2016 再開祭 | 薄・前篇

 

 

「お早うございます、隊長」
兵舎の吹抜けでチェ・ヨンが振り向くと、チュンソクは一礼の後に近寄って来た。

「山の様子はいかがでしたか」
「変わらん」
「山賊らは見つかりましたか」
「いや」

長く厳しい冬に耐え兼ね、北では死人が多く出た。
食糧も家族も失くした者らが開京付近まで流れ込んでいると報せを受け、様子見に出掛けたチェ・ヨン。
しかし山賊ではなく仔馬を連れ帰ったと、兵舎は噂で持ちきりだった。
「あの仔馬はどうしましょう」
「捨てる訳にもいかん」
「勿論です。ではこのまま、迂達赤の厩で育てます」

チュンソクは新たに加わった新入りの仔馬が気に入ったのか、髭を蓄えた口許を綻ばせた。
「体格が良さそうです。上手く育てば、隊長の馬に」

人一倍丈が高い上に馬を操る腕もある分、チェ・ヨンの期待に応え走れる馬は迂達赤の厩にも少ない。
チュンソクの期待に満ちた声に、開いたままの扉外を遠い眸で見るチェ・ヨンは思い出していた。

褒美があるかも。隊長、馬を貰いましょう。若馬に乗りたい。
無知な自分のはしゃいだ声。

期待と違う方かも知れぬ。その時は外で待つ仲間を思い出せ。
応えるムン・チフの低い声。

期待など外れるばかりだと思う。何を期待しても無駄だとも。
そして思い出す仲間もいなくなった今、これ以上何を思い出して我慢を重ねれば良いのだろうか。

チュンソクは兵舎に来て以来一度として光の灯らない黒い眸の先を追うように、続いて振り返り扉外を見た。
扉一枚の向こうには、あれほど温かく優しい春の陽が溢れている。
それなのに隊長はそんな暗い眸で、一体何を見ているのだろうか。

「あ、隊長、副隊長!」
「お早うございます!」
「起きたんですか、珍しいですね隊長」
吹抜に立つ二人に向け、春眠不覚暁などという風流とは無縁の兵達の声が飛び交う。
俄に騒々しさを増す早朝の兵舎、チェ・ヨンはその声から逃れるように扉へと足早に進んだ。

 

連れて来た以上、責任は取る。
軍馬になるなら迂達赤で預かり、ならぬならいずれ野に放す。
厩に歩いて来たチェ・ヨンを見つけ、司畜営官が頭を下げた。
「隊長様」
「馬は」
「変わりありません。ご覧になりますか」
「・・・・・・ああ」

見て何が変わるでもない。
連れて来た責任感だけで頷くと、官は馬場へ続く柵の鍵を開けた。

この春前後して産まれた仔馬を従え、母馬らが点々と等間隔に立つ馬場で、チェ・ヨンはあの栗毛の仔馬を見つけた。

足許の春草を食むのも忘れたように母馬はじっと立ち、乳を含むあの時の仔馬を見ていた。
そしてあの仔馬は母馬の乳房に顔を埋め、鼻先で突くように一心不乱に乳を貪っている。

「仔馬を亡くしてすぐだったのが、却って良かったかもしれません」
横に立つ官も生さぬ仲の親子馬を見て言った。
「乳が張っている間に生まれたての仔馬を連れて来たので、その匂いを覚えたのでしょう。
嫌がりもせず、ああして乳をやっております」
「争わんか」
「いいえ、全く。母馬と同じ馬房に入れても問題なさそうです」
「任せる」

表情を変えずに頷いて、チェ・ヨンは柵から再び出て行った。

 

*****

 

馬が耳も頭も良いのは知っていた。しかし不思議だと、チェ・ヨンは首を傾げる。

茹だる暑さと沸き立つような蝉時雨の中。
柵を開けると己の足音を聞きつけたように、馬場の柵に添って自分を待っている仔馬。
まだ幼過ぎて背に跨った事すらないのに、柵の此方側に立つチェ・ヨンの前で横腹を見せ、早く乗れと言うように。
「先に鍛錬だ」

チェ・ヨンがぼそりと呟くと、仔馬はあの時と変わらぬ黒い目でその眸を覗き込んだ。
軍馬に育て上げるには長い時間が掛かる。
兵を乗せ自在に戦場を駆けられるようになるには、短くとも二冬が必要だった。

常歩に始まり速歩、駈歩、そして全力で駆ける襲歩。
手綱の動き一つで乗手の命令を確実に聞き分ける方法。
戦場を生きて帰るのは、馬にも人にも容易ではない。

死にたがる兵が、ようやく生き延びた仔馬に跨る。
皮肉な巡り合わせに唇を歪めると、チェ・ヨンは馬場の柵の隙間に手を入れ、仔馬の鼻先を撫でる。
仔馬は心地良さげに黒い目を閉じると、鼻面をその掌に預けた。

 

「良い馬になりましたね」
並んで立つチュソクの声に、牽いて来た若駒を眺めチェ・ヨンが頷く。

初めての暑い夏を超え、仔馬はすっかり大きくなっていた。
尻骨が飛び出る程痩せてはおらず、脇腹に触れれば確りと肋骨が判る。
背は平らに整い、脚先には筋が浮かび始めた。
前脚は膝が真直ぐに伸び、後脚はしなやかな直飛。尾離れも良い。
その背の位置は、既にチェ・ヨンの胸の高さに迫っていた。

牽いて馬場の外周を周っても、常歩の調子におかしな癖はない。
妙に神経質に警戒する事はなく、しかし周囲の気配には敏感に反応している。
確かに理想的に育ったと、チェ・ヨンは若駒を改めて見た。

馬場の外周の路を囲む紅葉が、吹く風にはらはらと舞い落ちる。
チュソクの馬は足許の草を食み始め、若駒は草には興味を示さずチェ・ヨンに添って顔を上げ、落ちて来る葉を目で追っている。

馬にも秋の紅葉の見事さが判るのだろうか。
それとも葉の紅と対を成す、澄んだ透明な空を見ているのだろうか。

同じように若駒を眺めていたチュソクが尋ねた。
「名は付けてやらんのですか、隊長」
「名」

チュソクの声に初めて気付いたように、チェ・ヨンは鸚鵡返しに呟いた。
「ええ。いつも駒としか呼ばんので」
チェ・ヨンの半歩後ろから、チュソクは横顔を盗み見た。
もしかして名付ける事で愛着が湧くのが厭なのだろうか。
いつもそうだ。何にも執着せず、いや、寧ろ執着を忌むように。

山から連れて来たテマンも、拾って来た仔馬も、そしてこうして長く共に居る迂達赤をも。
自分達は隊長を慕い、教えを請い、これからもずっと共に居たいと心から願っているのに。

互いの間を隔てるよう刻まれた、目に見えぬ溝を超える方法。
チュソクは舞い散る紅葉の合間の横顔にその答を探し続ける。

 

 

 

 

楽しんで頂けた時はポチっと頂けたら嬉しいです。
今日のクリック ありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

 

 

4 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    仔馬の名前…この時チュホン以外の名前だったら暴れたりしたかな?名前って不思議ですよね?自分の名前や家族の名前を浮かべたら気持ちが不思議になりました(^_^;)

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です