2016再開祭 | 夏白菊・陸

 

 

奴ら二人を酒幕に置いてふらりと通りを歩き出す。

道の先に見える西空は燃え立つような朱。
その朱に影を差すよう、黒く厚い雲が被さっている。

まだ雨の匂いはしない。しかし黒雲に切れる気配は無い。
早く戻らねばならん。夜半の道中、雨に濡れるのは嬉しくない。

懐から取り出した号牌を下げた指先で、強く唇を擦る。
ムソンの屋移り、行先は皇宮。迂達赤兵舎に近い程良い。
試し打ちも進捗も常に確認が易くなる。
しかしまずは懐に納めた火薬を、王様に御覧頂く必要がある。
御満足頂ければ屋移りの話も、後の資金も得やすくなろう。

そして巴巽村への繋ぎ。あの女鍛冶そして頑迷な若い領主の説得。
皇宮と目と鼻の先の軍器寺。
榴弾の完成までの間だけでも、逗留してもらえるのか。

段取りと交渉の順を計じつつ当てどなく通りを歩く俺の脇、
「思ったより人使いが荒いですね、大護軍様」

低い声で囁き、昼にムソンを連れてきた行商人風の手裏房が並ぶ。
その横顔を流した眸の端で確かめる。

「マンボに伝えろ。客を一人預かって欲しい」
「客ですか」
「明日行く」
「判りました、すぐに伝えます」
「もう一つ。チホかシウルを迂達赤へ走らせろ」
「用件は」
「ムソンの荷を移す。準備を整え、人を集めておけと」
「姐さんのところへ行く客人は、火薬屋ムソンですか」
「ああ」
「添えておきます。じゃあ」

その手裏房は小さく頷くと横から離れ、既に暗くなり始めた脇道へ滑り込んで夕闇へ溶けた。
領主と女鍛冶を説得し、王様に御許しを頂くまでの仮の宿。
あの方の居る宅へムソンを道具ごと連れ帰る訳にはいかん。
どれ程優れた腕を持っていようと、今まで無事で過ごして来ようと、火薬を扱う以上事故は付き物だ。
万一宅でそんな事が起き、あの方が巻き込まれては何の意味もない。

ましてや此度の一件は、あの方に伝える訳には行かない。
ムソンの屋移り、王様への御披露目、巴巽の面々の説得。
独り置いて行かれるあの方は、また不機嫌になるだろう。

国防に関わる王様との謁見は極秘になる。話の中身も教えられない。
報せる訳に行かぬから、連れて巴巽村へ行く事も出来ん。
近場の碧瀾渡はともかくとして、巴巽村への旅では日帰りは出来ん。

走り回るのは構わない。あの方の戻ったこの国を強くする。
その為に何をしようと、どれ程汚れようと構わない。しかしと考え息を吐く。
他の誰の機嫌を損ねようと気にならんが、あの方にだけはどうにも勝てない。
理不尽でも怒られれば気が滅入るし、膨れられれば宥めてしまう。
拗ねられれば笑わせたくなるし、泣かれてしまえば胸が痛い。

真実を告げぬままどう説き伏せるか。額への口づけで機嫌は直るか。
碧瀾渡への道中に置いて行かれて腹を立てるあの方を、往復五日も一人で残すのか。
まして領主や鍛冶の説得に幾日掛かるかも知れぬ、今のこの状態で。

指先に下げた号牌を懐へ放り込み、暮れ空の許を酒幕へ戻る。

何でも話して。何でも教えて。
幾度でもこの眸を覗き込み、飽かずに言って下さる方を。
どんなに喧嘩しても一緒に眠る。
その約束を違える事無く、毎夜この腕に抱いて眠る方を。

役目だ。伝えて危険に晒すなら、何も言わない方が良い。
判っているから言う気は無い。騙すと思われても仕方ない。
留守中は迂達赤に守らせれば良い。今あの方を狙う敵はない。

大きな戦になれば連れて出る訳にはいかん。
戦が長引けば、誰より悲しむのはあの方だ。
それを避ける為にもあの火薬は絶対に成功させねばならん。
俺の私心など二の次三の次。国の為には今動かねばならん。

あの方を抱かずには心配で眠れませぬ。故に同行を。
口の堅い方です。某も眸を光らせます。故にあの方に知らせても。
頭を下げて願い出るのか。そんな言葉を御伝えするのか、王様に。

康安殿の私室、王様と向き合う密議の席でそう言う己を頭に描き、背筋が寒くなって首を振る。

有り得ん。

 

*****

 

酒幕へ戻れば、何故か見つめ合う様子のテマンとムソン。
ムソンの正面、テマンの横へ腰を降ろすと卓向こうから待ち兼ねたような声が掛かる。
「大護軍様、俺は」

ムソンは頻りに遠慮しながら、椅子ごと音を立てて卓から身を引く。
「まだ出来上がってもいないのに、こんな豪勢な飯は頂けないです。大護軍様を満足させられる物が出来てから」

妓楼で妓女を侍らせるでも、卓の足が折れるような山海の珍味を盛っているでもない。
ありふれた酒幕の飯と酒で、それ程恐縮する事か。
日頃の質素な暮らしぶりの透け見えるその抗議に
「・・・黙って喰え」

盃を握る指で皿を示しても、奴は頑なに首を振る。
「大護軍様にはどうやったって返せないくらいに借りが多いんだ。これ以上作れない。作りたくないんで」
その声に堪え切れぬように、珍しくテマンが口を挟む。
「ムソンさん」

こいつも俺の顔を立てようと気を使っている。
まだ奴に心を開いておらぬのもあるだろう。
卓向こうに丁寧に呼び掛け、その目が真直ぐムソンを捉える。
「大護軍は貸しだなんてこれっぽっちも思わないです。俺たちが出来る恩返しは」
卓上の箸を取り上げると、テマンはこれ見よがしに飯を大きく掬って口へ放り込んだ。
「残さず喰って、絶対病気にならないことです」

俺の事もあの方の事も知っている家族だからこそ言える。
皿の上の飯を平らげながら、テマンがムソンを凝視する。
長閑な夕餉の卓の雰囲気からは程遠い。
俺は喰うがお前はどうする、そう言いたげな目付きで。
ムソンも観念したか椅子を引き直し、酒瓶を取り上げると俺の盃を満たした後に、ようやく箸を取り上げる。
「じゃあ遠慮なく。頂きます、大護軍様」
「ああ」

卓上に戻った酒瓶を取り上げて奴の手元の空盃を顎で差し
「呑めるか」
そう訊くとムソンは慌てたように、此度は音がするほど首を振った。
項で纏めた総髪が、一拍遅れて振り回される。
「それだけは、出来上がった時の楽しみに取っておかせて下さい。その時は遠慮しないで呑みますから!!」

呑兵衛の俺は独り酒か。
あの方ならこの背に瓶を隠しても、奪って手酌で付き合うだろうに。
息を吐き一息に盃を煽る俺を、飯を頬張ったままテマンとムソンがじっと見た。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さすが テマンだわ~
    これ以上 大護軍に手を焼かせたくないなら…
    健康でって つまり 
    医仙の世話にもなるなよってことでしょ
    ( ´艸`) えっへん!
    ヨンを知る 家族ですから~

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