を決めて王様の御前に立つ。

「これは一体何なのだ」
「賞」
ご質問に返そうとした答は、王様の上げられた御手に阻まれる。
「いや、良い。尋ねただけだ。何かは判っておる。何故だ」
「既にお伝えを」

康安殿の大卓の上に置かれた見事な蒔絵の片木台と、其処に乗る重い銀貨。
王様はその蒔絵台の上を一瞥し、お怒りも顕に振り向かれる。
「のう、チェ・ヨン」
「は」
「そなた、一度くらいは事を荒立てずに収めようとは思えぬのか」
「王様」

それは此方がお伺いしたい。
一度くらいはあの方も俺をも、放って置いて下さらぬだろうか。
いや、それは余りに不敬だろう。
一度くらいは金も物も要らぬと、此処までせずともお判り頂けぬだろうか。

「ともかく受け取れぬ。良いか、民も兵も等しく参加した大会だ。
まして大護軍が空梅雨に雨まで呼んだと、民は皆沸き立っておる。
そなたの力ではないかも知れぬが、風聞の力を知っておろう。真偽ではない。
皆が信じたい事を口にし、多くの者が口にすればそれが真実となるのだ」
「王様」
「そなたに渡した賞金や賞品を戻されれば民らは如何考える事か。
初めからこの大会が仕組まれたと思うか、若しくは雨まで呼んだ大護軍を粗末に扱ったと思おうぞ」
「それは」

黙っていれば外部には漏れぬのでは。
そう言いかけて口を噤む。
どれ程秘密を保とうと腐心しても、何処からか水が漏るのが皇宮。
仰せの通り、多くの者が口にすればそれが真実となる。
そして策士であられる。
戦士らの一件で俺が王様の言質を頂いたように、王様もこうして俺の退路を断たれる。それも正論で。

「良いか。一旦そなたの手に渡った。米であれ銀であれ、必要な者は多いのだ。
そなたがこの後如何使おうと、この後はそなたの自由」

王様はようやく黙した俺に畳み掛けられる。
「必要な者に使ってやるが良い。王として手を差し伸べたくとも、届けられぬところは多い。
本来ならば内需も任せたいほどなのだぞ。そなたなら絶対に不正な金の流れは許さなかろうに」

一体何の御冗談か。
朝から晩まで台帳と向き合い計算を繰り返すような役は御免だと、思わず眉を顰めた俺に、王様は満足そうに頷かれた。
しかし確かに仰せの通りだ。王様のお立場で国庫の金子を渡すには、大臣らを黙らせる名分が要る。
そして右から左に流す訳にもいかぬ。予算を組み大臣を説き伏せ、そうしている間に本当にそれが必要な者らは干上がってしまう。

今、金子が必要な者。国庫から出たこの銀貨を使う価値のある者。
今、米が必要な者。下賜されたあの米俵で命を繋ぐ必要のある者。

「判ったなら諦めて収めよ、チェ・ヨン。もう聞きとうない」
心は決まった。その御声に俺は小さく頭を下げる。
「有難き倖せ」

 

 

 

 

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