2016 再開祭 | 気魂合競・廿捌

 

 

「一先ず水を浴びて来い」

帰途を辿り出鱈目に流れる人波を抜けて、酒楼の門をくぐると同時に、叔母上は庭の片隅の井戸を示した。

小僧でもあるまいに、何をあれこれ指示に従わねばいかん。
思いつつも、其れに口答えの出来る奴などおらん。
俺を始め取組を終えた男らは言う通り、無言で井戸端へ向かう。

言いなりになる姿に、あの方の瞳が三日月になっているのを気まずく思いつつ。
その視線に送られながら無言で釣瓶を落とし、据えた大盥に水を張る。

それぞれ汗と土埃でざらつく上衣を開け、大盥から柄杓に掬った水で先ず手と顔を清める。

「ヨンさん」

コムが呼びながら、釣瓶の中の新しい水を俺の頭の上から盛大に零した。
水を滴らせ視界を塞ぐ濡れ髪をかき上げ、上半身の土を落とす間に
「ヒドさん」

コムは次の釣瓶を抱えたままヒドを見た。
一人手甲を嵌めたまま、行水を離れて眺めていたヒドが、うんざりした顔で首を振る。
「あ、ヒドヒョン汚ねぇぞー」
「そうだよ、汗かいたろ!早く流した方が良いよ」

ヒドに気付いた手裏房の恐れ知らずの若駒二人が、コムの抱えた釣瓶を奪うように受け取る。
そしてそのまま墨染衣を目掛け遠慮なく中身をぶち撒けた。

ヒドは先刻の俺同様に頭の先から盛大に濡れそぼり、ばたばたと水を滴らせつつ、呆気に取られた顔で奴らを見た。
テマンが慌てたように懐からまだ乾いた手拭いを取り出すと、奴の手甲の手に握らせる。

俺がその隙に空の釣瓶を奪うと、素早く次の水を汲み上げ、コムの頭から遠慮なく浴びせる。
「ありがとうございます」
コムは笑いながら頭を下げ、八手のような大きな掌で顔を拭った。

「貸せ」

ようやく俺達に近寄ってきたヒドはそれだけ言って釣瓶を奪うと、新たにたっぷり水を汲み上げる。
一体どれだけ汲み上げるのか。
釣瓶を支える木の滑車が軋む音を立てながらゆっくり回る。
「来い」

ヒドはシウルとチホを呼ぶ。
奴らは曖昧な笑顔を浮かべ、じりと後退りながら首を振る。
「来い」
「い、いやヒドヒョン、俺らは後で」
「つべこべ言わずに早く来い」
「ヒョン、怒ってねえよな」
「さて。どうだかな」

怒っているに決まっている。ヒドの目が据わっている。
後退る二人の背を俺とコムが捕まえ、ヒドの前へと連れ戻す。
「コ、コムさん、やめてくれって」
「先に仕掛けたのはお二人でしょう」
「旦那、頼むから離し」
「煩い」

そのまま突き飛ばすように引き摺り戻されたシウルとチホ目掛け、ヒドは重い釣瓶の中身を力一杯撒き散らした。
顔面から思い切り飛沫を浴びた若衆二人が噎せている間に、新たな水を汲んでテマンを眸で呼ぶ。

奴は素直に寄って来ると、井戸端で大人しく頭を下げる。
釣瓶から水を濯ぐとその髪の隙間から、土に汚れた水が流れ落ちる。
「今日は転がったから」

テマンが差し入れた両指でがしがしと己の長髪を掻き廻す。
俺は頷いて新しい水を汲み上げ、奴の頭の天辺から再び注ぎながら水に濡れ、真直ぐ目元へと垂れる髪を掻き回すのを手伝う。

トギの前だ。
いくら相手が俺だったとしても、こいつも負けたくなかっただろう。
俺が相手でなければ、こいつも明日の五戦まで残ったかも知れん。

慰めるのも妙なら、詫びるのも筋違い。
だから黙ってその頭を濯ぐ振りをして掻き回す。

この心裡をよく知るテマンは目に流れ込む水滴を振り払うように瞬きながら、俺に向かって大きく笑った。

 

冷たい井戸水を急に浴びて、風邪をひかないか。
トギの心配そうな表情と指の声に、私は笑って首を振る。
いつもは冷静に薬草を選んで、間違いない薬湯を煎じてくれるトギなのに、やっぱり好きな人の事になると臆病になるのかしら。
「大丈夫よ、こんなに暑いもの。でも・・・」

井戸の周りでじゃれ合いながら水浴びをしてるみんな。
さっきまであんな怖い顔で角力の会場にいたのが嘘のようだった。
「子供みたい」

こっそり小さな声で言うと、トギも叔母様もタウンさんまで笑いだしそうな顔で、井戸の周りの男性陣を眺めた。
直接対決した人たちもいたし、勝った人、負けた人、内心いろいろ複雑なのかなって戻るまでは心配したけど、余計なお世話だったのかもしれない。

こうして見るたび好きになる。
ほんとに打ち解け合ってる相手にしか見せない、あなたの笑顔。
遠くから待ってる私の視線に気づいて、ふと顔を上げて、こっちに向かって細める瞳。

すぐに行きます。
そう動く唇も、濡れたままの黒い髪も、夕焼けの中の信じられないくらいキレイな横顔の鼻の線も。
まして私のために1日中暑い中で戦ってくれて、好きにならずにいられない。

みんなが汗を流したのを見計らった叔母様が
「そろそろ良かろう。戻って来い」
声をかけて下さるまで、私たちは東屋から小さな子供みたいなそれぞれのパートナーを、微笑みながら目で追っていた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    心から信頼し合う
    屈強な男達の水浴びの姿に
    暖かい気持ちになります(^^)
    ヨンとヒドの水浴び姿
    私も見たかった~❤

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