2016 再開祭 | 気魂合競・廿肆

 

 

「気が付かなかった。あのままじゃ、チュンソクが倒れてしまう。何か拵えて来るべきだった」
姫様は独り言のようにそうおっしゃいながら、私の手を掴んだまま人波を進んで行く。
「急ごう、ハナ」

突然この手を引いた姫様が私を連れて行ったのは、先刻までお邪魔していた酒楼の前の出店だった。
店番をしていた恰幅の良い主の女人は、姫様と私の顔を覚えていて下さったのだろう。
急いで駆け付けた姫様に
「譲ちゃんら、どうしたね。取組を見に行ったんじゃないのかい」
そう言って笑って下さった。

「まだ途中なのですが、すみません、お饅頭を下さい。それから、冷たい飲み物を」
姫様はここまでの急ぎ足で白い頬を赤くし、息を弾ませながら主に頭を下げた。
「おやおや、それでわざわざ戻って来てくれたのかい」
「買うならチュンソクがいつも、お世話になっているお店でと」
「おやー、若いのにしっかりしてるね、気に入った!よし、どれだけ欲しいんだい」

その気前の良い声に姫様は数えるように指を折ると
「ひとまず九人分、頂けるだろうか」
その声に女主は目を丸くした。
「九人前かい。そりゃ良いけど・・・」

そう言いながら誰かを探すように、私たちの後に目を投げる。
「お嬢ちゃん二人じゃ運べないだろうよ。ちょっと待ってな」
そして後ろの開いた門の方へ振り返ると、割れるような大声で呼びかける。
「シウル、チホヤ、ちょっと出といで!」

声に門の奥から、先刻までチュンソク様や大護軍様と一緒にいらした若い男性が二人飛び出して来る。
「ちょっと出前に行っとくれ。このお嬢ちゃんら二人で九人前の荷を運ぶのは無理だから」
「九人前って、みんなの分まで買ってくれるのか」

若いお二人のうち髪の長い、トクマン様と同じような槍を握った男性が驚いたような声を上げる。
姫様は困ったように唇を引き結んだ後、その主の女人に申し訳なさそうな声で言い直した。
「あの・・・この方々が手伝って下さるなら、十一人分で。それから一つお願いが」

 

*****

 

結局十一人分のお饅頭と飲み物の入った竹筒を抱え、お二人がついて来て下さる。
蓋紐を伸ばして結び合わせた竹筒が一歩歩くごとにぶつかり合い、人波の中でからからと音を立てた。
「おう兄さん、一つおくれよ」

行商と間違えられてそんな声をかけられ、その若い男性が
「悪いな。俺も出前なんだ」
お断りの手を上げながら、困ったお顔で笑っている。

チュンソク様とご一緒に出歩かれるようになるまでお邸の外に出る事さえ少なかった姫様は、まだチュンソク様なしでは人波を歩くこともままならない。
もうこの手を支えるのは私の役目ではない、いい加減手を放して差し上げなくてはと判っていても、つい差しのべてしまう。

私は姫様が抱えたがる荷を奪い取るように片手に抱え、もう片手ではぐれないよう姫様のお手を掴む。
ウンスさまやチュンソク様がお待ちの場所に戻ると、首を伸ばして人垣を探す。

どれほどの人垣の中でも頭一つ抜きん出ているのは、大護軍様とウンスさまのお邸におられる男性だった。
すぐに見つけて
「あそこです」
と私がお伝えすると、男性お二人は先に立ち
「ごめんよ」
「ちょっと済まねえ、通してくれ」
そう言って人垣を割って中へと進んで行く。
「みんなここにいたのかぁ」

男性の声に最初に振り返ったのはウンスさまだった。
「ああ、2人が一緒にいてくれたんだ!良かった。お帰りなさい、キョンヒさまもハナさんも、大丈夫でしたか?」
そんな周囲の皆さまに、男性お二人が抱えた荷を上げて示す。

「こっちのお嬢さんたちが、みんなの分饅頭と飲み物、買って来てくれたぞ」
そう言って抱えた荷を手際良く、皆さまそれぞれに配って下さる。
「こんなに暑いのに呑まず食わずじゃ良くねえよ。倒れるぞ。気の利くお嬢さんだな」

もちろんお世辞なんだろうけれど、その声にチュンソク様の片眉がぴくりと上がった。
それに気づかないのか、お二人は
「本当だよ、二人とも気立ても良いし、美人だし」
そう言いながら次々とお饅頭を渡し、竹筒を渡し、次にその手がチュンソク様の方へ伸ばされた時。
「ああ!」

キョンヒ様が声を上げて、私の腕の荷を指し示した。
「違うチュンソク、チュンソクの分はここ!」
お饅頭と竹筒を手にした皆さまが姫様と私を振り返る。その視線に負けず
「一番頑張ったから、私がおいしそうなのを選ばせて頂いたから、だから・・・」

姫様は顔を赤くして、声の最後を小さく飲み込まれた。そうだったんだ。
チュンソク様だけに間食をお渡しするわけには行かなかったから、私を引っ張ってお出掛けになったんだ。
そんな事も気づかずに、私は姫様の荷を無理に奪ってしまった。
本当なら姫様がお手ずからチュンソク様に渡されたかったろうに。

チュンソク隊長がお耳を赤くして、姫様のところへいらっしゃる。
「俺の分ですか」
その小さなお声に、姫様ももっと小さく頷いた。
「うん」
「それを手に入れる為に、皆様の分までご用意下さったのですか」
「だって一人だけ渡されたら、チュンソクが困る」
「はい」
「だけどまだ取組が残っているから・・・終わるのを待っていたら、チュンソクのお腹が。昨日の夕餉もほとんど取っていないのに」

確かにもう昼を回って、周囲の人垣にも試合から目を離したくない人たちが、間食や飲み物を手に取組を見物している。
あれでは勝ち進む大護軍様やトクマン様は、取組の終いまで何も召し上がれないのだろうか。
そしてウンスさまも同じ事を考えられたのか、チュンソク様へと
「ねえチュンソク隊長、選手は途中で何か食べちゃいけないの?」
そう心配そうに問われた。チュンソク様はお首を振って
「いえ。飲食に関して禁じられてはいませんから、喉を湿らせる程度はいつでも。
取組前に飯をがっつくゆとりのある者はなかなかおりませんが、大護軍やヒド殿は別格です」
と、ウンスさまを安心させるように請け合われた。

ウンスさまは若い方に手渡されたお饅頭を眺めた後に
「じゃあ、私も。ごちそうさまです、キョンヒさまもハナさんも」
とおっしゃって、包んでいた笹の経木でそれを包み直された。
「ウンス、だめだ。こんなに暑いのに。お腹が空いて倒れてしまう。お医師ならご自分の体も大切にしないと」

そんな姫様とウンスさまのやり取りを、他の皆さまは優しい眼で見ていらっしゃった。
そして一番の年長の尚宮服の、チェ尚宮様と名乗られた方が
「医仙が辛抱しては、あ奴が妙な気を廻します。敬姫様、お心遣い痛み入ります」
と、これ見よがしに竹筒から一口、冷たい中身をお口に含んだ。

 

 

 

 

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